human and environment
2-4.開発と「聖なるもの」
- 環境とコスモロジー 北米先住民の砂絵から -  久武 哲也

 この裁判のとき、アザ・バゾノーダ(Aza Bazonoda)というおばあさんが裁判所で証言した記録があります。ナバホの人たちは、どういうことを言っているか。ナバホの人たちにとって地母、母なる大地というのはどういう概念かということを知るために大事だと思いますのでその文章を紹介してみます。

 「昔、この大地は、ナバホ族の人々のために、ここにありました。この大地は、我々にトウモロコシを与えたのです。我々はこの大地を母親と考えているのです。この地母が雨を必要とするとき、私たちは花粉を与え(この花粉は女性の道、女性です)、そして、私たちが大地の下から生まれ出たときに授けられた祈りを用いるのです。しかし鉱山開発が進んだ後、この大地がどうなるのか、私には分かりません。私たちは地母の身体、両手、両足、そしてその霊を用いて自らを強め、悪しきことに(悪しきことはホチソ)耐え得るもの(これがディン、免疫です)になることを願いながら、すべての祈りをこの地母に捧げてきたのです。花粉はこの祈りとともに水に流されるのです。‥‥‥この大地は私たちの母親なのです。白人たちは私たちの母親を破壊しようとしているのです。このメサ、この空気、この水のすべてが私たちにとっては聖なるもの(ディン)のもとになるものなのです。私たちは自らが栄え、そして良きこと(ホゾ)が何世代にもわたって続いていくよう、この聖なるもののもとになるものに祈ってきたのです。私たちが幼かったとき、私たちの揺り籠は、地母が私たちに与えてくれたものからできていました。私たちは、この聖なるもののもとになるものを自分たちの生命のあらゆるものに用いているのです。(自分たちの生命のあらゆるものに環境を用いている、これが基本的にビイギスティンという感覚です。)そして私たちは死して後、この地母に戻っていくのです。」 [( )内は筆者の補足]

 これは裁判の訴訟のときの証人喚問で述べられたものですが、裁判のルールに基づいているものではありません。ナバホの人たちはこういう文章からいったいどういうことを言っているのでしょうか。法律的にどうかということではなく、地母、母親としての大地というものの大切さを主張しているのです。しかし、ここで言われていることは、なかなか私たちには解りにくいのです。どういう論理がこの中に含まれているのでしょうか。

 ナバホの聖地というものを見ますと、東にシェラ・ブランカ(シエラブランカピーク4373m)、東の聖なる山、文字どおり「白い山」です。砂絵では、東の方に白い丸として描かれます。南がマウント・テイラー、南の聖なる山、これは青い砂で描かれます。西の聖なる山がサン・フランシスコ山(3858m)、これは黄色の砂で描かれます。北がラプラタ、これは黒の砂で描かれます。

 こうした聖なる山のほかにもナバホの人たちのところには非常に多くの聖地があります。チャスカ山脈の周辺、南部ではチャコ川の流域、また西のグランドキャニオンの北部地域などに、非常に多くの聖地があります。そこは、バゾノーダのおばあさんが言うように、花粉を供えて祈りを捧げに行く場所でもあるわけです。聖地は、地図を見てもふつうの場所でどこが聖地か分かりません。外から見た目には、どこが聖地か分からないのです。そのためにかえって壊されやすいのです。いかにも聖地らしいという場所ではないのです。

 聖なる山は非常にはっきりと見えますが、もう少し狭い範囲、自分たちが居住地にしているところの周辺にある聖地というのが景観的に非常に見えにくくなっている。そのために鉱山開発に伴なう訴訟が非常に起こりやすくなっているのです。