5-2-2 漠然とした関心を記録する
Example ボランティア・サポート・ミーティング 2002年1月23日(水)(グローブ・ネイバーフッド・センター2階ホール) 14:00〜16:00 隔月に開かれるグローブ・ネイバーフッド・センターでのグローブ善隣プロジェクトのボランティアの集会に出席する。
プロジェクトのボランティア登録数は、今月の運営委員会での報告では12人。しかし、今日の集会の参加者は私を入れてわずか4名。ウィークデーの日中に出席できる人は限られている。集会の時間を変更したほうが良いのでは、という意見にたいして、「日が暮れて暗くなってからでは寒いし気分も冷えて外出したくなくなる、時間を変えるなら6時頃」という意見がでる。スタッフPが中心になって集会をすすめる。まず出席者がそれぞれの2ヶ月間の活動内容とクライアントの様子などを報告する。
今日の会議のなかで印象に残った言葉は2つ。一つは、ファミリー・ポリティックス(family politics)、もう1つはバウンダリー(boundaries)。前者は家族間の政治的関係といった意味で使っているらしいが、ニュアンスとしてはよくない受け止め方の言葉。バウンダリーはより複雑、今日の議論の文脈では、ボランティアが踏み越えてはいけない境界がある、という意味。クライアントが話したいことの聞き役になるのはよい。しかし、クライアントの家族問題に頭をつっこんではいけない。クライアントが、宗教について自発的に話すのを聞くのはよい。しかし、ボランティアが自分の宗教を説いたり、クライアントの信仰に介入してはいけない。月、火、水、木、金、土、日と、定期的に飲む薬が決まっていて、それを飲むのを助けることはある。しかし、医療行為をしてはいけない。マッサージをしてもいけない。 「英語が分からなければ、質問してね」とAが私に声をかける。「スラングなんか使っているから分かりにくいわね」とJ。実際に彼らの会話についてゆくのは難しく、後で聞きなおせるようにテープレコーダーで録音してよいか、と尋ねようかと思ったけれど言い出せなかった。今日の会議は、2階のホールで、正方形の小テーブルを6人が囲んで、それぞれが主役のように話していた。MUGIKOといういつもとは違う人間が一人まじり、ひたすら聞いていたから、皆は普段より議論に集中したのだと思う。午前中の重い雲が去って、少し明るくなった空からの柔らかい光が、ちょうどいい照明になって、ホールの真っ白な壁を背景にして、それぞれの顔がきれいに浮かんでいた。今日の一人一人の存在とことばを映像に残したいな、と思った。けれど、たとえば、テーブルの真中に小さなテーブレコーダーを置くと、それだけでも微妙なその場の均衡が崩れそうな気がした。もう少しこのままでいて、記録するときはインタビューという形式(調査というかたち)をとって、一人ずつの話を聞きたいと思う。今は、まだその時ではない。
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