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modern chinese economy
コラム:清朝崩壊から新中国へ−天命担うのは誰か
担当:甲南大学 青木浩治 藤川清史


 昔の中国の映像で、港湾荷役をする苦力(クーリー)の姿とか、農村で飢餓寸前にある小作人の姿とかが映し出されるのを見ることがあります。風呂など入ったこともないような真っ黒な顔、ボロをまとった裸に近い姿等々。かれらが社会の表舞台に登場したり、社会変革の担い手になったりする姿を想像できる人はよほど豊かな想像力を持つ人と言うべきでしょうか。しかし、革命というのはそういうことなのだということを、中国もまた示したといえます。1950年にそれまでは小作人であった彼に、まぎれもなく農地が手に入ったことを証明するもうボロボロになってしまった土地証書を、現代の農民は底抜けに明るい笑顔でわれわれに指し示します。

 清朝隆盛期の乾隆(けんりゅう)期に誰がこんなことを予測できたでしょうか。それにもかかわらず、中国の全歴史は農民革命の歴史だという人もいます。太平天国、義和団の乱は誰が見てもそうですが、王朝の交代はすべからく農民戦争、農民革命を起点としているという説もあるのです。ひとつだけうなずけることは、中国社会というのはある時まで鳴りを潜めていた下層の不満・不信を、ある時一気に社会の表層に飛び出させるようなチャネルを持つのではないかということです。清朝300年はもとより、近代手段で装甲された外国諸列強の支配も結局はたかだか100年も持たなかったわけですから。

 儒教といえば、忠孝の精神といった保守的な思想構造を誰しも頭に思い浮かべますが、儒教の核心は天命思想、すなわち一旦天命に背くものあるとき、天子といえども命脈を保つことができない、というところにあります。「君に大過あれば則ち位を易う(かう)」(孟子)。「放伐論」(ほうばつろん)とも言います。恐ろしく革命的な思想であるともいえます。清朝末期に孫文が社会変革の基本に「耕す者に土地を」というスローガンを据えたのは、まことに天命をわきまえたものだといえましょう。マルクス主義の常識に反して、毛沢東が孫文の革命思想を引き継ぎ、土地革命と「農村が都市を包囲する」という革命戦略を掲げ続けたことも、天命に沿ったということになるのでしょうか。

 そうだとすれば、建国後いたずらにソ連型社会主義に追随し、都市を中心とする特権的社会主義を追求し、建設の外におかれた農民の自力更生(自前の水利建設運動)に振り回されて大躍進の挫折と国民的飢餓に陥っていったのも天命に背いたからなのでしょうか。そういえば、一旦は身分的戸籍制度に閉じ込めたはずの農民が、出稼ぎ農民として1億人という規模で都市になだれ込み(2002年)、いまや都市就業構造の最大勢力となっているのも天命のなせる業といえるかもしれません。農村での収入の倍以上を稼ぎ出し、都市の果実を故郷に送金し続けるかれらのなんとたくましいことでしょう。

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