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3-3. 再び積極主義へ:フォードからカーター政権へ

担当:甲南大学 稲田義久


 ジミー・カーターは1976年秋の選挙で共和党の現職フォード大統領を破ります。そして、77年1月に第39代アメリカ大統領に就任します。4年の在任期間を全うしますが、彼は辞めた後のほうがいい仕事をしたといわれるほど、任期間中(特に後半)の経済パフォーマンスはよくありませんでした。

 任期後半には第2次石油危機が発生したため、経済パフォーマンスが急速に悪化します。これに対して積極的な財政・金融政策(activism)で切り抜けようとしたのですが、経済政策は主として需要拡大に偏ったものであったため、サプライ・サイドの改善にはつながりませんでした。実際、任期中の労働生産性の平均伸び率は0.7%にまで低下し、一方、インフレ率は9.9%に加速しました。

3-3-1 第2次石油危機とスタグフレーション
 1977年のロンドン・サミットで「機関車論」が提唱されました。第1次石油危機で不況に陥った世界経済を回復させるための1つのアイデアです。すなわち、成長余力のある国が世界経済回復のためのけん引役を果たすという構想です。経済成長を促進するための政策手段としては、積極的な財政支出の拡大と緩和的な金融政策が必要とされました。しかし石油危機後のコスト・プッシュの強まる状況では、積極的な経済政策はむしろインフレを加速する結果となりました。

 加えて、1979年にイラン革命を契機に第2次石油危機が発生しました。78年まで供給過剰気味に推移した世界の石油市場は、イラン革命によるイラン原油の生産・輸出の急減をきっかけに一変しました。石油価格は78年12月のOPECアブダビ総会から80年6月のアルジェ総会後までの期間に約2.4倍(1バレル=12.92ドル→同31.47ドル)に引き上げられました。

 「機関車論」の実行で需要が拡大したにもかかわらず大きな供給制約(石油の供給削減)が生じたために、生産水準は低下(失業率は上昇)し物価水準は上昇するという状況、すなわち、スタグフレーションが発生したのです。

 実際、第2次石油危機後の1980年の消費者物価で見たインフレ率は13.5%となり、前年の11.3%から加速しました。失業率も79年の5.8%から80年には7.1%にジャンプしました。この結果、悲惨度指数は79年の17.1ポイントから20.6ポイントへと上昇し、戦後最悪の記録となりました。なぜスタグフレーションが起こったのでしょうか。これを理解するためには、総需要・総供給(AD-AS)曲線のフレームワークが便利です(コラム:総需要・総供給分析を参照)。

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3-3-2 石油危機の教訓
 2度にわたる石油危機は戦後のアメリカ経済の潜在的な体質を鮮明なものとし、アメリカの経済政策の欠点を明らかにしました。

 石油危機は、まず第1に、アメリカ経済がきわめてインフレ体質にあることをはっきりさせたのです。これは戦後のアメリカの企業体制と労働組合の関係に起因するといえるでしょう。石油危機のような大きなショックで相対価格に変化が起これば、企業や労働組合は自らが不利にならないように両者の関係が均衡するまで調整を行うでしょう。これがインフレ・スパイラルの加速要因なのです。

 第2に、これまでの経済政策が総需要の管理に重点を置きすぎて、供給サイドを等閑視してきたことが明らかになりました。すでに見たように、総供給曲線が供給ショックにより左にシフトする場合は、短期的には必ずスタグフレーションの状況が発生します。積極的な財政金融政策で総需要曲線を右にシフトさせることにより、生産の落ち込みや失業の発生を軽微にすることはできるが、その場合、インフレは一層加速することになります。

 これらの状況を回避するには、供給サイドを強化する必要があります。具体的には生産性を高めることが必要で、経済政策も総需要管理のみならず供給力を強化するような政策を志向すべきなのです。これらの政策課題は、次の選挙のときに「サプライ・サイドの経済学」としてはっきりし意識されます。

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