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modern american economy
コラム:石油危機の影響
担当:甲南大学 稲田義久


 1973年は戦後の世界経済にとって、最も印象的な年といえるでしょう。というのも、この年に国際的なレベルで石油の意図的な供給制限が起こり、これまで順調に働いていた戦後の経済発展メカニズムが、機能不全に陥ったのです。このため、石油危機とか石油ショックと呼ばれました。英語では普通“Oil Embargo”と呼ばれますが、日本では石油危機(Oil Crisis)とか石油ショック(Oil Shock)という言葉がよく使われました。日本経済にとっていかに厳しかったかをこの言葉があらわしています。

 また同様の危機が78年にも起こりましたので、73年のケースを第1次石油危機、78年のケースを第2次石油危機とわけて呼びます。

 石油は戦後世界資本主義の共通のエネルギー基盤でありました。戦後産業の発展機軸である重化学工業などには必須の投入物です。また自動車の燃料や火力発電の燃料でもあり、耐久消費財部門にとっても必要不可欠のものでした。

 石油が戦後世界資本主義の共通のエネルギー基盤でありえた理由の1つは、価格が長期にわたって安価で安定していたためです。

 原油価格は戦後長期にわたって、1バレル(=158.98リットル)当たり約1ドルでした。いわばただ同然で購入できたのです。現在では原油は1バレル=25-30ドル程度ですから、当時からすれば20-30倍程度高いのですが、それでも水より安いのです。原油を精製したガソリン価格は当然原油より高いのですが、それでも1リットル100円もしません。しかし、水(ミネラウウォータ)は300円程度もします。このことから、1ドル原油というのはただ同然であったのです。

 1973年は農産物の不作の年で世界的にインフレ傾向にあり、原油も2-3ドルまでに上昇しました。第4次中東戦争が勃発したうえに、原油供給を削減するというOPEC(石油輸出国機構)の石油戦略が発動されたために、原油価格はあっという間に1バレル=10ドルへと戦争直前から3倍以上に高騰しました。

 原材料やエネルギーの投入価格が3-5倍高騰した場合を考えてみてください。果たして企業には利益が出るでしょうか。よほど損益分岐点が低くないとペイしないでしょう。このように原油価格・エネルギー価格の高騰は戦後の生産システムを直撃しました。すでに述べたように、アメリカ企業が内包しているインフレ・スパイラルは、石油危機が引き金となりハイパー・インフレに転化しました。

図3-4 原油価格:ドル/バレル:ドバイ・ファテク
図3-4 原油価格:ドル/バレル:ドバイ・ファテク

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