modern chinese economy
3-1. 矛盾を押しつけられた辺境省
担当:甲南大学 青木浩治 藤川清史
解放直後は都市部には、職業を持たない者が多く存在していました。1949年当時は約4分の1の労働者が失業していたと言われています。また、それ以降は、農村から都市部に人口が流入していました。その理由のひとつは、資金を中央に集中し、重点プロジェクトに配置したために、農村部の生活環境が悪化していたからです。
そのため、共産党政府は彼らを出身農村に戻す政策をとりました。しかし、-農村部は農村部で、女性や地主階級が農業労働者になったために、労働力が余剰になりました。そこで、共産党政府は余剰労働力を辺境地域に入植させる政策をとりました。
図3-1に内蒙古と新疆(ともに辺境地区)の人口純流入率(%)と、上海の人口純流入率(%)を示しました。1960年近辺は、いかに辺境地域での人口増加が大きかったかがわかります。上海では1950年代から70年代にかけて、人口が流出していますが、これは失業者が上海から流出したためです。
このように、1950年代の経済建設は、辺境地域・少数民族地域に、漢民民族地域の矛盾を押しつける格好で進行しました。
図3-1 辺境地域・大都市の人口流出入
注) 純流入,流出率:各省自治区人口を分母に(流入-流出)を分子とする.
出所)小島麗逸「現代中国の経済」岩波新書、32頁
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