human and environment
5-2. 食物文化と心の環境
- 環境と文学 - 高阪 薫
列島改造にわき、高度経済成長にあったさなか、1974年有吉佐和子が警告の書を「朝日新聞」に連載した。『複合汚染』である。身近なお米の話題から始まる小説は、公害問題が盛んに生じていた時に、食べ物の危険性を採り上げたことで、多くの主婦に衝撃を与えた。米櫃の米にいつまでたっても虫がわかない、こくぞう虫や小さな蛾がいるはずなのにいない。このことに有吉佐和子は疑問を感じ、調べてみたら、稲の成長過程で殺虫剤を散布し、それが耐害虫の米になっていたというわけである。それ以前にレイチェル・カーソンは「沈黙の春」の中で、春になっても鳥が鳴かないという状況を書き、農薬による環境破壊を世界に訴えていた。 ![]() 有吉佐和子『複合汚染』、レイチェル・カーソン『沈黙の春』 これはショックであった。まだ日本は昭和50年前後、米の収穫量は1300万tあった。(穀物輸入と減反政策で現在約 900万t強)。その当時米を三度食する家庭が多かった。(年間米消費量は、江戸時代から明治時代は250kgから280kg、大正から昭和にかけては「一日四合の米」=『雨ニモマケズ』を食うから200kg、昭和50年前後は100kgから120kg、現在は68kg一日一合強と半減) 。そこで、家庭で主食する米に残留農薬が含まれているとの問題提起は波紋を呼んだ。米だけではない。他の農産物もそうだ。関心を持つ都会の消費者グループは立ち上がり、自らの問題として関連機関や生産者に対処をせまった。基準値に適う使用ということで安全性に問題はないといわれた。しかし、農民にも農薬使用で中毒患者や死者もでた。ここに食べ物の安全性に危機感をもった市民グループの産消提携の有機農業運動が、全国的に拡がっていったのである。安全性を第一に化学肥料や農薬を使わないことを前提とした有機栽培を実践するのである。 有機農業は、確かに安全性を追求すること、それに自然の循環機能を生かし、地球環境にやさしく他の生物との共存がはかれること、などの利点はある。しかし、これを促進することで、60億人の食生活はまかなわれるか。先進諸国では今、軒並み有機農業で国内の食糧自給をしょうという試みや調査が盛んである。アメリカ、ドイツ、イギリスなどは有機農業の生産性をコンピューターで計算して、輪作体系を変化させることで自給は可能だとの結論を得ている(『エコロジー&ファーミング』1998年9-12月号) 。日本もシュミレーションを描いてみる価値があるのではないか。日本ではまず先進国並みに食糧自給率を高めねばなるまい。英、独、西、伊、の諸国は穀物自給率は100%をこえるか、近いところにある。仏国などは200%をこえて輸出国である。日本はなんと30% のままである。農業就労人口が約500万人に減少してしまったことにもよるが、国の農業政策はお寒いかぎりである。 毎日の食生活は、量と質、種類、カロリー摂取量で決まるが、日本のように1億2千万人が、世界の食糧生産高の約1割を消費している現状は、飢餓で苦しむ世界の10億人近い民のことを考えると、人類生存にとって由々しい問題ではないか。牛肉を多量に消費するようになった日本人は、インド人など何十人分もの穀物やエネルギーを消費しているという。また、牛に24人分の穀物を食べさせて一人分の牛肉ができるという。穀物はいま3分の1ぐらい動物に食べさせるために生産されているという。(井上ひさし『どうしてもコメの話』)。 このようなことを考えれば、かつての一汁一菜ではないにしても、飽食、グルメ志向に慣れきった日本人の食生活も見直されなければならないのではないか。そして自給率を高め、食生活の安全と節度を志向していくためにも有機農業を促進していくことが、今後国策としてもおこなわれねばならないだろう。 飽食を続けることの問題は、世界から食糧品、生鮮食料を輸入することで、現地の第一次産業や食料工場を活発にさせている利点はある。しかし、バナナ生産、ブラックタイガーの養殖と加工(むき身のエビ)、キャット(ドッグ)フードの生産、野菜から漬物、鶏から焼き鳥加工、ウナギ養殖等々、経済の振興に協力といいながら、首を傾げたくなるものもある。しかも自然環境の悪化と携わる労働者の貧困からくる日本への感情も決してよくない。食卓に贅沢に並ぶこれらの食べ物がどのような経路でやってきたか、お金で簡単に手に入ったのでないことを考えねばなるまい。1993年の米不作で、タイ国からタイ米いわゆる長粒米を輸入した。なかに日本人で舌の受け付けない人がいて、食べ方があるのにそれもしないで捨てたり、豚の餌にしたという。これなどタイで一生懸命に作られた米であり、米不足を助けてくれる筈のお米であった。在日タイ人がこれは酷いと新聞に投稿していたことを思い出す。 私達は強者の論理(単に成り金者?)で、いつか世界の人に耕して加工させて食糧をどんどん輸入して消費するようになった。飢餓を忘れた年月は三四十年は続いている。私達は経済的にも文化的にも豊かになって、平和で幸せな生活を送っている。しかし、それらを支えてきてくれたのは、私達の努力と勤勉であったことも確かであるが、この地球上の自然と人々のおかげであることを忘れてはなるまい。拝金主義のバブルが崩壊しても、まだシフトを変えないでもう一度を夢見るものもいる。いま悪化する地球環境を救う方向でしか私達は生きていけないとするなら、私達の強者の論理は、今後とも通じていくものとは思えない。自然と共生する耕すものの生活、倫理に学び、そこを起点とした生き方の論理を構築し実践していくことが必要である。 米にまつわる農民の悲しい歴史は、年貢をおさめるために、その年の豊凶によって幸不幸が決まるところにあった。その藩の石高を上げるために新規の開墾田や水田耕作の改良に苦労を重ね、天候に気配りし、年中つらい労働をせねばならなかった。江戸時代の五反百姓、水呑百姓の苦労、飢餓状況になって起こる百姓一揆は、農民の疲弊と農村の荒廃を生み出し、食っていけずに間引き、身売りにまで害を及ぼしたのである。それは明治時代にもつづき、農業の近代化は遅れ、相変わらず貧しい状況は変わらず、地域によっては移民が進められた。長塚節の『土』にもリアルな貧しい農村生活が活写されている。そして共同の農業生活を通じて、芸術活動をし、新しい生き方を求めようとした『新しき村の運動』もあった。また百姓の辛い生活をプロレタリア文学に訴えた作家もいた。 今日農民は、昔と比べればずっと生活は豊かになり、都会生活者特にサラリーマンよりは文化的な生活を営んでいる場合もある。しかし、農業の危機はだんだんと農村の自然と農民の心の環境を蝕んでいっている。 心の環境を良くするためにはどうすればいいのか。人間は所詮地球上の一生物に過ぎない。それが成り上がって地球を自在に支配しだした。人間のわがままな欲望は止まることを知らず、地球環境を目茶苦茶にしながら人間中心の快適で便利な生活を目指している。欲望は増殖すれど、資源には限りがある。環境の悪化は人類の滅亡を速めている。 我々が生きるとはどういうことなのか。いま真剣に考えなくてはならないだろう。全ては人の心に関わっているのではないか。 それを考える手だてとして、日本人の生命として最も自然環境にかかわりの深い米作りに携わり、この伝統的な営為の中に日本人が自然とどのように共生してきたか、少しでも考えるために市島や明石での有機農法による稲作を体験した。4、50年前まで常識であった自然農法・有機農法での米作りをし、その体験を通して人間が自然に生きるとはどういうことなのかを学び、そこに私達都会人の、あるいは日本人の生き方を考え直し、役立てたいと思ったのである。 また、日本人の食生活の中心であったお米、稲作のことを古典がどう捉え、どのように見てどう考えたか、作者の記述の中にある人間と自然との共存がどのような関係で捉えられていたか、その心のあり方がどのように変わってきたか、を探ってみた。 それにしても、古代から今日まで人間は自然と共存して生活してきたが、繰り返される戦争で階級差別が生じ、支配服従の関係ができて、立場がそれぞれ異なると自然に接する態度も思考も違ってくるのである。 耕す者の心を理解しない優雅な食べる階級が存在しだす。そして人間は、そんな生活が保証される支配者・権力者になることを望む。耕す者の生き方は忌避され、蔑視されることになり、支配者の生き方や考え方が是認される。そして文学の美意識も支配者の発想がもてはやされ後世に伝えられる。支配者と支配者の住む都が生み出す文化が、その時代を席巻して地方文化の専制となる。やがて人類の平等社会への志向とともに、産業革命が生じ、自然を破壊し、利用する。しかし科学技術の進歩があり、工業化を促進させ生産を向上させた。そのことは人類の生存を快適に豊かにしたが、政治・経済・文化などあらゆる面で地球の南北間格差を生んで、国家間や民族の新たな火種となって地球環境を脅かすのである。 しかし、際限のない人類の発展欲望は、ますます自然を蝕んでいき、地球環境の危機的状況を招いている。それと悪しき拝金主義がのさばりカネの尺度で全ての価値が決められる風潮は極に達して、カネは手段の筈が目的化して、私達の心をも蝕んできている。 この悪化した人の心は、いかにすれば健全になるのだろうか。そこで、私達は心のバランスを回復するために、米=農業に関心を寄せ、農業に接し、自然と共に生きることで、失ってきた人の心の本当のものをとりもどすことが出来るのではないかと考えるのである。 |