ところで,環境主体となるものにはいくつかのレベルがある。人間を例にしたとき個人のレベルに始まって家族,地域住民,人種や民族,国家の構成員などのレベルで考えることができる。もちろん他の生物との関係では人類全体というレベルも成り立つ。したがって環境問題もそれぞれのレベルごとに存在することになる。個人のレベルの環境問題のとき,それがほとんど他に影響を及ぼさないものであれば個人の価値観や判断で解決してよいであろう。しかし,他に影響を及ぼす場合にはそう話は簡単でない。ある人にとって環境が改善されたとしても他者にとっては環境が悪化する場合はしばしば見受けられる。こうしたことは個人レベルだけでなく,人種や国家レベルでも存在する。歴史上の出来事をいくつか思い出してみればうなずける。たとえば,西ヨーロッパの人たちが新天地を求めてアメリカ大陸へ移住したのは自分たちの生活をよくするため,言い換えれば環境を改善するための行動であった。しかし,そのことによってもともとそこで生活をしていたネイティブ・アメリカン(従来はアメリカ・インディアンと呼ばれていた)たちにとってはそれまでの生活スタイルを変えざるを得なくなった。それは彼らにとって環境悪化であったかもしれない。
今私たちに求められているのは、一見自分とは関係なく、他者が環境主体となっている環境問題に対して自分もその環境主体であるという認識に立って、その解決に向けて共に努力することである。実際にさまざまな地球規模の現象は人類全体を環境主体とする環境問題となっている。「エゴ」(自己中心的意識)から「エコ」(共生の思想)への変革。それを促す教育活動がまさに環境教育なのである。
EGOISTIC →(environmental education)→ ECOLOGICAL