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modern american economy
4-3. レーガノミクスの転換
担当:甲南大学 稲田義久


 華々しく鳴り物入りで宣伝されたレーガノミクスは当初想定した成果をあげられず、結果として大きな負の遺産を残しました。すなわち、双子の赤字です。財政赤字と貿易赤字はいわばコインの裏と表の間にありますから、財政赤字を削減することは、民間の貯蓄投資バランスが一定であれば、かならず貿易赤字の縮小につながります。ただ民間の貯蓄投資パターンを短期に変化させるのは容易ではありません。そこでアメリカはまず財政問題の解決にむけてやっと重い腰を上げたのです。

 レーガンの経済再建法では1984年に連邦財政は黒字化すると予想されていましたが、黒字どころか85年には赤字が2000億ドルを超える可能性が高まってきました。経済再建法はまったくのバラ色のシナリオであったのです。このため膨張する財政赤字をなんとしてでも削減しなければならないという意見が議会内外に急速に高まりました(表4-4 財政赤字との闘い を参照)。

 議会は91年度までに財政赤字をゼロにすることを政府に義務付ける法律を85年に可決することになりました。これが第1次グラム・ラドマン法(Gramm-Rudman-Hollings Act)です。

表4-4 財政赤字との闘い
  実績 経済再建法
1981
第1次GRH法
1985
第2次GRH法
1987
総合予算調整法
1990
1980 -738        
1981 -790 -540      
1982 -1280 -450      
1983 -2078 -229      
1984 -1854 5      
1985 -2123 59      
1986 -2212 282 -1719    
1987 -1498   -1440    
1988 -1552   -720 -1440  
1989 -1525   -360 -1360  
1990 -2212   0 -1000  
1991 -2694     -640 -2536
1992 -2904     -280 -2294
1993 -2551     0 -1294
1994 -2043       167
1995 -1640       683
単位 : 億ドル

 同法は86年度以降毎年目標財政赤字の上限額を決めて6年間で赤字を解消することを目的としたものです。翌年度の財政赤字の見通しが目標を100億ドル以上超過する場合は、すべての歳出項目を一律に削減して目標を達成することを政府に義務付けるという、非常に厳しいものでした。

 しかし、どのような厳しい法律にも抜け道があるようで、財政赤字の目標は達成されず1500億ドルを超える赤字が続きました。そのため議会は、財政の黒字化の達成年度を先送りする、第2次グラム・ラドマン法を制定しました。しかし、同法をもってしても財政赤字は一向に改善されず、レーガン政権を引き継いだブッシュ政権の90年度には2000億ドルを超える異常事態となりました。

 なぜ厳格に法律で定められたのに赤字削減の実効が上がらなかったのでしょうか。結論を先取りして言えば、当時のレーガン・ブッシュ政権が口ばかりで財政赤字削減に真剣に取り組まなかったのが原因でしょう。グラム・ラドマン法では、赤字の見通しが目標を大きく超えた場合に歳出を自動的に削減することになっていましたが、赤字の見通しを甘くすれば合法的に歳出削減を回避することができたのです。財政統計が出た後で、見積もりが甘かったとわかっても誰も責任を問われないのです。

 これらの反省を踏まえて1990年には1990年総合予算調整法(Omnibus Budget Reconciliation Act of 1990)が立法化されます。目標年度の95年には683億ドルの黒字を達成しようとした大胆な法律でした。なぜ大胆かといいますと、歳出削減の方法として画期的なアイデアがそこに盛り込まれていたからです。それは、支出金額に限度を設定しこれを超えてはならないという「キャップ」の概念や義務的経費の新規増を実現するにはその財政的手当てを義務付ける「ペイ・アズ・ユウ・ゴー」方式などです。同法のもとで財政赤字の黒字化は実現できませんでした。財政が黒字になるためには経済が空前のブームを迎えるクリントン時代を待たなければなりませんでした。

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