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modern american economy
4-2. レーガノミクスの現実

担当:甲南大学 稲田義久


 すでに見たように1980年代の経済成長率は84年の例外(+7.3%)もありますが平均的に見て低いといえるでしょう。ところがよく見ると、この低い成長率も政府、個人、ひいてはアメリカ全体が借金を著しく増やすことによって、やっと成し遂げられた観があるのです。別の言い方をすれば、アメリカ経済はマクロ的に自国で生産した以上に消費したのです。この点を、部門別に貯蓄・投資の関係から見ましょう。

4-2-1 マクロ・バランス
 マクロ経済学の基礎から、事後的には民間部門と一般政府の貯蓄投資差額(バランス)を合計した額は、海外部門の純貯蓄(経常海外余剰)に等しいのです。これは以下のように導出できます。

Y = C + I + G + E - M (1)
Y = C + S + T (2)

 (1)式はGDPを支出面から見たものです。すなわち、GDP(国内総生産:Y)は民間消費(C)、民間投資(I)、政府支出(G)と純輸出(輸出マイナス輸入:E-M)の各需要の合計に等しくなります。

 (2)式はGDPを処分面から見たものである。3面等価の原則から、国内総支出は国内総所得に等しく、総所得のうち一部分は消費され、残りは貯蓄(S)と税収(T)という形態で処分されます。

 (2)式から(1)式を控除すると、次の(3)式が成立します。

(S - I) + (T - G) = E - M (3)

 (3)式の第1項は民間部門の貯蓄投資バランスです。第2項の税収は政府部門にとって所得であり、政府支出は政府消費(CG)と政府投資(IG)からなります。したがって、第2項はT - G = T - CG - IG = SG - IGと表すことができ、政府の貯蓄投資バランスになります。

 (3)式から、民間部門の貯蓄投資バランスと政府部門のそれの合計は、海外部門の純貯蓄に等しいのです。ここで、海外部門の純貯蓄とは純輸出のことで、正確には、財貨サービスの純輸出+海外からの所得の純受取です。

 (3)式の意味するところは、一国の総投資(民間投資+政府投資)は総貯蓄(民間貯蓄+政府貯蓄)からファイナンスされますが、もし国内の総投資が総貯蓄を上回れば、海外からの貯蓄(マイナスの純輸出)に依存しなければならないのです。すなわち、国内総貯蓄を上回る国内総投資の背景には、必ず経常収支の赤字が必要であることを意味します。

 さてアメリカの政府やメディアには自国の貿易赤字の原因をしばしば日本に帰する議論を当時目の当たりしました。この議論はマクロ・バランスの視点からすれば、まったく的外れであることがわかります。まさに議論は逆で、アメリカは自国の投資をファイナンスすることができないので、貿易収支を赤字にすることにより海外から不足する貯蓄を資本流入という形で呼び込んでいるのです。ですから、日本は賞賛されてよいはずですが、現実には非難されました。まさにパラドックスといえるでしょう。

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4-2-2 双子の赤字:財政赤字と貿易赤字
 以上の準備のもとに、戦後のアメリカ経済の部門別貯蓄・投資バランスを一瞥します。下の図は同指標の対名目GDP比で、(3)式を名目GDPで割ってその推移をみたものです(表4-3 アメリカ経済の部門別貯蓄投資バランス を参照)。

 まず1次レーガン期(81-84年)の部門別バランスの動向を見てみましょう。

 民間貯蓄投資バランスは、カーター政権の1979年の-0.1%から82年には5.0%へと5.1%ポイント上昇しました。これは、民間総貯蓄が18.8%から20.7%へと1.9%ポイント上昇する一方で、民間総投資が不況の影響で19.1%から15.8%へと3.3%ポイント低下したためです。

 政府貯蓄投資バランスは、79年の-1.2%から83年には-5.8%へと4.6%ポイントも低下(悪化)します。80年代年央にかけて、民間貯蓄投資バランスは2.0%台で安定する一方で、政府貯蓄投資バランスは-4%から-5%台で推移し大幅な財政赤字が恒常化します。政府の貯蓄不足幅(T - G < 0)が民間の貯蓄超過幅(S - I > 0)を上回りますので、すでに見たように、海外からの貯蓄(E - M < 0)を必要とします。すなわち、アメリカ経済は大幅な経常収支の赤字に苦しまなければなりません。

 第2次レーガン期(85-88年)では、民間総貯蓄と民間総投資はどちらかといえば両方とも低下の傾向を示すため、民間貯蓄投資バランスは2%台で安定します。一方、政府の貯蓄投資バランスは改善することなく-4%から-5%の間で推移します。このためアメリカの純輸出は赤字を出し続けます。財政赤字が民間の貯蓄超過を恒常的に上回るのが、1次、2次レーガン期を通しての特徴で、いわばコインの裏として経常収支赤字が常態化したのです。財政赤字と経常収支の赤字を双子の赤字(twin deficits)と呼びます。

図4-2 部門別貯蓄・投資バランス:対GDP比:%
図4-2 部門別貯蓄・投資バランス:対GDP比:%

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4-2-3 債務国への転落
 下の図はアメリカの対外純債権、経常収支および貿易収支の動向を見たものです。貿易収支の赤字化は第1次石油ショック後の1976年から常態化しますが、急拡大するのはレーガン期の82年からです。同年の経済はマイナス成長にもかかわらず貿易赤字が拡大したのです。84年には貿易赤字が1000億ドルを突破し、87年には1596億ドルと戦後最悪を記録しました。88年から92年にかけて貿易赤字は減少しますが、それでも1000億ドルを下るのは90年になってからでした。

 経常収支も82年以降赤字が恒常化します。貿易収支と同じようなパターンをたどりますが、91年に経常収支は一旦37億ドルの黒字になります。これは例外的なケースで、後に述べるように、中東諸国や日本、ドイツなどが湾岸戦争に資金的に協力するため、91年に湾岸協力基金援助としてアメリカに438億ドル支払ったためです。これが一時的な資金流入となり、経常収支を黒字にしたのです。

 経常収支の赤字化が常態化したため、1980年に3608億ドルを記録したアメリカの対外純資産は86年に一転362億ドルのマイナスになってしまいます。戦後初めてアメリカは純債務(借金)国に転落したのです。戦後圧倒的な対外資産をもとに一貫して世界に資金を供給してきたアメリカは、今や世界からネットで資金を吸収する立場に代わったのです。これは世界におけるアメリカの権威の失墜にほかなりませんでした。

図4-3 対外責務と経営収支
図4-3 対外責務と経営収支
(出所) Department of Commerce, Bureau of Economic Analysis

 なぜこのように経常収支や貿易収支が1980年代に急速に悪化したのでしょうか。もちろん貯蓄投資バランスの悪化が経常収支や貿易収支の悪化の原因であることはいうまでもありません。なぜなら国内の貯蓄を上回る投資(貯蓄不足)は外国からの資本の流入(経常収支の赤字)で埋め合わせしなければならないからです。その他に、貿易相手国(特に日本や西ドイツなど)の競争力が急速に向上したことや、ドルが大幅に上昇したことが挙げられます。

 下の図はアメリカの財の輸出入動向と為替レートの関係を見たものです。レーガン期に輸出が停滞し、輸入が着実に増加したことがはっきりとわかります。実質実効為替レートは、アメリカの主要貿易パートナー国の通貨を貿易ウェイトで加重平均し、さらに物価の変化を考慮した指数(1973=100)です。同指数が上昇すれば通貨の価値(ドル)が強くなることを意味します。73年を100とすると、ドルは79年に11.8ポイントも低下しましたが、85年に121.7にまで上昇します。79年と比較すると実に33.5ポイントも上昇したことになります。

 急激なドル高の結果、輸出は競争力を失い停滞します。一方、輸入品は国産品に対して安くなりますから急増し、これが大幅な貿易赤字につながったのです。86年以降ドル高は急速に修正されますが、貿易赤字拡大のスピードが止まるのは2年後の88年に入ってからです。為替レートが変化しても貿易収支が変化するまで結構時間がかかるのです。

 余談ですが、当時アメリカに留学中の筆者にとって86年は最高の年でした。具体例で申しますと、85年には1ドル=250円であったレートが86年に1ドル=170-150円まで低下しました。すなわち円は上昇し、ドルは急速に下落したのです。筆者の生活資金は日本から円ベースで送金してもらっていましたから、ドル換算すると86年に限っては毎月30-40%上がったのでした。もちろんこれは一時期のことで、85年までは進行するドル高の影響で逆のことが起こりました。

図4-4 輸出入の動向と為替レート
図4-4 輸出入の動向と為替レート
(出所) Department of Commerce, Bureau of Economic Analysis, Board of Governors of the Federal Reserve System

表4-3 アメリカ経済の部門別貯蓄・投資バランス:対GDP比:%
(出所) Economic Report of the President, 2003より計算。
  国内民間
総貯蓄
個人貯蓄 企業貯蓄 国内民間
総投資
民間貯蓄
投資バランス
政府貯蓄
投資バランス
純海外投資 統計上の
不突号
1960 15.9 5.0 10.9 15.0 1.1 -0.3 0.6 -0.1
1961 16.7 5.8 10.9 14.3 2.4 -1.6 0.8 0.0
1962 17.0 5.7 11.3 15.0 2.1 -1.5 0.7 0.1
1963 16.7 5.3 11.4 15.2 1.7 -0.8 0.8 -0.1
1964 17.6 6.1 11.5 15.4 2.3 -1.4 1.1 0.2
1965 17.8 5.9 11.9 16.4 1.5 -0.9 0.9 0.3
1966 17.4 5.6 11.8 16.6 0.9 -1.2 0.5 0.8
1967 18.0 6.4 11.5 15.4 2.7 -2.8 0.4 0.6
1968 16.8 5.7 11.0 15.5 1.4 -1.6 0.2 0.5
1969 15.8 5.3 10.5 15.9 0.1 -0.2 0.2 0.3
1970 16.7 6.6 10.0 14.7 2.1 -2.4 0.4 0.7
1971 17.8 7.0 10.8 15.8 2.1 -3.1 0.1 1.0
1972 17.4 6.2 11.2 16.7 0.8 -1.7 -0.3 0.7
1973 18.3 7.3 11.0 17.6 0.9 -0.8 0.6 0.6
1974 17.8 7.5 10.3 16.6 1.4 -1.6 0.5 0.7
1975 19.6 7.6 12.0 14.1 5.7 -5.4 1.3 1.1
1976 18.7 6.6 12.1 16.0 2.8 -3.7 0.5 1.3
1977 18.7 6.1 12.5 17.8 1.1 -2.6 -0.4 1.1
1978 18.9 6.3 12.7 19.0 0.1 -1.5 -0.4 0.9
1979 18.8 6.4 12.4 19.1 -0.1 -1.2 0.1 1.4
1980 19.0 7.3 11.7 17.1 2.1 -2.9 0.4 1.2
1981 19.9 7.7 12.3 18.2 1.9 -2.6 0.2 0.9
1982 20.7 8.0 12.7 15.8 5.0 -5.1 0.0 0.1
1983 19.4 6.4 13.0 16.0 3.6 -5.8 -0.9 1.3
1984 20.8 7.7 13.1 18.7 2.3 -4.9 -2.2 0.5
1985 19.7 6.7 13.0 17.5 2.3 -5.2 -2.6 0.3
1986 18.0 6.0 12.1 16.8 1.3 -5.5 -3.1 1.0
1987 17.6 5.3 12.3 16.5 1.2 -4.5 -3.2 0.1
1988 18.4 5.7 12.7 16.1 2.4 -3.8 -2.2 -0.8
1989 17.3 5.5 11.9 15.9 1.5 -3.4 -1.6 0.3
1990 17.4 5.7 11.7 14.8 2.6 -4.4 -1.2 0.5
1991 18.3 6.2 12.1 13.4 5.0 -5.0 0.2 0.3
1992 18.4 6.5 11.8 13.7 4.7 -6.0 -0.6 0.7
1993 17.4 5.3 12.1 14.4 3.1 -5.1 -1.1 1.0
1994 17.0 4.5 12.5 15.6 1.4 -3.8 -1.5 0.8
1995 17.1 4.1 13.0 15.5 1.6 -3.3 -1.3 0.4
1996 16.5 3.5 13.0 15.9 0.6 -2.4 -1.4 0.4
1997 16.1 3.0 13.1 16.7 -0.6 -1.3 -1.5 0.4
1998 15.7 3.4 12.2 17.5 -1.9 -0.1 -2.3 -0.4
1999 14.6 1.9 12.7 17.6 -3.0 0.5 -3.0 -0.4
2000 13.9 2.0 11.9 17.9 -3.9 1.2 -4.0 -1.3
2001 13.8 1.7 12.2 15.7 -1.8 -0.7 -3.7 -1.2

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