human and environment
1-4. 権利概念の拡張 −生存権と自然の「一応の prima facie 権利」−
- 地球環境問題の解決に向けて - 谷口 文章
義務論における「権利−義務」の図式は、二項対立の概念の典型である。それは、どちらかが重視されるというものではなく、両者が表裏一体した双務関係の概念であることが特徴的である。環境破壊を防止するためには、現在の世代が“ある種の”権利と義務を有するといわざるを得ない。それは従来の厳密な概念ではなく、W.D.ロスがカントの厳密な義務論を現実に適応できるように工夫したように、「一応 prima facie の」義務と考えてよいであろう。そのような形で、現在まだ存在しない人格にも適応して、未来の人格の存在を設定できるであろう。それは、必ずしも双務関係がなくとも「第一印象からして自明な Prima facie 」概念として工夫されねばならない。そのことで、存在しない人格の生存権や人格そのものでなくとも自然にも権利を認めることができよう。
- A. 生命が存在するための条件
- 空間的にまた時間的に有限な地球において生命が持続的に存在するための条件として、生存権と自然物の権利がある。ここには、従来の倫理学における権利・義務の概念という双務関係は成立しない困難な議論がある。そこに環境倫理学に拡張された「“一応”の権利・義務概念」が要求されるわけである。
そこで前提となる第一のものは、人間をも含むあらゆる生命の生存権である。それは、従来の人間中心主義的(エゴセントリック ego-centric )なものの見方・考え方ではなく、生態系中心主義的(エコセントリック eco-centric )な視点に立ったものとなる。さらに第二の前提として、人間、動物、植物はもちろんのこと、岩、山、河川なども含めた自然物の権利を認めることである。これらは、人格的・非人格的双務関係をも含む権利・義務の成立する「場」としての前提条件である。
- B. 自然物の権利
- 自然物の権利については、早くからアルド・レオポルドが土地倫理について提唱している。「土地倫理 land ethics とは、要するに、この共同体(個人と社会)の境界を、土壌、水、植物、動物、つまりこれらをひとまとめにした『土地』にまで拡大するのである」と述べる。
従来の倫理は個人や社会がおたがいに助け合うための規範であり、人間と土地および土地に依存して生きる動物や植物との関係を律する規則ではなかった。その意味で、レオポルドは倫理規則を、「個人」、「社会」に次いで、さらに自然の重要な構成員である「土地」という自然物に拡張した倫理について提唱した点は重要である。
- C. 生存権と自然の権利の特徴
- 生命の生存権のために自然物の権利があると考えないで、両者は同時に生じると捉えなおす発想が必要である。なぜならば、自然は生態系であると定義すると、次のようになるであろう。人間→動物→植物→生物→無生物の一方の方向と、逆に無生物→生物→植物→動物→人間のように、自己回帰しながらシステム的(入れ子状)に連鎖している。つまり、生態系をベースにした自然物の権利を認めることは、人間と無生物を分断することなく循環的にすべての生命の生存権を認めることでもあるのである。
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