卒業論文「路上ライブに魅せられる若者達〜公共空間に拡大する私的空間〜」
(2003年1月提出)
3つのアプローチの組み合わせ
[動機]
4,5年前から街に路上ライブの光景、「なぜ路上で歌っているのか」という疑問
路上ライブの変遷を知る
社会的背景、路上ライブは時代を映す
・1960年代末〜70年代のフォークゲリラ(社会にたいする主張を歌にする)
・80年代のバンドブーム(自分たちの表現したい世界を歌にする)
・90年代 カラオケの登場、バブルの崩壊、音楽番組の衰退
・90年代後半2人組のバンド「ゆず」登場
ゆずのように歌う若者とたちとそれを囲む観客が全国的に広がる
ゆずのようにデビューする「路上出身者」が登場
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「ゆず現象」、社会へという公に向けられたメッセージ性少ない?
Mさんのヨーロッパ旅行の体験
海外の路上ライブと比較する
海外の路上音楽に注目、日本との相違点
・質の高い音楽(プロ、プロをめざす人々)
・稼ぐ(路上ライブは収入源、聴衆も音楽への評価→お金)
・姿勢(立つ、聴衆と目線をあわす、観客とのコミュニケーション)
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日本で路上ライブを改めて観察する
路上ライブの現状を知るための事例研究
フィールドワーク(現場へ行く)
・三宮と梅田での路上観察(写真、インタビュー、チラシの収集など)
「ゆず」な人;
カジュアルな服装、普通の若者、稼ぐことを重視しない、 自分探し的歌詞、座る姿勢、目線をあわせない、消極的姿勢
*ゆずのような若者が減りセットを組んで演奏するバンド増加(流行の変化)
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[考察]
路上ライブを素材として、現代社会の何を考えることができるか。
現在の日本の若者の路上ライブは、日常の個の空間を公共空間に広げる行為
分析・考察
「ケータイ」や「ウォークマン」の普及による90年代の公共空間における私的空間の拡大。若者達は、公共空間の中で私的空間を作り出すことを心地よいものとする。対人型の直接的なコミュニケーションから間接的なコミュニケーションへの変容、ウォークマンによる場所を問わない音楽。路上も社会の一部であるとは意識せずに、個の日常の延長としての私的空間を作り出す。路上ライブもウォークマンやケータイと同様に私的空間づくりであり、その中に入ってくる観客(仲間)のみとの会話。「ゆず」現象にみられた路上ライブは、若者の現代的コミュニケーションのかたちではないか。
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