human and environment
転機を迎えた志布志湾問題 (「環境と公害」29巻1号所収)
- 環境法・環境政策 - 大久保 規子
- 1. 志布志湾開発問題の経緯
- 宮崎県南部の都井岬から鹿児島県東串良町に至る幅約15km,南北16kmの志布志湾は,日本を代表する白砂青松の景勝地であり,日南海岸国定公園に指定されている。志布志湾問題の発端は,鹿児島県が昭和43年に発表した『20年後のかごしま』なる構想と,昭和46年の「新大隅開発計画第一次試案」である。第一次試案は,志布志湾の沖合2kmまでを埋め立て,2,730haを造成し,石油コンビナートを誘致するという厖大な計画であった。だが,早い段階からの組織的住民運動と経済情勢の変化により,昭和51年の第二次試案では埋立面積は1,160haとなり,さらに,その後,湾の南側にある柏原地区の沖合500mに76haの埋立地を造成し(出島方式),国家石油備蓄基地を建設するという案にまで,計画は縮小された。
他方,湾の北側に位置する志布志港湾においては,昭和54年,若浜地区埋立地の造成を柱とする改訂港湾計画が策定され,昭和55年に約98haの埋立てが認可された。この埋立ては新大隅計画とは別個のものであるとされたが,第二次試案の一号用地案と埋立部分が重なっており,新大隅計画のなし崩し的着工であると批判された。
このように志布志湾の南北から進められる開発計画に対し,一部漁民を含む反対住民は,環境アセスメントの不備,漁業権者の不同意,埋立ての公共性の欠如などを理由として,柏原地区および志布志港湾の公有水面埋立免許・承認処分の取消訴訟を提起したが,何れも,原告適格なきものとして却下された(柏原地区に関する鹿児島地判昭和62年5月29日判時1249号46頁,福岡高裁宮崎支判平成元年5月15日判タ710号143頁,志布志港湾に関する鹿児島地判昭和60年3月22日行裁例集36巻3号335頁)。
だが,一連の運動を通じ,(1)埋立面積は当初の計画の10分の1程度にまで縮小され,(2)環境庁は「今後,安楽川以南の埋立ては一切認めない」旨を明言し,布志湾開発問題は一応の決着をみた。
その後,柏原地区では平成2年に埋立てが終了,平成5年に原油タンクが完成し(貯油施設容量500万KL),同年,志布志石油備蓄株式会社(石油公団の70%出資)は,全面的に操業を開始している。また,若浜地区の造成事業は昭和60年に竣工し,昭和62年に開港指定がなされた。
- 2. 海岸線変動と新たな埋立計画
- むつ小川原や苫東開発が多額の借入金を抱え破綻の危機に瀕しているのに対し,志布志湾の自然破壊は最小限にくい止められた。地元住民が,「スモッグの下でのビフテキよりも,青空の下での梅干しのほうがよい」という確固たる信念を持ち,計画の初期段階から,「開発を阻むためには国定公園の指定解除をさせてはならない」との明確な方針を立て,30回以上も環境庁まで足を運ぶなど,20年以上にわたり,先駆的,かつ,ねばり強い活動を続けた成果と言えよう。
だが,その志布志湾でも,埋立事業開始後,(1)水質の悪化,(2)漁獲量の落込み,(3)美しい弧を描いていた海岸線に凹凸ができる,などの変化が現れるようになった。特に,石油備蓄基地のある柏原地区周辺では,平成4年頃から,海岸砂丘の浸食による浜崖ができた。
埋立時の環境アセスメントでは,「埋立地が海岸に及ぼす影響は軽微」である(鹿児島県・波見港公有水面埋立に伴う環境アセスメントの概要)とされていたが,地元住民は,当初から,海岸浸食の可能性を指摘していた。浸食は主に台風によるものであるというのが県の主張であるが,地元住民によれば,かつては,大きな台風が来ても,大規模な浜崖ができることはなかったという。
結局,県は,たい積部分の砂を浸食部分に埋め戻すとともに,たい積部には防砂堤を建設し,浸食部には金網に石を詰めた「じゃかご」と呼ばれる護岸施設を設置し,浜崖をブルドーザーでならすなどの対策をとり,その修復工事費用の一部を石油公団が負担した。だが,じゃかごを設置しても,その両脇が削り取られるだけで,抜本的対策にはなっていない。
他方,志布志港では,港湾取扱貨物量が順調な伸びをみせたことを受け,新たな埋立計画が進んでいる。すなわち,鹿児島県が平成2年6月に策定した総合基本計画には外国貿易コンテナ埠頭の整備が盛り込まれ,平成5年8月,港湾計画の改訂が行われた(平成17年目標)。改訂計画は,港湾区域の南側を新たに95ha埋め立て,新若浜地区を造成することを柱としており,平成9年4月に埋立免許が付与された。現在進行中の総合基本計画第3期実施計画(平成10年度〜平成12年度)では,(1)新若浜地区に国際海上コンテナターミナルを整備し,中核国際港湾(平成8年指定)としての拠点づくりを進める,(2)親水性に富む港湾を形成するため緑地の整備を行う,ことなどが掲げられている。
- 3. フォローアップの義務づけを
- 改訂港湾計画が実施されれば,環境庁がデットラインであるとする安楽川まで開発が進み,大隅計画が発表されてから,志布志湾内で計約400haが埋め立てられることとなる。柏原地区の現況に鑑みれば,埋立後の海浜変形等が危惧されるところであるが,県が実施した環境アセスメント(いわゆる閣議アセス)では,(1)安楽川の南側については,導流堤の施工により,埋立後も,ほとんど海浜地の変更がみられない,(2)導流堤の北側については局所的な海浜変形がみられるが,必要に応じ対策工事を実施する,とされている(鹿児島県・志布志港(新若浜地区)港湾整備事業環境影響評価準備書のあらまし)。
だが,従来,環境アセスメントでは影響が軽微であるとされていながら,その後,海浜の変形,消失が生じた事例は後を絶たない。このことについて,「高山町有明地区コンビナート絶対反対期成同盟」会長であり,長年にわたり地元で漁を営んできた若松与吉氏は,「昭和43年に志布志港に防波堤が建設されただけでも,周辺の潮の流れに変化が生じた。調査期間が1年と言いながら,実測を数日間しかせず,室内実験に多くを依存するようなアセスでは,ダイナミックな自然の変化を予測するのは不可能である」と断ずる。
今年(平成11年)6月に施行された環境影響評価法では,閣議アセスに比して住民参加が強化された。このことは,地元で日々暮らしている住民の経験的知識の重要性が認められたものとして評価できる。だが,同法においても,事後調査は義務づけられていない。今後は,住民参加による事後調査,調査結果の公表,影響が確認された場合の対策,などを義務づけ,過去の経験を確実に次の計画にフィードバックする仕組みを作ることが不可欠であろう。
志布志湾の保全運動は,小さい頃,浜で波貝を採って遊んだ人たちに支えられてきた。「志布志湾公害を防ぐ会」の事務局長を務めた下原慶光氏は,「人々が浜のない生活に慣れ,港湾の存在を当たり前と思うようになることが恐ろしい」,と述べる。最近,県の志布志湾港湾事務所職員の間では,休日に浜辺を歩く自然観察会が行われているという。そのような自主的活動が海浜保全へつながることを切に願う。
(おおくぼ・のりこ)
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