modern chinese economy
コラム:高度成長下の物価下落
担当:甲南大学 青木浩治 藤川清史
物価の持続的下落現象を「デフレーション」と言います。またデフレは、物価下落とともに不況が同時進行している状態の意味としても使われます。日本がその典型例でしょう。しかし中国のデフレは日本のそれと様相を異にします。確かに1998年より物価上昇率はマイナス(つまり物価水準が下落)となっていますが、7%強の国際的にも高い成長率が実現されているからです(1990-2002年の日本の平均実質経済成長率は1.0%です)。
図7-10 中国のデフレ
この「比較的高い成長下の物価下落」現象を教科書的な理論枠組みで整理すると、次のようになるかと思われます。
図7-10の縦軸には物価、横軸には国民所得が測られており、右下がりのD線は総需要線、右上がりのS0線は当初の総供給線です。需給は点Aで達成されるので、物価はP0、実質国民所得はY0の水準にそれぞれ決まります。この状態から出発して、国有企業を中心とする設備投資により生産能力が高まったと考えて下さい。そのため総供給線はS0からS1へシフトし、新しい均衡点は点Bに移ります。このとき(1)実質国民所得がY0からY1へ増加し(比較的高い成長が実現される)、(2)物価はP0からP1へ低下(デフレとなる)します。以上のように整理すると「高度経済成長下の物価下落」という日本では考えられないような珍現象を理解できるのではないでしょうか。
ただし、次の二点に注意する必要があります。その第一はITブームに沸いた1995-2000年のアメリカと異なり、中国の総供給増加は生産性改善というよりも単純な生産能力増加によるところが大きかったということです。実際、本文で説明したように1995年時点でも家電メーカーを始めとして多くの産業において過剰生産能力が発生していました。ということは一部優良民営企業を除き、物価下落は生産性改善によって吸収できないため、多くのメーカーの採算が悪化することになります。このように90年代後半の中国のデフレは「生産性改善による収益増加」というアメリカ的なパターンを必ずしもとっていません。そしてこれが国有商業銀行の不良債権累増の根本的原因なのではないでしょうか。要するに中国では採算度外視の投資が実行されてきた(またその投資資金を銀行が融資してきた)ということで、この体質を改めない限り、いつまでたってもデフレ解消や金融部門の健全性確保は難しいということです。ちなみに2001年時点における国有企業のプレゼンスは工業生産額シェアでは44.4%(国家持ち株会社を含む。100%国有企業のシェアは18.1%)、都市部雇用に占めるシェアでは31.9%、全投資に占めるシェアでは47.3%でした。生産・雇用面におけるかつての圧倒的プレゼンスが大幅に後退した中で、投資面でのプレゼンスは相変わらず大きいのが現状です。
第二に、90年代央から従来の「増量改革」路線がモノ不足解消によって飽和し、国有企業改革という「存量改革」が避けて通れない課題となりました。具体的には過大な人員を抱える国有部門(ならびに都市集団所有制部門)でのリストラが進行し始め、将来不安が急速に高まります。なにせ年金・医療保険といった社会保障制度は企業がほぼ丸が抱え状態での首切りです。また形式上はともかく失業保険制度は依然、未整備です。企業から職場を追われると明日からの生活が困りますし、賃金未払いも決して例外的ではなくなりました。ですから予めその危険に備えて消費を抑制し、貯蓄に励むことになるわけです。このような事情により民間消費が急速に鈍化していき、これがデフレを加速したと言われています(総需要線が左側にシフトしたと考えてみて下さい)。また、農民収入の低迷もこの需要サイドの要因として理解可能です。