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modern chinese economy
4-1. 「紅衛兵」の出現と路線対立
担当:甲南大学 青木浩治 藤川清史


紅衛兵
紅衛兵
(毎日新聞提供)

 第3章で述べたように、1962年に開かれた中国共産党中央拡大工作会議では、劉少奇とケ小平が大躍進を総括し、経済建て直しのための政策を提案しました。彼らの提案は、「調整、強化、充実、向上」であったので、「八字方針」と呼ばれます。具体的には、自留地、自由市場、損益自己負担、農家の生産請負を推進し、農産物買い上げ価格の大幅引き上げ等でした。農家の生産請負制度は労働の請負制度は、政府と請負契約をした農産物や労働以上は、個人のものになるという制度で、生産の回復に重要な役割を果たしました。このようにして「脱大躍進」が進みました。

 ケ小平が「生産の拡大が実現するなら思想の件はたいした問題ではない」という意味で「白い猫でも黒い猫でもメズミをとる猫がよい猫だ」(白猫黒猫論)と発言したのはこのころです。

 劉少奇とケ小平の登場は、毛沢東の地位の相対的な低下を意味しました。そこで、毛沢東が取った手段とは、彼らグループを「実権派」(権力主義者)「走資派」(資本主義者)と決め付け、糾弾することでした。そのために展開した大衆運動のことを「文化大革命」と呼んでいます。

 まず手始めが、軍の取り込みです。軍には近代化を急ごうとする羅瑞卿グループ(かつての彭徳懐派)と思想や階級闘争を重視する林彪グループがありました。毛沢東は、この対立に目をつけて、林彪を支持し羅瑞卿グループを追放します。これにより、林彪指揮下の人民解放軍を見方にします。林彪はこの恩義に応えて、1964年に「毛沢東語録」という赤い文庫本を発行します。林彪は毛沢東を「マルクス・レーニン主義者の最高峰」と称え、「毛沢東語録を読み、毛沢東の指示に従って仕事をしよう」と呼びかけます。これにより、毛沢東の権威は次第に回復します。

林彪
林彪
(UPI・サン提供)

 1960年代初めは歴史上の人物をめぐる文芸評論が活発でした。その中で北京の副市長呉ヨ(ゴカン)が著した歴史劇「海瑞免官」が話題になりました。この筋書きは、清代の清廉な官吏である海瑞が、他の官吏の不正を正そうとするのですが、かえって皇帝から罷免されるというものです。これに対して、毛沢東は妻である江青に連絡をとり、上海から批判の評論を始めるように指示していました。1965年に上海のジャーナリスト姚文元は、『文匯報』誌上に「新編歴史劇『海瑞免官』を評す」を発表します。姚文元はそのなかで、「この劇の本質は、歴史の解釈ではなく、ブルジョア、地主、さらには彭徳懐の名誉回復を狙ったものだ」と呉ヨを攻撃します。劉・ケらは、驚くとともに毛沢東の真意を測りかね、この問題は文芸領域にとどめ、政治問題とはしないように、論争にブレーキをかけようとしました。しかし、こうなることがまさに毛沢東のねらいで、論争を制限しようとする当時の指導層が「ブルジョア分子であり、国民党的、学閥的」であるとして、激しく攻撃しました。

 1966年になると、攻撃のねらいは北京市共産党委員会に向けられました。5月の政治局拡大会議では彭真、羅瑞卿らが書記から解任されます。北京大学では江青の指示を受けた教員らが学長批判の壁新聞を貼り出します。そして、精華大学では「紅衛兵」と呼ばれる組織が登場します。これは日本で言えば「全学連」みたいなもので、体制批判(反劉・ケ)の学生集団です。これ以降さまざまな紅衛兵が組織されます。

 1966年8月の中国共産党第8期11中全会開催され、「プロレタリア文化大革命についての決定」が採択されます。文化大革命は本格的になります。文革の目的は次の2つとされました。

(1) 資本主義の道を歩む実権派をたたく。つまり劉・ケをたたく
(2) 思想、文化、風俗、習慣での四旧を打破する

 この会議で、劉少奇とケ小平の序列が大幅に低下し、代わって林彪が序列2位になります。
さらに紅衛兵による「反劉・ケ」運動は激しさを増し、劉少奇は永久追放、ケ小平は観察処分となりました。

 以上で毛沢東と劉少奇の路線対立・権力闘争は事実上終結ですが、これ以降も文化大革命は地域的・社会的な広がりを持ち、中国の社会に大きな影響を与えました。こうした広がりを見せたのは、社会に広く存在していた、(1)大衆層の富裕層(旧地主・旧富農)に対する不満、(2)大衆層の知識層・エリート層、(3)臨時職員の常用労働者に対する不満、といった重層的な不満が連鎖反応的に噴出したためです。1967年には文化大革命は先鋭化し、各地で激しい武装闘争を引き起こしました。

 毛沢東は、軍人である林彪と後述する宣伝部の四人組を使い、こうした大衆層の気持ちをつかみながら、経済政策にはほとんど無知であった自分の権力を維持しようとしたわけです。
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