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5-2-8 記録を読み解く/フィールドワークをつくる
1970年代の都市のコミュニティ開発プロジェクトの実験的試み

ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクト
 都市貧困問題委員会(City Poverty Committee)が関係者各位にたいしてハマースミス・コミュニティ開発プロジェクト(Hammersmith Community Development Project)の趣旨を説明した文書(1972年8月28日付)および、「ネイバーフッドの目覚め(Waking Neighbourhood)」と題した1973年1月の雑誌記事1には、都市貧困問題委員会およびハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトの目的について次のような内容を記している。

 「イギリスの都市における貧困や社会問題は解消されるどころか、貧しい人々はより貧しく、裕福な人々はより豊かになり分極化がすすんでいる。劣悪な住宅、生活環境、教育の欠如、低賃金、失業といった社会問題は放置されたままになっている。都市の貧困やさまざまな剥奪は、行政の上からの政策だけでなく、市民自身が問題に取り組むことによってはじめて解決しうる。ローカルレベルでのコミュニティ開発が必要である。こうした理念のもとで都市貧困問題委員会は1960年代にロンドンの北ケンジントンのノッティング・ヒルにおいて長期にわたるコミュニティ開発を試み、1967年のサマー・プロジェクト、ゴルボーン・ネイバーフッド・カウンシル(Golborne Neighbourhood Council)、西ロンドン・フェア・ハウジング・グループ(West London Fair Housing Group)の活動を実施し、大きな成功を収めてきた。
 都市貧困問題委員会は1972年より都市の「斜陽地域」(twilight areas)において新たなプロジェクト、「ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクト」を5ヵ年計画ですすめている。現在、ハマースミス自治体の協力をえて当自治区内のグローブ区においてプロジェクトを実施するための調査を行っている。
 プロジェクトには3つの目標がある。第1に、グローブ区においてネイバーフッド・カウンシルを結成すること。これはもっとも民主的なコミュニティ開発の方法であり、かつ都市部において革新的なアクションを起こすきわめて効果的な戦略である。第2に、地元の人々が利用できるプロジェクト・センターを開設すること。そこで福祉、教育、人権問題や人々が必要とする住宅、環境、教育、就職、コミュニティ活動などの問題を扱う。第3に、調査、評価、トレーニングのための地元の組織をつくること。当面はハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトをすすめるためであるが、ゆくゆくは他地域でも同様のプロジェクトを検討してゆくうえで重要になる。ハマースミス自治体は社会サービス局からソーシャルワーカーを派遣するなどしてプロジェクトに協力するが、財政的には、最初の2年間は都市貧困問題委員会が民間団体からの助成金2をえて費用を工面する。プロジェクトの有効性が認められた場合、残りの3年間は自治体が助成を行う予定である。」

 都市貧困問題委員会は、国会議員を含む政治家や学者が参加する全国組織の慈善団体である。ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトの代表者は、当時ハマースミスのメソジスト教会の牧師であったDavid Mason(以下Dと記す3)であるが、都市貧困問題委員会そのものは宗教団体ではない。貧困やさまざまな権利の剥奪は、市民参加による運動のなかでのみ真の解決に至るという理念のもとで、貧富の差が大きく人種暴動で有名となっていたノッティング・ヒルの一区に1960年代にネイバーフッド・カウンシルを結成し、カーニバルを企画・実施するなど一連のコミュニティ開発を手がけてきた。その都市貧困問題委員会が1970年代に実施した試みが、ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトであった。では、ロンドンの数ある「斜陽地域」のうちなぜ、グローブ区がプロジェクトの対象として選ばれたのだろうか。
コミュニティ開発のモデル地区としてのグローブ/典型的な都市の貧困区
 『ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクト第1回報告書1972-73』には、ハマースミス自治体について次のように言及している4

 「12年にわたるノッティング・ヒルのコミュニティ開発の試みそれ自体は成功であったが、この地域を含むケンジントン自治体はロンドンでも2番目に裕福な地域であり、自治体やこの地域で勢力をもつ政党からは、都市貧困問題委員会の活動にたいする適当な協力とプロジェクトの成果にたいする正当な評価をえることはできなかった。地方自治体とは一定の距離を置きつつ協力的な関係を維持したうえで、都市貧困問題委員会独自の活動を展開することができる行政区を探す必要があった。ハマースミス自治体には、都市貧困問題委員会の委員長と良好な関係をもつ政治家が存在する。タウン・ホールの関係者や地元の諸団体と話し合い、社会問題を地域のなかから抜本的に変革してゆこうとする都市貧困問題委員会のプロジェクトにたいする理解をえることもできた。またハマースミスはインナー・ロンドンにあり、伝統的に労働者階級の割合が多くコミュニティ活動が根づきやすいのではないかという期待もあった」。

 ハマースミス自治区のなかでもグローブを対象区に選んだ理由については4点をあげている5

 「第1に、人口規模が適当であること。コミュニティ開発には人口1万人から1万1千人程度が適当であるとされている。グローブ区の人口は1966年統計では10,310人、1971年には約9800人である。第2にインナー・シティを代表するような立地条件にあること。自治区の中央に位置しタウン・ホールまで徒歩5分である。2つの地下鉄駅に近く、地域の主要な道路と接している。第3に、これまでコミュニティ開発の歴史がなく、他のプロジェクトの活動と抵触、競合せず、住民の先入観もない。第4に、きわめて『普通』であること(“Grove Ward was so ordinary and so normal!”)。ノッティング・ヒルのような黒人と白人の対立はみられず、極端な貧困地区ではなく大きなスラムもない。さまざまな社会問題は存在するが改善してゆくことができる。ただし放置しておくと次の10年間に急速に悪化する可能性があり対策が必要である。つまり、グローブは、ロンドンのインナーシティの他の地域においても、リードやバーミンガムやマンチェスターなどイギリスの都市においても共通するような都市問題をかかえた典型的な区であり、プロジェクトのモデル地区としてふさわしい6

 ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトは、都市のコミュニティ開発の実験的な試みを実施するうえで、改良の余地のある社会問題をかかえたイギリスのどこにでもあるような典型的な都市の貧困区として、グローブをプロジェクトの実施対象区に選定したのである。こうした地域外部の開発プロジェクトの活動にたいしてグローブの住民たちはどのように対応したのだろうか。プロジェクトの『第1回報告書1972-73』には、ネイバーフッド・カウンシルを結成するまでのプロセスを詳しく記している。
グローブ・ネイバーフッド・カウンシルの結成
 ハマースミス自治体との協議をすすめながらハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトは、1972年9月よりグローブ区においての活動を開始した。自治体から派遣されたソーシャルワーカーとともに地域の実態調査をすすめる一方で、ハマースミス自治体議会の議員などの紹介をとおして地元の協力者のネットワークつくりに取り組み、毎月、地元住民を交えた集会を開催した7。1973年1月には、ネイバーフッド・カウンシル結成に向けての準備委員会を設置した。この委員会からはバラ議会や市議会の議員は外した。
 1月23日に、第1回の住民集会(Public Meeting)を開催し、グローブ区のネイバーフッド・カウンシルの委員(Councillors)を選出する住民投票を1973年6月第3週の週末に実施することを決議した。またコミュニティ新聞を発行することになり、会場から6名のグローブ区住民が協力を申し出た8。新聞は、『ネイバーズ W6』(“Neighbours W6”)と名づけられた。「ロンドンで最も小さな新聞」と銘打ち、月1回3000部を発行しグローブ区の全世帯に無料で配布した(ニューズレター[5-2-4])。地元の身近なニュースを掲載するとともに、自分たちの声を直接に反映させることができる住民による住民のためのカウンシルをつくろうと、ネイバーフッド・カウンシル結成にむけての情宣活動を展開した。他方、準備委員会ではネイバーフッド・カウンシルの規程つくりをすすめていった。3月にはノッティング・ヒル・ハウジング・トラスト9の協力をえてグローブ内の古い住宅を無料で借り、カウンシル結成にさきがけてネイバーフッド・センターを開設した。
 1973年6月17日(土)と18日(日)に住民投票が実施された。グローブ区内を1つないしは複数の通りを合わせた18の選挙区に分け19の議席を設け、34名の候補者が争った。有権者は、18歳以上のグローブ区居住者であれば国籍を問わない。選出された19名のうち7名が女性である。9名が45歳未満、うち20歳代が3名いる。スペインや西インド諸島の出身者を含み、職業や立場も、ローマ・カソリック・シスター、テレビ局のプロデューサー、電気技師、建築工事の労働者、電話のオペレーター、主婦など多様であった10
 選挙の5日後、選出されたメンバーが初会合を開き、委員長、副委員長、会計、書記を選び、『ネイバーズ W6』の継続発行を決めた。1973年のグローブ・ネイバーフッド・カウンシル規程第2条にはカウンシルの目的が次のように定められている11。「(a)コミュニティに関する問題について住民の意見を代弁する。(b)行政や公共機関、慈善団体、その他の地域の諸団体に働きかけ必要に応じた行動を起こす。(c)地方行政や地域に関する情報を広く提供する。(d)Grove Wardの住民にとって有益な合法的活動を行う。」
 8月13日に、グローブ・ネイバーフッド・カウンシルは住民集会を開き活動を始めた。タウン・ホールの関係者を招き、ショッピング・センターの再開発や新しい道路計画についての説明を受け、グローブ内の交通問題などについて話し合った。その後、定期的に住民集会を開き地域の問題について議論を交わし、必要があれば地方自治体に意見を届け議論の場を設けた。ネイバーフッド・センターには一名のスタッフが雇用された。センターを拠点に住宅問題などについての住民からの相談を受け、子育て支援や高齢年金受給者のグループつくりをすすめ、30年後の今日にまで続いているさまざまな活動をてがけてゆく。グローブ・ネイバーフッド・センターの活動資金を集めるためにジャンブル・セール(古着や雑貨のバザー)を開催し、クリスマスには高齢の年金受給者へ食料品の小包を贈り、社会福祉の活動が休止する休暇期間に生活に支障がないように支援を行い、夏にはグローブの住民が参加する野外でのカーニバルを開催するなど、地域住民が直接に関わるイベント、活動を展開していった。住民集会やバザーなどのイベントで多人数が集まる場合は、センターの狭い部屋ではまにあわず、地域の複数の教会に場所を借りた12
コミュニティ開発プロジェクトの後方支援/ネイバーフッド・カウンシルの独立
 ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトはコミュニティの組織つくりとその活動を支援するプロジェクトであるが、住民組織の主体ではない。グローブ・ネイバーフッド・カウンシルが結成された後、プロジェクトはこの住民組織にどのように関わっていったのだろうか。プロジェクトの『第2回レポート』にはこう記されている13

 「グローブ・ネイバーフッド・カウンシルが結成された今、ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトの役割とは何かを認識する必要がある。当プロジェクトはネイバーフッド・カウンシル結成に向けて全力を尽くしてきたが、ネイバーフッド・カウンシルの決定権はプロジェクトにではなく、ネイバーフッド・カウンシルそれ自体にある。プロジェクトはカウンシルと相互に深く関係しているが、それぞれ独立した組織である。プロジェクチームは、コミュニティ開発や組織の運営についてネイバーフッド・カウンシルを先導するのではなく、しかし、必要な場合には専門家としての知識を提供する。」

 具体的には次のような方向でプロジェクトを継続しネイバーフッド・カウンシルの支援を行うとしている。

 「第1に、人々のコミュニティ活動を支え、多くの人々が区(Ward)における意志決定に参加できるようにする。第2に、一般の人々がコミュニティの問題を認識し取り組んでゆくことができるようにコミュニティ開発のスキルを伝授する。第3に、バラ議会の議員たちとの議論の場を設けるなどして、区の住民の日々の暮らしと地方行政をつなぐ。第4に、コミュニティ・センターの場所を確保できるよう支援する。第5に、グローブ区の住民たちからの求めに応じたアドバイスを行う」。

 1973年のハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトの報告書の最後は、「触媒、批評家、革新者として活動することこそ、プロジェクトチームの機能である」という、ある社会経営学者の言葉を引用している。ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトは行政と住民とのあいだにたち両者をつなぐ媒体となるが、ネイバーフッド・カウンシルの活動に直接には携わらずあくまでも後方からの支援を心がけたのである。
 プロジェクトが5年目を迎えた1976年1月、グローブ・ネイバーフッド・カウンシル、ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトとハマースミス自治体のそれぞれの関係者が、プロジェクトの今後と、行政とネイバーフッド・カウンシルの関係について話し合う会議がタウン・ホールで開催された。行政からは住宅・社会サービス部門の指導者やコミュニティ・ワーク・アドバイザー、グローブ区の3人のバラ議会議員、ネイバーフッド・カウンシルの6人の委員、そしてプロジェクトからは代表者のDと都市貧困問題委員会の代表者が出席した。グローブ・ネイバーフッド・カウンシル関係者は、彼らが地域住民の声を反映させることができる組織であり、いまやハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトの支援から自立して活動してゆくことができると述べた。Dは集会が始まる前に次のような内容の覚書を参加者に配布している14

 「ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトは都市貧困問題委員会による5ヵ年のプログラムである。最初の3年間はネイバーフッド・カウンシルを結成、コミュニティ・センターを設立して、これらのコミュニティ活動を軌道にのせるための支援に奔走した。ネイバーフッド・カウンシルは今や、これまで作成した2つの報告書に詳細を記したとおりプロジェクトからの支援がなくても活動を展開してゆくことができるまでに成長した。これはグローブ区だけでなく、ホワイト・シティをはじめハマースミス北部の他の区でも同様のコミュニティ開発を展開させうる可能性を示している。
 コミュニティ開発プロジェクトの次の段階は、社会政策と連携させることである。地方政府が貧困、ホームレス、搾取、人種差別、不平等を撲滅してゆくためには中央政府の適切な対策が必要となり、地方自治体は、地域の住宅、教育、コミュニティの問題の必要を把握して保健、社会サービス、開発計画局を機能させてゆかなければならない。コミュニティ開発の障害となるのは、貧困や剥奪を浄化しようとして都市問題を断片的に片付けようとすることである。幸いなことに、ハマースミスにおいて我々はそうした過ちは犯さなかった。グローブにおけるコミュニティ組織化を慎重にすすめ、地方自治体の諸部局との関係にも注意を払ってきた。そしてプロジェクトを中心となって動かし展開させてきたのは、何よりも地域住民であった。」

 この会議の2週間後、ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトは活動を終了することを決定した。1976年3月、グローブ・ネイバーフッド・センターは、ブラドモア・パーク通りのプレハブ住宅に場所を移した。以後、グローブの住民によるグローブ・ネイバーフッド・センター独自の活動を展開してゆくことになる。

1 Municipal and Public Services Journal , Vol.19,January 1973,pp.78-80
2 ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトの最初の2年間は、関係者の給与や調査費などの経費の75%をCity Parochial Foundationから25%をCalouste Gulbenkian Foundationからの助成金でまかなった。
3 「論文やWeb SiteにおいてDavid Masonの名前を本名で掲載させていただいてよいか」という私からの依頼にたいして、メイソン氏から了承の手紙(2003年12月22日付)をいただいた。そこには、「私はハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトや都市貧困問題委員会の活動に携わってきたことを誇りに思っている」、と記されていた。
4 The Hammersmith Community Development Project , First Report 1972-1973 , p.2 以下、『第1回報告書1972-73』と記す。
5 上掲書p.3
6 同時期に作成された書類には、グローブがいかに貧しいかが強調されている場合もある。1974年にグローブ・ネイバーフッド・センターが作成したUrban Aid Applicationでは、“London’s Deprived Areas-A Comprehensive Approach”, (Report〔17.7.73〕 )にもとづき、グローブが早急に貧困対策を実施する必要がある地域であり、コミュニティ・センターの土地、建物を確保する必要性を訴えている。当然のことであるがどのような目的で誰に向けて発信された書類であるかによって、同じ地域についての記述も強調点が異なる。
7 グローブ内に場所を得るまでハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトのオフィスにはハマースミスのメソジスト教会の施設が使用された。グローブ内には大勢の住民が集まる公共施設がなく、Holy Innocent Parish Churchか、Evangelical Baptist Hallの協力をえていずれかを集会場として利用していた。
8 『第1回報告書1972-73』pp.4-6
9 1963年に設立された住宅協会。老朽した住宅の改良、行政の公営住宅の民間への払い下げの仲介や低所得者層の住宅利用の支援などを行う非営利団体。
10 18区のうち1区は有権者数が多くここからは2名の委員が選出されたが、他は1名である。最初40名が立候補を届け出たが6名が取り下げ、実際の選挙では34名が19議席を争った。委員1人あたりの投票有権者数は240人から344人、投票率は、5%から35.6%、平均すると20%である。上掲書、Appendix F
11 “The Grove Neighbourhood Council Constitution(1973)”
12 The Hammersmith Community Development Project Second Report , 1975
13 『第1回報告書1972-73』pp.17-19
14 “Hammersmith Community Development Project Evaluation and Assessment 1976” 草稿(グローブ・ネイバーフッド・センター所有資料)pp.4-5

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