human and environment
1.医療環境の歴史
- 医療環境と生命倫理 - 谷 荘吉
先ず、医療環境という言葉の内容をどのように捉えるかを、明確にして置きたい。それは、かなり幅の広い概念であり、様々な使われ方がされていると思うからである。例えば、最近では、病院環境のアメニィティが問題になっている。しかし、病院環境の問題は、医療面での病院機能に適した環境であるかどうかの方がより重要な課題となる。一方で、地域社会における医療環境となると、かかりつけ医(家庭医)の存在分布がどうなっているのかとか、二次病院、三次病院(救急病院)の地域的役割分担がどうなっているのかなどが問題となる。それは、医療行政との関係もある。現在、医療環境が良好かどうかを検討するとすれば、市民の生活圏における医療対策が関わりを持つことになる。即ち、急病の発生時における救急医療の対応がどうか、一般の病気で入院が必要になった時にどうするのか、慢性の病気の治療について、家庭医の役割や、市中病院の在り方はどうなのかといったことが問題となる。それとは、全く異なる面として、それぞれの医療内容を、医療環境という表現で評価されることがある。従って、医療環境の定義は非常に困難であるが、 1医療の内容のこと、 2医療現場の環境のこと、 3地域社会における医療施設の存在分布のこと、の3種類の使われ方がされているといえよう。ここでは、日本における医療環境の歴史概観としての纏めとして、日本における医学医療の発展に関する要約を試みることにしたい。 日本における有史以前の医学は、新石器時代の遺跡の資料から、「むしば」と骨の病気に関する報告がある。居住環境、生活環境と自然環境との関係で、外傷に関する資料やお産に関する資料が認められている。原始医術は、動物的本能的療法として考えられていることは、唾液により嘗めること、摩擦すること、口で吸うこと、掻くこと、異物を除くこと、毒物を飲ませ吐かせること、などである。 日本史上からの考察としては、「古事記」(712年)、「風土記」(719年)、「日本書記」(720年)、に医術に関する記載が認められている。病気は、「神の意に因る」とされ、「祟りにより、病気が悪くなる」と考えられていた。祈祷、呪いが行われていたようである。600年代に、中国「唐」へ医術を学びに遣わされた者が帰国し、後の漢方医術の草分けとなっている。当時さらに、インドの自然哲学的医学の影響を受け、経験的、宗教的医術が発展した。病院形態の始まりは、施薬院(730年・聖武天皇の皇后職)とされている。現存する最古の医書は、「医心方」(982年)である。
奈良・平安朝時代から、鎌倉時代には、仏教の影響が強く、僧侶が医術を施し、僧医が活躍している。解剖学、生理学、病理学などが発展した。内科、外科などの臨床面も充実した。室町時代(1333年)には、実験的治術が発展する。 西洋医学の輸入は、1549年ポルトガルの宣教師ザビエル等が来日し、その後、キリスト教布教の手段として、西洋医学的医術が伝授された。「南蛮流外科」が発展した。 医療環境 日本に於ける医療発展の歴史概観 江戸時代に入ると、鎖国政策のもとであったが、オランダ医学が輸入された。 戦後、GHQの日本に於ける医療政策の推進により、ドイツ医学からアメリカ医学への転換がなされ、今日の高度先端医療の時代が到来することになった。 国民皆保険制度の導入により、受診率は向上したが、保険医療財政の破綻を来たし、遂に、医療と福祉の役割が切り離され、2000年4月から、介護保険制度が施行されることとなった。老人医療の在り方が大変換を遂げる時代が来るであろう。 医療環境の改善という観点から、将来像を展望するならば、21世紀に向けて医学医療の担う役割は、予防医学としての生活習慣病対策(生活環境の改善)が最重要課題となると思われる。 病院と開業医家風景概観 けがの治療風景 救急車 病院内部の手術場 地域の大学病院 解体新書(表紙)北陸先端科学技術大学院大学附属図書館所蔵 |