DSTは、最初は個人の物語を語る「下からの」運動として始まりました。デイナ・アチュリー(Dana Atchley 1941〜2000年)による「ネクスト・エグジット Next Exit」と題したアート・フェスティバルにおけるパフォーマンスが、DSTの原点です。 アチュリーは、ローカル劇団のプロデューサー兼演劇コンサルタントのジョー・ランバート(Joe Lambert)に出会いました。ランバートのパートナーであるニナ・ムレン(Nina Mullen)とともに1994年に「サンフランシスコ・デジタルメディア・センター」を設立しました。1998年にこのセンターはバークレーに移動し、名前を「デジタル・ストーリーテリングのためのセンター(Center for Digital Storytelling、以下ではCDSと記述)と改め、現在に至ります。 CDSは、父親と弟たちの成長を記録した祖父のビデオをアチュリーが編集し、ナレーションをつけた「ネクスト・エグジット」の物語の一つを公開しています。 CDSは、「誰にでも語るべき物語がある」という考えに基づき、マルチメディアを利用して個人の物語を制作するDSTワークショップ・プログラムを開発しました。ワークショップは、3日間連続(9〜17時)で実施されます。一人一台のパソコンを使用し、ワークショップの最後には自分のDST作品を完成させます。CDSは、コミュニティ・アート実践としてDST実践を位置づけました。それは、「プロ」と「その他大勢」という芸術に見られる差異化へ反発でした。DST実践は、参加者が中心であり、DST作品の制作を通じて、社会変化を促進する「人々のあいだでの自律的で創造的な交わり」が可能になるというのです(Lambert 2012)。
ランバートは、以下のようにも述べています(Lambert 2009a)。
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