5-2-6 道具としてのビデオ・カメラ・レコーダー
Example ビデオ・カメラとセンターの日常 グローブ・ネイバーフッド・センターでビデオ撮影!(2003年8月18日、日誌より) 2003年8月18日、ジャンブル・セール(古着、日用雑貨などのバザー)の手伝いのためにグローブ・ネイバーフッド・センターへ11時過ぎに到着する。すでにテーブルが配置され、仕分けが始まっている。ここへ来るまでの街の風景を撮るためにビデオ・カメラを持っていた。この日、センターのなかでビデオ・カメラを使うつもりはなかったが、手伝うことがなくなって時間をもてあました。カメラを持ち出していたら、「これあなたのカメラ?」とTが聞く。「私のだけど、正確には私のではなく私の大学のカメラ」と返事をし、彼女を撮影してみる。「どうやってグローブ・ネイバーフッド・センターを知ったのですか」と質問をしてみたら、カメラを向けられたTは、「自転車が盗まれてね、それを追跡していたら・・・・偶然センターを見つけたわけ」とどんどん話しだす。「音も入るの?」と彼女が尋ねる。再生してTに映像を見せる。「まじめな顔ね、今朝プールに行ってきたので髪が頭にぺたっ、とくっついてるの」と楽しそうにさらに続けて話す。 周囲にいる人々にも、「ちょっとビデオに撮ってもいい?」と聞いてからカメラを向けて、同じような質問をしてみた。少々緊張しながら、それでも話してくれる。それから今撮影した映像を見せると楽しそうにまた話が続く。これには驚いた。「少しお時間をいただいてお話を聞かせていただいていいですか」といったインタビューの申し込みより、「撮ってもいい?」とカメラを向けるだけで、一瞬にしてインタビューの場が生み出されてしまう。もちろん、最初の一言にたいする相手の反応をよく見る。返事がOKでも、嫌そうだったら短く終える、あるいは撮影を控える。あまりにも個人的な質問やつっこんだ問いかけはしにくいが、こうした簡単な質問には気楽に答えてくれる。ビデオ・カメラは、強引にインタビューの場を設定してしまうある意味で恐ろしい道具である。 グローブ・ネイバーフッド・センターの運営委員会のメンバーは、私が調査のために来ていることは知っているから質問をしやすかった。他の人にビデオ・カメラを用いて話を聞くのはためらわれた。もうすぐ93歳になるLが、「私はね、プレハブ時代からここを知っているよ、最初は一部屋でねえー」と私に話しかけてきた。ひょっとして話したいことがあるのかもしれない。最初、ビデオ・カメラを使うかどうか迷い、彼女が販売を担当している衣類カバー売り場の前でうろうろしていた。「何か用?」と尋ねられ、「別に見ているだけよ」とその場から立ち去る。5分くらいたってもう一度近づいて「撮影してもいい?」と尋ねてから話を聞いたら、「生まれたときからハマースミスに住んでいてもうすぐ93歳、90歳の誕生日はね、ここで祝ってもらった。センターがプレハブのときは、部屋は1つだけ、クリスマスの行事なんかをやっていたわ」と話が続く。 最初はマイクをつけないで撮影していたが、私の声ばかりが大きくて相手の声が小さくなる。マイクを接続してコードを伸ばして相手に近づけてみた。Bと話したときは、ブラウスにマイクをつけさせてもらった。こうすると相手の声はしっかり入る。Bは座るより立って話したほうがいいと言い、カメラに向かって真剣に話をしてくれた。彼女は1970年代末からもう25年ほどグローブ・ネイバーフッド・センターの運営委員会のメンバーをしている。現役のなかではもっとも長い。「書記や会計もやっていたから当時の記録をちゃんともっている」と話していた。彼女の口から、ハマースミス・コミュニティ開発プロジェクトの委員長D(Revd. David Mason)の名前が出たことには驚いた。「昨年、彼が歩いているのを見た」という。Dが、グローブ・ネイバーフッド・カウンシルを結成させたセンターの創始者のような存在であることを、私は30年前の書類を読んで知っていた。歴史上の人物が突然、紙から飛び出してきたという感じである。「メソジスト教会の牧師(vicar)だ」という。当たり前のことだが、ドキュメントに書いてあったとおりだ。60歳代、70歳代というが、そんなに若いのだろうか。「連絡がつくかなあ、彼と会うことができるかなあ」と尋ねると、「どうかなあ」、という返事だった。
ジャンブル・セールのお客さんがあまりこないし、台所にいるPと話をする。最近のグローブ・ネイバーフッド・センターの変化を聞くと、「火曜日の午後にホールをイラク人コミュニティ協会(Iraqi Community Association)が使うようになったのも大歓迎。9.11のあとムスリムにたいする偏見もあるし、センターを彼らが使うことによってさまざまな人にセンターが開かれていますよ、というアピールにもなるし、いろいろな人が交流できることはとてもいい」との意見。さらにPが参加し、センターで交流会を開いているビフレンディング・ネットワーク(Befriending Network)について尋ねると、Pが体を起こすようにして話しだす。死を宣告されている人々とともに活動をしてゆくための組織である。専門家(医者やソーシャルワーカー)ではなく、家族でもない、そうした立場だからできることがある。相手にとって話しやすかったり、何かを頼みやすかったり。ボランティア活動であるが、参加者はトレーニングを受ける必要がある。個々人の活動の内容は、限られた関係者以外に話してはいけない、これが大原則である。インタビューという場を設けるよりも、ビデオ・カメラで撮影しながら話を聞くよりも、こうした立ち話のなかでのほうが、本当は話がしやすい。Pは私が調査者であることを認識しているから、そこで話してはいけないことは明かさない。意識して話さないというスタンスをきちんと持っている人との話は、拒絶されたような距離感を感じるときもあるが、私にとっては楽である。 |