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4-4-9 新しい性的女性の身体像
新しい性的女性の身体像が生み出された背景とその機能

アメリカ像の変遷――「インディアン」から「白人」の国へ

 では、他のヨーロッパ諸国と異なるこれらのアメリカのセクシーな女性像は、なぜ、生み出される必要があり、どのように機能したのだろうか? それは、ギブソン・ガールの誕生からクリスティ・ガールへの発展の過程で述べたように、ヨーロッパからの「借り物」ではなく、アメリカ社会から生み出された理想的女性像が、新しい国家に内発的に求められていたことにある。
 歴史を遡ってみると、ヨーロッパ社会における「アメリカ」のイメージは、1492年のいわゆる「新大陸発見」から大きな変貌を遂げてきた16。アメリカ大陸の征服と植民地化を正当化するために、初期のアメリカイメージは、地上の楽園や処女地である一方、人喰いや野蛮な悪習を持った悪魔のようなアメリカであり、そこに西欧が文明をもたらすストーリーが描きこまれていた。

 このような食人・暴力・危険に満ちたアメリカはしばしば「インディアン」の姿を取って西欧のキリスト教文明に対比されたが、白人支配と独立戦争を経験する18世紀に入ると大きな変化が訪れる。彼らは「インディアン」ではなく「白人」の国として、自国の歴史と国土を理想化する必要に迫られたのである。

 また、18世紀から19世紀にかけてはアメリカでは自国の歴史を理想化し賞賛する歴史画が大量に描かれた時代でもある。ベンジャミン・ウェストやジョン・トランブル、ロバート・W・ウィアーらの画家たちが、独立戦争の英雄や独立宣言起草、ピルグリム・ファーザーズの船出などの場面を描き、栄光に満ちたアメリカ史が視覚化されていった。そして、頭上を舞う鷹のもとで裸の若い女性が国旗を下半身にまとう、1874年の油彩画《国旗の誕生》(ヘンリー・ピーターズ・グレイ作)が制作されるにいたって、時代は新しい自由の女神像を受容する準備をすでに終えていたと言えるのである。

移民の新国家に求められた新しい女性像

 第1次世界大戦時、ヨーロッパの連合軍側と同盟軍側の両方の祖先をもつ移民を中心とした白人社会のアメリカにおいては、敵味方となってしまった出身の異なるバラバラな人々を統合するために独自のナショナルなシンボルが必要とされた。自由の女神に加えてクリスティ・ガールやフィッシャー・ガール、フラッグ・ガールたちは、戦時中には性の欲望を媒介として、大義と愛国心を、戦後には大衆文化の中で消費の欲望を生み出し得た。ポスターに頻繁に登場する古典的な「自由の女神」の図像が、古くはギリシア・ローマ文化に裏打ちされた正統性を暗示し、公式的な国家統一に役立ったとすれば、アメリカで19世紀末から20世紀初頭に誕生した新しいセクシーな女性像は、私的な欲望に働きかけ、両者は互いに補完しあいながら第1次世界大戦期のプロパガンダを担った。

日本への影響

 さらに、これらの新しい女性像は、アメリカ一国内にとどまっていたわけではなく、同時代的に日本にも紹介・消費されていた。たとえば、1921年、朝日新聞社は、蒐集した英米独仏のポスター6000枚のうち、3〜4000枚を大阪や東京で展示し、そのうちの最優秀作170点を1冊の書物にまとめている17。近代日本のポスター史を研究する田島奈都子によれば、1921年には蜂葡萄酒の広告にクリスティ・ガール風の女性が『大阪朝日新聞』に登場し、また、クリスティの「ああ!男に生まれてたら、ゼッタイ海軍!」や、ハリソン・フィッシャーの描く誘惑的な女性看護師の姿が、『朝日グラヒック』で紹介されていた18。しかも、これらのクリスティ・ガールたちは戦意高揚の図像の紹介としてではなく、キャプションによれば「美人画ポスター」として他の日本の美人画ポスターと同列に扱われており、田島によれば、当時の人々の認識を表わしているという。


16 ヨーロッパ文化における他者としての「アメリカ」の視覚表象については、落合一泰「ヨーロッパ美術のなかのアメリカ」『世界美術大全集:先史美術と中南米美術』小学館、1995年。
17 朝日新聞社『大戦ポスター集』1921年。朝日新聞が蒐集した大戦ポスターの枚数などの情報は、同書「序」に拠る。「大戦ポスター展」については、宮島久雄「戦時ポスター展と単化ポスター」『デザイン理論』53、2008年が詳しい。
18 田島氏の論考を参照。田島奈都子「近代日本におけるポスターの認識とその展開」『メディア史研究』13巻、2002年11月。

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