modern chinese economy
11-1. 中国の環境政策史
担当:甲南大学 青木浩治 藤川清史
中国の環境政策は、全国環境会議の開催を区切り目にして大きく4つの段階に分けられます。
第1段階: |
1973年から1982年で、環境管理制度や体制を準備する段階 |
第2段階: |
1983年から1988年で、法整備が行われた段階 |
第3段階: |
1988年以降は環境管理制度が曲りなりにも確立した段階 |
第4段階: |
1996年に第4回の全国環境会議が開催され悪化した生態系の改善へ向けて努力することになりました。 |
11-1-1 1973年〜82年(準備期間)
中国での環境政策は、中国政府がストックホルム会議(1972年、国連人間環境会議)に参加したことを契機に、先進国での環境問題の深刻さを認識したことから始まるといわれています。
翌年の1973年には第1回「全国環境保護会議」が開催され(決議内容は外部に未公表)、それをうけて、1979年には「環境保護法(試行)」が制定されました。こうした動きは、「環境保護は社会主義建設の一部」であるという社会主義国家である中国独特の認識を具現しており、ある意味で、資本主義先進国よりも先進的な対応として評価されます。
言うまでもないことですが、日本を含む先進工業国での環境保護政策は、住民運動(下からの動き)主導であり、政府・産業界はこうした動きに対して防衛的であった。中国では、「方向性」としては先進国の逆となっています。1982年には、環境保護政策の実行機関である環境保護局が設置されました。
1979年制定の「環境保護法(試行)」では、環境保護と経済建設・社会発展の両立が目標とされ、環境汚染の未然防止原則と汚染者負担の原則(誰汚染誰治理)が確立されまし。この試行法で導入された諸制度は次の通りです。
- 環境影響評価制度:環境汚染の未然防止原則に対応する制度
ほとんどすべての事業分野にわたる建設プロジェクトに関して、事業者は環境影響評価大綱を作成し、環境影響評価表および公害防止装置の報告を行う義務があります。これら報告を環境保護局が審査・承認します。日本では1984年の閣議決定で環境影響評価制度が導入されたましたが、一部の大規模事業のみに限られています。
- 「三同時」制度:汚染者負担原則を反映している制度
建設工事を行う際には、建設主体の工事と同時に、汚染防止設備の設計・施工・操業が同時行われなければならないという原則です。より具体的には、環境防止のための設備は、必ず設置しなければならないのに加えて、使わずに放置したり撤去したりしてはいけないということです。
- 「汚染物質排出費」徴収制度:これも汚染者負担原則の反映です。
経済学的にいうと,は公害という外部不経済を内部化する制度でもあります。汚染者は汚染物質の種類と量に応じて課徴金を支払うのですが,汚染物質の排出に一律に徴収される「排汚費」と排出基準を超えた場合に超過量に応じて課せられる「超標排汚費」とがあります。排汚費徴収金額の比率はおおよそ、排水:排気:騒音=6:3:1ということです。
しかし、「汚染物質排出費」制度は政策金融の顔も持っています。排汚費の20%は環境保護局の行政費用(モニタリングのための機器購入など)に使われますが、残りの80%は排汚費を徴収した企業に対して、環境保護設備設置の投資資金として貸付けられます(1988年以前は無償)。この制度は、汚染者負担の原則の反映とは言うものの、企業は政府の設備投資計画に基づいて設備投資を実行してきた以上、政府がそうした企業から排汚費を徴収し、これをまた貸し付けるというのは、自己矛盾している面があります。
11-1-2 1983年〜88年(環境保護制度整備の期間)
1979年以降の改革開放政策により飛躍的な経済成長を遂げた反面、環境汚染が表面化した時期でもあります。
1983年に第2回全国環境保護会議が開催されました。ここでは、環境保護政策は人口問題解決に次ぐ国の政策であることが明確化され、環境問題の深刻化に対する危機感が伺えます。この全国環境会議の前後から、相次いで様々な環境保護関連法が整備されました。1982年の海洋環境保護法、1984年の水汚染防止法、1987年の大気汚染防止法の各法律がこの時期に制定されました。廃棄物を3種類に分割して「三廃」(大気汚染、水質汚染、廃棄物)といいますが、このうち廃棄物の規制法は近年になるまで制定されませんでした、広大な国土を持つ中国ならではの考え方ですが、固形廃棄物の野積み(フリー・ダンピング)に対する意識が低かったことの反映だと思います。しかし、こうした固形廃棄物に由来する土壌や地下水の2次汚染が近年問題になってきています。
1984年には国務院に「環境保護委員会」が設置され、その常設の局(委員会の実行部隊)として、従前の環境保護局を「国家環境保護局」と改称して設置されました。そして1988年には国家環境保護局は国務院の直属機関となり、全国の環境保護政策の実施を担当することになりました。
11-1-3 1989年〜95年(環境保護制度確立の期間)
1989年に第3回全国環境保護会議が開催され、以下に示すような5項目(上記3項目と合わせて8項目)の環境管理制度が確立しました。
1989年には日本での環境基本法に相当する環境保護法が制定された。この法律は都市部の環境保護法の理念を述べたものです。農村部での環境保護の取り組みは今後の課題です。
環境保護法で規定された理念は次の2つ。
- 生活環境・生態環境を保護し、汚染を防止し、人間の健康を保障すること。それに加えて、社会主義の建設を行うこと。
- 「環境」の詳細な定義を行うこと。大気、水、海洋、資源などの用語を定義しました。これによると、遺跡、景勝地、なども環境の一部として規定されています。
1989年に制定された環境保護法のもとでの諸制度は次の通り。
- 環境保護の目標責任制度:地方政府と企業責任者の環境保護に対する責務を明確化するもの。地方政府の首長は環境目標と各年度の事業目標を提出し、それらの結果を自己評価する。
- 都市環境総合整備に関する定量審査制度:環境保護委員会が都市環境の定量的評価を行う。都市部の環境問題が深刻化してきたことに対応している。環境保護委員会は「都市環境総合整備定量審査指標」(環境質量指標37ポイント、環境汚染制御指標37ポイント、環境建設指標26ポイント)を定め、全国32主要都市で実施される(1992年からは37都市)。
- 汚染物質の集中管理制度:工場の移転・集団化で汚染源を集中する制度。汚染防止のためのコストや人員を効率的に投入し、大規模な新技術の導入を容易にし、資源消費の効率化とリサイクルを向上させようとする制度。
- 汚染物質排出登記・許可制度:企業は汚染物質の排出とその処理施設について環境保護局に報告しなければならないという制度。その報告により、環境保護局が汚染処理の審査を行い、基準に見合う企業に許可証を発行する。
- 期限付汚染防除制度:環境基準に達しない企業には期限を定めて改善を指導し、期限までに達成できない企業に対しては罰則(罰金・操業停止)を課する制度。
この時期には、環境問題で世界と歩調を合わせる姿勢も見せ始めています。1992年のリオ会議(環境と開発に関する国連会議、地球サミット)に李鵬首相が出席したのもその現れです。1994年には中国版アジェンダ21(21世紀に向けての環境保護への取り組みのこと)を発表し、環境重視の姿勢を明確化しました。また、従来は国営企業が環境規制の対象でしたが、郷鎮企業も対象に含められることになりました。
11-1-4 1996年以降(生態系の改善へ向けて)
1996年に第4回全国環境会議が開催されました。この会議では、従来の排出口規制中心から総量規制へと重心が移ることになりました。また、相当程度悪化した生態系を改善するため、あるいはこれ以上悪化するのを防ぐために、全国の約10%を「保護区」にするなど、環境保護に本格的に着手することになりました。
このように、制度面から見れば、着実に前進している中国の環境行政ではあるが、中国ならではといえる次のような問題点がしばしば指摘されています。こうした問題の解決が、中国の環境問題の緩和には急務だと思います。
- 企業経営者(とくに小規模企業)に環境意識が欠如していること。
- 中国では規制の存在と遵守とは別物という考え方があること。
- 責任関係・財産所有権の存在が不明確であること。
- 規制に見合う環境技術が欠如していること。