社会調査工房オンライン-社会調査の方法
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5-2-6 道具としてのビデオ・カメラ・レコーダー
Example Nのフィールドワーク

「催し案内」 N(1925年生まれ)は、軍隊に勤務していた父とともに幼少を英領インドやジャマイカで過ごし、自身も大学へ進学する前に入隊し1943年から47年までインドとミャンマーに駐在している。大学卒業後は英国、ナイジェリアでの長年の英語教師をへて、インナー・ロンドン教育委員会に1989年まで勤務し退職した。Nの両親の双方の家系の何人かは、ロンドン郊外のエンフィールドのライフル工場に働き、技術者や軍人としてかつての大英帝国の植民地に渡っている。Nが家系を調べ始めたのは次のようなきっかけからだった。2000年7月のある日、すでに亡くなっている父親のアルバムのあいだから1枚のカードが落ちた(左写真)。1907年9月28日、英領インドでのイギリスのライフル工場の完成を祝ったイベントの案内であり食事のメニューがついていた。場所は、カルカッタ(コルカタ)近郊のイシャポール(Ishapore)である。どうしてこんなものが父のアルバムに?先祖たちが歩んだ時代と社会をたどるNの家系調査が始まった。

 私は自分の英領インドに関する調査研究の一環として、Nの家系調査に興味をもった。Nと私の研究内容は異なるが、大英帝国に関わっていた人々を対象とするという点では共通している。Nは植民地へ渡った先祖たちについて調べていた。私は、植民地におけるヨーロッパ人浮浪者に関心をもっていた。もともとは、バングラデシュ農村での物乞についての調査がきっかけである。実地調査を行うなかで、浮浪者や物乞を取り締まる法が存在することを知った。社会的、文化的、経済的にも、現状把握と位置づけがこれほど難しい物乞を、法律のなかでは取り締まりの対象として定義することが可能なのだろうか。そんな疑問から浮浪者法について調べ始めた。バングラデシュの現行の浮浪者法は、英領インドにおいて、1940年代に制定されたベンガル浮浪者法を継承したものであった。さらにその70年も前に、英領インドでまずヨーロッパ人浮浪者を取り締まる法が制定、実施されていることがわかった。人々を管理、統治する体制を整備するなかで、物乞や浮浪者というカテゴリーをどのように定め法を運用したのか。さまざまな眼差しが交錯する植民地という場所での浮浪者取り締まりについての史料研究は、私自身がもっている視線を意識して見つめなおすよい機会となるのではないか、と考えて2001年の在外研究のテーマに選んだ。

 Nは、ロンドンのファミリー・レコード・オフィスや地方の公文書館などでさまざまなドキュメントを収集し、ロンドン市内や近郊の先祖ゆかりの地へ足を運び現地調査を行い、自分と同じように家系調査をしているカナダ、アメリカ、ニュージーランドなどに住む遠い親戚や知人と毎日のようにEメールで情報交換をしている。彼らとNは、家系調査の雑誌やインターネット上で初めて知り合った。Nの先祖たちは植民地のシステムを利用してそこに収入獲得の手段を見つけた人々であり、私が関心をもっているのはそのシステムから外れそうになって取り締まりの対象となった植民地における貧しい白人たちである。Nの自宅に遊びにいっては、彼の調査の話を聴いて、19世紀、20世紀のイギリスの時代背景を具体的に想像することができた。

 Nとともに彼へのインタビューの計画を立て始めた。第3者に伝えるという意識をもつことで集めた資料の整理の仕方は確実に変わる。Nにとってもこのインタビューは、まとめながら調査をすすめるよい機会になると思った。ところがその矢先に、Nの病気が見つかり、喉の手術をしてしばらく声を出すことができなくなった。話す代わりにNは書き始めた。私は調査の方法とプロセスを記す章を設けてほしいとリクエストした。21世紀の現在を生きるNが19世紀の親族の足取りをたどることができる、という事実に私は興味をもった。そこに本国と植民地にまたがる人間と記録を管理する当時のシステムがあり、それが現在にまでつながっている。

「Nが制作したファミリー・ヒストリーの表紙」
「Nが制作したファミリー・ヒストリーの表紙」
写真「ビデオ・カメラをとおして語るN」
「ビデオ・カメラをとおして語るN」2003年8月

 1年後Nの声が回復し、2003年8月にインタビューを開始した。それまでに彼は、A4用紙にして59頁におよぶファミリー・ヒストリーを書きあげた。そこには公文書館で収集したドキュメントや自分のアルバムや親戚から集めた古い写真や現地への取材写真が多数挿入されている。彼の調査の成果はそのレポートに細部まで記載されているので、インタビューは、彼の調査がどのように展開したかを軸に組み立てることにした。日によってNの声は変わったけれど、カメラに向かって話し続けた。紆余曲折をへて展開される彼の調査のプロセスは、まさにフィールドワークである。長年教師をしていた彼は、私にたいして話しているというよりは、ビデオ・カメラをとおして学生に向けて、彼自身について、調査について、イギリスについて語っているのだと思う。

N自身によるNのフィールドワークの紹介(2004年)

 2004年8月、Nとの再会。Nのファミリー・ヒストリーの調査はさらに年代をさかのぼってすすんでいた。上記の「Nのフィールドワーク」の英訳(N's approach to family history research)を見せ、Nに、彼の調査のプロセスと具体的な方法を、このコンテンツのために書いてほしいと依頼した。Nのファミリー・ヒストリーの調査方法は、親戚からの情報収集や、自分の足で先祖ゆかりの地を訪ねるだけでなく、地方やロンドンの教会、文書館、あるいはインターネットを利用した史料調査、家系調査をとおして知り合った共通の先祖をもつ国内外の仲間との情報交換など、多岐にわたる。帰国後、Nとメールでやりとりして原稿(N's approach to family history research N.writes)ができあがった。写真や史料の一部も挿入している。過去の記録を探索するフィールドワークの事例として参考にしてほしい。


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