human and environment
1-1.先住民の環境観
- 環境とコスモロジー 北米先住民の砂絵から - 久武 哲也
環境倫理、エンバイロンメンタル・エシックスというのは最近よく用いられるようになってきた言葉ですが、その意味する範囲はかなり広いものです。アメリカの環境問題の流れを考えてみますと、1960年代に、レイチェル・カーソンの『サイレント・スプリング(沈黙の春)』(1962年)という本が公害問題を考える際に大きな影響を与えました。しかし、その前にサウアー(C.O.Sauer,1889-1975)という人が書いた「ザ・エイジェンシー・オブ・マン・オン・ザ・アース」(「地表の改変者として人間」)(1956年)という論文が出ています。実は、これが私の研究の出発点となった考えです。サウアーという人は、私がバークレーにいた時、インディアン・カントリーに行ってインディアンと話をすることを熱心に勧めてくれた方です。 1960年代後半から急速にこうしたエコロジカルな考え方が、表面に出てきました。A・レオポルド(A.Leopold,1887-1948)の『砂の国の暦』(日本語訳『野生のうたが聞こえる』,森林書房,1986,講談社文庫,1997)という環境保全に関する本が出版されたのは、1949年でしたが、1960年代に環境保護運動の高まりとともに多くの人々が読むようになりました。1966年に新しく再版されました。リン・ホワイト(Lynn White,Jr.)が、キリスト教的な考え方の中に含まれる環境破壊的な要素について述べたは1967年のことでした。「エンバイロンメンタル・ヒストリー」(環境史)などの雑誌の創刊も1960年代からです。1970年代には、「エンバイロンメンタル・レビュー」とか、「環境倫理」という雑誌も出てきます。そして、この頃から「自然の権利」といったことも言われるようになりますし、ナッシュ(Roderick.F.Nash)の『自然の権利−環境倫理の文明史−』(原書,1989.日本語訳.ちくま学芸文庫,1999)なども最近出版されています。 アメリカ・インディアンの持つ環境に対する考え方や行動が、環境倫理を考えるに際して大きな役割を果たすようになってくるのも同じ時期のことです。デニス・テッドロック(D.Tedlock)という人は、中南米の先住民の民話とか神話、伝承を研究している方ですが、1975年に「ティーチング・フロム・ザ・アメリカン・アース(アメリカ大地からの教訓)」という本を編集しています。「インディアン・アズ・エコロジスト」、つまり、エコロジストとしてのインディアンというイメージが、この頃から創り出されていくわけです。 同じ頃、環境や大地をインディアンの立場からもう一度見直そうという考え方も出てきます。W・H・キャプスの「シーイング・ウィズ・ネイティブ・アイ」(「先住民の眼で見る」)という本などがそうです。先住民の目から地球や世界を見ようということです。1980年代からこういう流れが強く見られます。こうした流れの中で、注目すべき役割を果たしたのが、カルビン・マーチン(K.Martin)という人です。 私は、ナバホやプエブロの人たちの調査を終わりまして、1981年に再びアメリカへ参りました折に、五大湖周辺のオジブワという人たちのところへ参りました。その時、カルビン・マーチンは、オジブプワの人たちについて人間と動物の関係、インディアン・アニマル・リレイションシップ、人間と動物がどういう形でこれまで平和的な共存を図ってきたのかということを調べていました。しかし、一方、クレッチ(S.Kretch)という人は、「インディアン・アズ・エコロジスト」という見方に対する批判をしておりました。インディアンというのは、実は、エコロジスト、自然の保護者というよりは、長い歴史の中でやはり動物資源に対する破壊的な側面を持っていたのだ、平和的共存といった側面がないわけではないが、動物の種の絶滅であるとか、そういうものにかなり関与してきたというわけです。このように「エコロジストとしてのインディアン」というイメージにも異なった評価があります。私の持っております先住民観というのは、ある面でロマンティックなところがあるのかもしれません。 このように、生態的に均整のとれたインディアン像といったものは、今ではかなり多様化してきています。生態学的な保護者としてのインディアンの側面だけでなく、批判的に検討さるべき側面も持ってきているわけです。 |