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環境計測のための機器分析法 茶山健二
5章 ICP発光分析法 プラズマに試料を送り込む
5-1  はじめに
分光化学分析の発展
 表5・1に分光学または分光化学分析の発展における重要事項を列記しました。分光学の歴史は、17世紀の半ばすぎに行なわれたNewtonの発見にさかのぼります。太陽光を小孔を通して部屋に導き入れ、プリズムを用いて可視部のスペクトル線を壁面に作ることに成功しました。自然が太古の昔から中天に示していたスペクトル、すなわち、虹を人の手によって作った最初でした。
表5・1 分光化学分析の発展の歴史
1666年I.Newton:プリズムによるスペクトルの発見
1800年W.Herschel:赤外領域の発見
1802年J.W.Ritter:紫外領域の発見
1817年J.Fraunhofer:フラウンホーファー線の発見
1860年G.R.Kirchhoff, R.Bunsen:炎光分析法の創始
1885年J.J.Balmer:水素スペクトルの観測
1890年H.Kayser.J.R.Rydberg:スペクトル線の数式による表現
1896年P.Zeeman:ゼーマン分裂の観測
1913年N.Bohr:水素原子模型の提唱
1925年W.Schrodinger:量子力学の提唱
1930年H.Lundegardh:噴霧式バーナーの開発
1955年A.Walsh, C.T.J.Alkemade:原子吸光分析法の創始
1964年J.D.Winefordner:原子蛍光分析法の創始
1964年〜
1965年
V.A.Fassel, S.Greenfield:誘導結合プラズマ(ICP)発光分析法の創始
 その後19世紀に入ってFraunhoferによるフラウンホーファー線の発見など、太陽スペクトルが研究の対象でした。1859年に至り、Kirchhoffが発光吸光スペクトルの理論づけを行なって、この分野の近代的発展が飛躍しました。その最初が発光分光分析でした。すなわち化学者であったBunsenが物理学者であったKirchhoffと一緒に、発光スペクトルが元素に特有のものであることを用いて、セシウム、ルビジウム、タリウムなどの発光スペクトルにより、これらの新元素の発見を行いました。

 Bunsenが用いた光源は、いうまでもなく炎でした。これが分光化学分析のはじまりでしたが、目に見えるという重要な理由があったにしても、原子吸収によらず、原子発光により分光分析がスタートしたことは、きわめて重大でした。なぜならば、その後100年の間、人々は、原子吸光を用いずに、原子発光のみによって、分光分析を行なってきたからです。

 この100年の間、炎と並んで研究され、使用された発光光源は直流弧光(DCarc)と火花(spark)でした。前者は、炭素電極の中央部に孔を作り、そのなかに試料を入れて陽極とし、同じく炭素電極を陰極として、両極間に100〜200Vの直流電源より10A程度の電流を流して電弧を生じさせます。数千度の高温により、試料が蒸散して電弧中に入り、電子流の衝撃により、原子が励起発光します。電弧の部分はプラズマとなります。後者は、同じく炭素電極、または金属の検体自身が電極となり、1〜2mmの両極間隙に、高圧の火花放電を起こさせて、試料を形成している物質の元素の原子を放電火花中において、励起発光させます。この部分もプラズマです。この2つの電気的励起法は、回路の組み方、電極の形状、性質、試料の与え方などによりさまざまの仕様が出てくるため、それらに関する数多くの研究や報告が行なわれ、分光化学分析の一つの隆盛期を作りだしました。Lockyer, Hartley, Gerlachらがその代表的な貢献者として名をとどめました。

 弧光、火花の改良が、いわば出つくした後でLundegardhの装置で代表されるように炎が再び注目をあびる時期がありました。水素やアセチレンを酸素または空気と燃焼させて得られるいわゆる化学炎は、燃焼熱が主な励起源であって、電子密度は当然弧光、火花よりは少なく、プラズマの定義からは遠いわけですが、当然のことながら、発光線の数が少ないのです。このことは化学分析のためには長所となり得ます。この長所を生かして、短所である適用範囲の狭いことを改良しようという試みが、この時期に行なわれました。高温のシアン-酸素炎などがその例でした。

 そして1955年に至り、Walshの警告によって、原子吸光時代が始まります。Bunsen以来100年の間人々は原子をいかにして励起状態に上げて、分光分析に都合のよい発光を行なわせるかに努力をしてきました。そして、フラウンホーファー線を用いる原子吸光をかえりみませんでした。科学の歴史のなかでは、必ずしもまれではないのだが、誠におろかなことでした。この点にやっとWalsh, Alkemadeらが気づいて、その後十数年、現在に至るまで、微量金属分析が、原子吸光法によって一新されたことは、人々の知る通りです。この間、発光法を行なってきた分光化学者たちが、いかなる方向に進んだかもまた興味ある事態でした。原子吸光にいち早く切り換えた人々も多いし、また応用面を必要としたグループにとっては、それは当然そうあるべきであったが、なかには発光に固執して吸光に対抗しようという科学者もいました。わが国においても、外国においてもその傾向は存在しました。ことにアメリカの分光化学者のなかには、原子吸光が、オーストラリア、ヨーロッパにおいて開始された故もあって、とくに対抗の傾向が目につきました。Winefordnerによる原子蛍光の研究は、その良い例であったといえます。

 それにも増して、アイオワ大学のFassel教授の主張が興味がありました。同氏は原子吸光が盛んになったときにも、原子発光がいかに遜色がないかを唱えつづけました。炎を用いた吸光と発光に関してすら、その立場を述べていた時期がありましたが、それは同氏の発光分光化学者としての立場から当然のことであったのでしょう。Fassel教授らの重要な貢献によって、誘導結合プラズマの装置が、多元素同時微量分析法として、ついに実を結んだということは、同教授の過去を見るときに、尊敬に値する努力と業績であったと同時に、発光、吸光、発光と繰り返えされている分光化学分析の歴史のうえから、誠に興味ある発展過程といえるでしょう。

 きわめて最近の事項として、ICP質量分析法を無視するわけにはいきません。プラズマ中の荷電粒子を質量分析により検出する試みが行なわれ、感度の点からまた同位体分析の点から分光法と並んで注目すべき手段となりつつあります。
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