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modern chinese economy
4-2. 文革期の経済
担当:甲南大学 青木浩治 藤川清史


 大躍進期には工業製品の販路の計画もなく各地に工場が建設されたのを反省材料として、この時期には投資の計画は中央政府が一元的に行うようになりました。中国共産党の目標は明治維新時期の日本と同様に「富国強兵」ですから、重工業と軍事産業を重視し、それ以外の産業への投資は極力抑えられました。それ以外の産業とは、住宅や下水などの都市建設、学校・病院などの公共施設建設、サービス業関連施設などです。図4-1に都市の人口と住宅建設を示しました。1960年以降は、次にのべるような都市の人口を抑制する政策がとられたため、人口増加率が低くはなっています。しかし、住宅の建設が極めて低い水準に抑えられましたので、都市での住環境は悪化しました。

 文化大革命は「反富裕」が1つのスローガンでしたから、こうした住環境の悪化に不満を唱えることがブルジョア的とされ、紅衛兵につるし上げられるかもしれないので、住民も満足したふりをせざるを得なかったというのが実のところだと想像されます。

図4-1 都市人口との住宅建設
図4-1 都市人口との住宅建設
出所)
小島麗逸「現代中国の経済」岩波新書、66頁
加藤弘之・陳光輝「東アジア長期経済統計 第12巻 中国」の統計データより 作成」

 毛沢東思想のポイントは「肉体労働の重視」と「完全平等」です。こうした考えからすると、都市で知識労働をしている中間層や大学で勉学中の学生は、肉体労働をしていないブルジョアということになります。こうした青年は農村での農作業に従事すべきであるとして農村へ転出させられました。彼らを「下放青年」とよびます。図4-2に示すように、下放は文革初期の1968年には267万人、末期の1975年には237万人という多数にのぼっています。

図4-2 下放と出戻り人口
図4-2 下放と出戻り人口
注)点線部分は年平均.

出所)小島麗逸「現代中国の経済」岩波新書、86頁

 中国での経済成長を図4-3に示しました。大躍進期の極めて大きなマイナス成長は論外として、文化大革命の時期の経済成長は悪かったというわけでもありません。文化大革命の武装闘争の激しかった時期と文革末期の天安門事件前後の混乱期には一時的にマイナス成長を記録しましたが、それ以外の時期は、まずますの成績といったところです。

 経済政策らしい経済政策らしい経済政策がなかったこの時期であるが、農村から安い価格で農産物を買い上げ、国有企業が独占的に(相対的な高価格で)都市住民に販売するという形での「農村収奪」と「強制蓄積」は引き続き行われました。大躍進期の投資率30%というのは無理やりに実施された高率の投資ですが、1960年代から70年代かけて、投資率は20%から30%へと漸増しています。この高率の蓄積体制が軍事大国化と三戦建設を支え、比較的高いGDP成長率を実現することになりました。

図4-3 成長率と蓄積率
図4-3 成長率と蓄積率
出所)
加藤弘之・陳光輝「東アジア長期経済統計 第12巻 中国」の統計データより作成

 都市の労働者も決して優遇されていませんでした。図4-4に都市労働者の賃金を示しましたが、ある程度の経済成長を実現しているにも関わらす、1980年くらいまでほとんど同じ水準得です。企業での貯蓄を投資にまわすため、労働者への分配が極力抑えられたためです。社会主義の体制化なればこそ実現した低賃金の継続ですが、それにしても30年あまりも賃金が不変であったというのは驚きです。

図4-4 都市労働者の賃金
図4-4 都市労働者の賃金
出所)
加藤弘之・陳光輝「東アジア長期経済統計 第12巻 中国」の統計データより作成

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