human and environment
1-2.「母なる大地」
- 環境とコスモロジー 北米先住民の砂絵から -  久武 哲也

 環境倫理と言った場合には、人間の感覚的な痛みであるとか、人間が本来とるべき責任であるとか、人間の側が受けとめていく素地というものがなければならないのです。自然に対する人間の責任といった面での議論も1980年代に見られます。ディープ・エコロジー(Deep Ecorogy)とか、エコ・フェミニズム(Eco-feminism)とかの考え方が出てくるわけです。翻訳されているものでは、キャロライン・マーチャントの『自然の死』(1980年)という本があります。

 フェミニズムといいますか、ジェンダー(性)という間題と、自然の乱用に対する問題提起というものは、どういう形で関わってきたのか。ジュディス・トッド(J.Todd)という人は、アメリカ・インディアンなのですが、マザーアース・アズ・スピリチェアリティー(Mother-Earth as Spirituality)、霊性を持つものとしての母なる大地ということを言います。こうした考え方が、フェミニズムの中で非常に大きな意義を持ってきています。エコ・フェミニズム、エンバイロンメンタル・エシックス、フェミニズム、ディープ・エコロジー、こういった考え方がすべてそこでつながっていきます。J・チェイニー(J.chainny)とか、M・E・ツィンマーマン(M.E.Zimmerman)といった女性たちの主張がそうです。

 ディープ・エコロジーの基本的な考え方の一つは、バイオセントリズム(Bio-centrism)です。大生命主義といいますか、人間だけではなくて生命系というものが基本的な考え方の中心にあります。そういう意味では、ノン・アンスロポセントリズム(Non-anthropo-centricism)、非人間中心主義をとります。人間を主体とした環境への係わりといったものだけではなくて、人間以外のものも対等に考え方の要素に入れるのです。

 これから考えていきますナバホの人たちの場合でしたら、植物なども、聖なる人々、ディン・ディネと言います。我々人間のことは、ニホカ・ディネと言います。植物も人間も、同じディネ(Dine)=人という範疇の中で語られるわけです。

 こうした言い方を普通は擬人化と呼んでいます。私たちも、メタファーとして、あるいは擬人化のレベルで、植物や動物のことを人間と同じように呼ぶことがあります。具体的には、岩肌とか山肌とか人間の皮膚感覚で大地について記述します。しかし、ナバホの人たちは、ディネ=人と呼ぶわけです。植物も動物も、人間のカテゴリーの中に入るのです。

 こうした考え方からしますと、環境倫理というものも、人間だけという視点からは離れていくわけです。バイオセントリズムと言いますと、非常に広く動物も入れる植物も入れる鉱物も入れる。生物でない鉱物もすべて生命あるものだという考え方の中で、このディープ・エコロジーという考え方が主張されるのです。

 その中で最も大事なのが、マザーアース(Mother-Earth)、母なる大地という考え方です。それとエコロジカルな考え方が、どういうふうにつながるのでしょうか。

 アルブレヒト・ディートッヒ(Albrecht Dietrich)の"Mutter-Erde:Eine Versuch uber Volksreligion"(母なる大地=その民俗宗教的研究)という本が1905年に出ています。この本が今世紀における地母、あるいは母なる大地ということを考えるための最初の基本的な文献です。しかし、母なる大地という考え方は、古くからのものではなく、19世紀的な産物であろうという考え方が最近主張されるようになってきました。サム・D・ギル(Sam D.Gill)というナバホの研究者は、"Mother-Earth:An American Story."(1987年)という本の中で、アメリカ先住民の「母なる大地」という概念はそれほど古いものではなくて、19世紀、それも1860年代にアメリカの先住民の間で共通に合意されていった歴史的な概念であろうということを主張しています。

 歴史的な文書をたどっていきましても、アメリカ・インディアンが1850年代以前に「母なる大地」という言い方をした形跡がほとんどない。マザー・アース(Mother-Earth)という考え方は、19世紀の後半期に、アメリカ・インディアンが、自分たちの環境や生活のレベルで、白人の植民者たちから、さまざまに圧迫されていく過程の中で、彼らの間に共通してつくられていったイメージであるというものです。と同時に、アメリカ開拓史の主要な部分を占めますアングロフォン系の植民者たちの思想や行動に対して、インディアンたちが、抵抗するための思想的な基盤として創り出していった考えであろうということなのです。「母なる大地」という考え方はインディアンにとっても歴史的な意味をになってきたということです。