human and environment
2-1.ナバホ族の人々と大地
- 環境とコスモロジー 北米先住民の砂絵から -  久武 哲也

 アメリカ・インディアンと呼ばれている人たちの数は、アラスカ、アリューシャンを含めて、だいたい200万人くらいです。そのうち、現在では、54〜5%の人々が都市の居住者になっています。そして、リザベーション(指定居住地)と呼ばれる居留地に住んでいる人が45〜6%くらいです。約120万の人が都市に住み、約80万人がリザベーションに住んでいるわけです。

 リザベーションの総面積は、22.6万平方キロで、本州くらいの大きさです。それが287ヶ所のリザベーションに分かれています。これがアメリカ・インディアンの住んでいるところです。私はリオ・グランデ(Rio Grande)川の上流域のプエブロ(Pueblo)族のところに長く滞在していました。

 ナバホの人たちのリザベーションは、アメリカの南西部のインディアン・カントリー(Indian Country)と呼ばれるところにあります。アリゾナ(Arizona)州、コロラド(Colorado)州、ニューメキシコ(New Mexico)州、ユタ(Utah)州にまたがる地域です。面積は5.3万平方キロ、日本の四国と中国地方を合わせたくらいの広さです。そこをナバホの人たちはネイション(Nation)と言っています。ナバホ・ネイションの首都というのは、ウィンドロック(Windrock)というところで、乾燥地のまん中にある小さな町です。

 ナバホの人口は、今から約150年ほど前に、7500人にまで減ってしまいました。それが1984年には14万人になります。BIA(Bureau of Indian Affairs)というインディアン担当の政府機関は多めに見積もって16万人という数字を出しています。1990年の人口統計では18万人まで増加しています。

 しかし、インディアンがアメリカの市民権を得ることができるようになったのは、1920年代になってからのことです。アメリカ・インディアンと呼ばれる人たちは、1924年にはじめてアメリカ合衆国の市民権を得ます。現在言われています部族というものも、1934年に部族組識法(Tribal Organization Act)というのができて、BIAによって組織されたものです。それ以来はじめて現在の何々族という言い方が正式に出てきます。

 それまでは、ヒカリラアパッチ(Jicarira Apache)とか、ショショーニ(Shoshonnie)とか、ナバホ(Navajo)とか、プエブロ(Pueblo)のテスク(Tesque)とか、テワ(Tewa)とか、そういう人たちが入り乱れておりましたので、父方、母方の血筋をたどっていきますと、子供は何族に属するのか分からないといった状況でした。指定居住地を設けたときに、ここは何族の居留地という形で、選挙権を与えたり、教育費の補助を行なったりしました。このときに、何々族というのが空間的にも決定されていきました。そうした意味で、今でも、年配の先住民の中には、自分はアメリカ人だと思っていない人が数多くいるわけです。

 アメリカ合衆国は、これまで個別の部族と何度も条約を結んできました。こうした先住民との条約は、長年無視され続けていますが、ナバホの人たちは、ナバホ・ネイションは、アメリカ合衆国とは違うという言い方をよくします。そういう意味では、黒人とかアジア系の人たちの民族的のアイデンティティーとは大きく異なるところがあります。

 それぞれの部族の主張は、BIAという政府の下請け機関がインディアンの代弁者として言うのと同じではありません。居留地内の教育のためのお金をどうするか、部族の土地の連邦へのリースをどうするかとか、現在いろいろな問題を抱えておりますが、みなBIAが仲介をやっていきます。しかし、インディアンの多くは、基本的には、自分たちの部族としてのアイデンティティーを、1934年以前の自分たちの部族の領土と関わらせて考えています。