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modern chinese economy
9-1. 国有企業改革の歴史
担当:甲南大学 青木浩治 藤川清史


9-1-1 二重の意味での移行経済
 中国は人民共和国建国以来、二度の体制移行を経験しました。第一回目は1950年代の「社会主義改造」であり、中華民国時代の「資本主義経済」から「社会主義計画経済」への移行がそれでした。第二回目は1978年の改革・開放以降であり、「社会主義計画経済」から「市場経済」への移行です。

 しかし、同時に中国の経済建設は「農業経済」からの出発でした。事後的に見れば回り道であったかもしれませんが、そもそも中国が社会主義計画経済路線を採用した当初の目標は「経済発展」だったのです。このように、改革・開放路線の底流には(1)社会主義計画経済から市場経済への移行、(2)農業経済から工業化・産業化社会への移行(経済発展)、という二つの移行問題がありました。ですから中国は、しばしば「二重の意味での移行経済」と呼ばれます。

 この二重の意味での移行を円滑に行うために、中国は「双軌制」を採用したことは既に説明した通りです。一言で言うと、「存量改革(既存の計画部門の改革)」と「増量改革(新たに付加される市場経済部門の改革)」の混合路線です。高度成長期にはどちらかというと後者に力点が置かれていたようですが、モノ不足経済が終わった90年代央から、いよいよ「存量改革」が避けて通れない政策課題となります。その中心問題が国有企業改革でした。

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9-1-2 業績不振
図9-1は国有工業企業の赤字額と黒字額の推移を見たものです。これによると国有工業企業の赤字が1989年から激増し、1996年には黒字額を上回りました。2000・2001年では原油価格高騰や政府補助、従業員の解雇等により事態は改善していますが、過去20年間における国有企業の業績はあまり芳しいものではありませんでした。特に1996年第一四半期における国有部門全体としての赤字決算は中国の中央当局にとってはきわめてショッキングな出来事であり、国有企業改革が1998年に首相に就任した朱鎔基の三大改革(国有企業・金融・行政改革)の一つになりました。

 ではなぜかくも国有企業の業績は芳しくなかったのでしょうか。また、国有企業のなにが問題だったのでしょうか。この点を理解して頂くため、最初に国有企業改革の中身について間単に整理しておきます。

図9-1 国有工業企業の損益
図9-1 国有工業企業の損益
資料)国家統計局工業交通統計司編「中国工業経済統計年鑑」2002年。


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9-1-3 単位
 計画期における国有企業は、国家の指令を実行する生産単位であるとともに、政治・生活の場でもありました。基本的に学校、病院、散発屋、風呂、食堂はすべて国有企業の内部で自給され、老後も国有企業から支給される年金によって保証されていました。また。企業には工場経営を委ねられる工場長とともに中国共産党の下部組織があり、そのボスが工場の共産党書記です。もちろん工場長は政府から任命される公務員です。そしてその工場長を指令するのが所轄の官庁であり、これまた共産党の影響下にありました。ですから企業活動と政治活動がごっちゃになっており(「政企合一」と言います)、また生活に必要なありとあらゆるサービスを自前で供給する「小自給経済」でもあったわけです。このように中国では国有企業のようなワンセット社会を、「単位」と呼んでいます。現在進行中の国有企業改革とは、結局のところこの「単位」から「企業」への転換と考えることができます。

注)1993年の中華人民共和国公司法(会社法のこと)の制定により、「国営企業」は「国有企業」という呼称に変わりました。しかし混乱を避けるため、ここでは「国有企業」という呼称に統一しておきます。

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9-1-4 放権譲利から経営請負制へ
 改革・開放の出発時点における国有企業では、(1)企業の経営自主権が、分配を含めて存在しない(基本的に国家の指令に従う)、(2)資産は「全人民所有」である、の二つの特徴を備えていました。こうした状態からスタートして、最初の改革の試みは、農業・財政改革と同じく「放権譲利」でした。すなわち、生産する製品、価格、雇用の決定権限が制限付きながらも企業経営者に移譲され、同時に全額国家に上納されていた利潤が一部留保可能になります(1984年には「利改税」による55%の法人税納税方式に変わります)。

 しかし、赤字はなかなか止まりません。当然です。当時の国有企業は「大鍋飯(どんぶり勘定のこと)」とか「鉄飯碗(鉄製の茶碗は割れないことから、永久就職の意味)」とか言われるように親方五星紅旗そのもので、要するにぬるま湯だったのです。

 こうした中で、1987年頃から「経営請負制」の試みが始まります。具体的には経営者と所轄官庁の間で経営実績に関する契約を取り交わし、それを企業経営者が請負うというものです。しかしその中身は複雑で、企業経営が交渉に変質していきます。第二に、「どんぶり勘定」という問題は一向に改善しません。例えば赤字が出ても、中国の国有企業は全人民所有ですので、その赤字は他ならぬ国民の負担となり、国が補填する仕組みだったからです。なお、こうした仕組みを「ソフトな予算制約(soft budget)」とも言います。

 他方、官庁から指名された経営者を監督官庁が監督するとしても、逐一その行動を監視できるわけがありません。ということは、経営自主権を得た経営者は国有資産をちゃっかりネコババすることも可能です。実際「59歳現象」といって、60歳の定年間近を控えて、こっそり国有資産を自分名義の資産に横領してしまうケースが頻発しています。また、所轄官庁の官僚とグルになればそれはいとも容易であり、その監督はより上級の部門でしか行えません。このように中国のチェックの仕組みはループ状の環になっておらず、そのため経営権を握った経営者には「ぼったくり」の誘因が潜んでいます(「インサイダー・コントロール」と言います)。

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9-1-5 株式制、そして民営化
 こうした結果の責任の曖昧性により経営請負制は急速に後退し、90年代では「財産権」の確定が議論の主題となりました。1993年に確定した「現代企業定立」路線がその節目であり、株式制転換が目玉となります。代表的な例が、国有企業が上場するとか、有限会社化することによって株式会社組織の体裁をとり、その持分の支配的部分もしくは全部を「・・集団公司」という国家から権限を付託された持ち株会社が所有する。そしてこの持ち株会社が傘下企業をコントロールするというものでした。

 しかし、いくら株式制導入により所有権を確定しても、経営の中身は何も変わりません。実際、中国の株式時価総額はGDPの半分程度あり決して小さくないのですが、その内の3分の2は国家保有株であり市場で取引されておりません。まして株式市場はうわさや政策によって左右されるマーケットであり、企業実績の評価の場とはほど遠いようです。また、肝心の公正な会計報告などまだまだ期待薄と言わざるをえません。第二に、債権者といっても銀行ではなく、買い掛け債権という企業間信用が大部分です。ですから単純に株式制に移行したからといって経営メカニズムに対するチェック機能が強化されるわけではなく、依然、監督官庁による行政チェックがその主要なメカニズムです。

 しかし、ルール・メーカーの経営関与は経営の自由度を低下させます。特に市場環境が激変している中国では、経営戦略決定と実行が時間との勝負になります。こうした環境において政治の干渉が経営の最適化と矛盾しない保証はなにもありません。結局のところその最善の決定ができない国有企業は、非国有部門との競争に敗退してゆかざるを得ないわけです。これが国有企業の赤字です。

 こういうわけで国有企業改革の焦点は、その後、国家株の売却、つまり「民営化」に移りました。その転機は1995年の「抓大放小」政策、そして1997年9月の中共第15回代表会議における「国有企業の戦略的調整」でした。要するに中小国有企業は全て民営化(国家株の売却)、戦略的に選ばれた小数の大型国有企業のみ国家コントロール保持という政策です。このうち中小国有企業の民営化は郷鎮企業の民営化も含めて近いうちに完了しそうです。このように中国の国有企業改革は、大型国有企業を残して基本的に全面民営化により当座の幕を下ろそうとしています。中国版「官営工場払い下げ」といったところでしょう。

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