human and environment
3-2.精子への影響の論議
- 環境ホルモン - 今井 佐金吾
ヒトの精子数の減少については既に1950年代初め頃のジョン・マクラウンドの調査を始まりとして、多くの研究者の調査結果をもとに議論が続けられてきていた。この頃の議論の根拠となった数値は、1950年以前の男性について、精液1mLあたりの精子数の平均が1億個以上、そして正常値が6千万個とするものであった。 この問題について世界的な議論に火をつけたのは、デンマ−ク・コペンハ−ゲン大学・発達生殖部のニ−ルス・スッカケベックの研究チ−ムであった。 彼らは、それまでの議論を踏まえて精巣ガンや男性器の先天性奇形の増加について研究を行っていた。この研究の一環として、彼らは1938年から1991年の間に、西欧諸国、インド、オ−ストラリア、ブラジルなど20カ国における精子数の調査結果が報告されている論文61件、延べ1万5千人分のデ−タについて統計的なとりまとめを行った。その結果、「この50年間余りで精子数が半分に減少した」とする結論を導き、1992年にイギリスの医学誌に発表した。スカッケベックは、この50年間は急速な近代化に伴い、人をとりまく環境が急激に悪化してきた時期に符合することから、この精子数の減少という現象は何らかの環境的要因と関係があるのではないかと考えていた。 スカッケベック・精子数の減少
出典:新潮社「環境ホルモン入門」立花 隆 しかしながら、この研究をキッカケとして、多くの反論がだされることになる。 1.精子数の測定方法が一定でない。 2.不適当な統計方法が用いられている。 3.調査対象の年齢層が一定でない。 4.地域および人種によって元来、精子数は異なる。 5.精子数は、禁欲期間、性習慣、飲酒および喫煙の度合、ストレスなどに影 6.殺虫剤や、鉛、カドミウム、水銀などの重金属によっても影響されるので 以上のような反論を踏まえて、スカッケベックの研究に若干懐疑的であったフランスのジャック・オ−ジェ−の研究グル−プは、さらに厳密な調査を行うことにした。 パリの精子銀行では1973年以降、年齢、禁欲期間、精子提供者の居住地域を限定して、すでに検査を行ってきていた。そこでオ−ジェ−らは1992年にパリ周辺在住の30才の健康な男性1350人に限定して、3〜5日間の禁欲期間を置いてサンプリングし、同じ精子銀行で同じ検査法を用いて精子数を計測した。その結果は1945年生まれの人が30才になった年、1975年に採取した精子の数は精液1mLあたり1億2千万個であったが、1962年生まれの男性が30才のとき、1992年に採取した精子の数は5千百万個であった。つまり、この約20年間に精液量には変化がないにも拘わらず、精子数は半分に減少しているとの結論に達した。そして、この精子数の減少傾向がつづくとすれば、2005年に30才になる男性の精子数は3千2百万個になってしまうとしている。
しかしながら、同じ頃に発表された別の論文では、フランスのトゥ−ル−ズという比較的環境汚染の少ない地域で行われた同様の調査では、精子数の減少は認められなかったと報告している。従って、この結果とスカッケベックの結果を勘案するとき、やはり何らかのかたちで環境要因が精子数の減少に寄与しているのではないかと考えられる。 さらに、彼らはもう一つの重要な事実を明らかにしている。すなわち、精子の質の低下である。つまり、精子の生存率、及び運動率の低下、精子の奇形率の増加が続いているとし、結果として精子の受精率の低下を招き、生殖能力が落ちてくる可能性のあることを示唆している。 精子の奇形の図 出典:新潮社「環境ホルモン入門」立花 隆 オ−ジェ−らは当初、スカッケベックらの研究に疑念を持ち、これに反論するために研究を行ったのであるが、皮肉なことに結果は彼らの研究成果を支持するものとなった。 以上のように20世紀後半において、精子数の減少や精子の質の低下についての議論は続いているが、現段階ではヒトに本当に起こっているか否かは未だ結論が出ていない。 |