考古学資料、作物分析方法の進歩、DNA分析法などによって、稲作の起源はますます古くさかのぼっている。
−「アッサム・雲南起源説(約四千年前)」
=渡部忠世説・1970年代以降。
−「長江中・下流説(約七千年前)」
=佐藤洋一郎説・1990年代以降。
佐藤氏は、DNA分析法で、炭化したもみから遺伝子の配列を分析し、長江(中国河姆渡遺跡)からでてきた炭化米がすべてジャポニカの遺伝子であることをつきとめた。それが日本列島のジャポニカ米の起源ではないか。
−野性稲の種類は、インディカ米とジャポニカ米とに分かれる。遺伝子を異にする。佐藤氏は、日本ではジャポニカ米を、水田で育つ温帯ジャポニカと焼畑で育つ熱帯ジャポニカとに分類する。水田稲作は、弥生時代に朝鮮半島からやってきた。焼畑稲作はそれ以前の縄文時代に伝わっている。現在、稲のプラント・オパール(珪酸体=稲の葉にある微小ガラス質細胞)の検出から、例えば岡山市の朝寝鼻貝塚で約六千年前の我が国最古の熱帯ジャポニカ稲作栽培が発見された(毎日新聞1999年4月22日) 。今後縄文時代の稲作は各地にあったことが検証されていくであろう。
(参考文献)
渡部忠世著『アジア稲作文化への旅』、
佐藤洋一郎著『稲のきた道』『DNAが語る稲作文明』等