← 5 はじめに
5-2 →
modern american economy
5-1. クリントノミクスとは何か

稲田義久


 クリントン大統領は「大きな政府」を信奉する伝統的な民主党員ではありません。大統領選挙では徹底的に国内経済優先政策(It's economy, stupid! )にこだわり、政治的には共和党の理念も取り込んだ、極めて現実的な政権でした。

5-1-1 共和党政権下ではっきりしてきた深刻な構造問題
 12年間のレーガン、ブッシュ共和党政権下では大胆な実験が行われてきましたが、その割には結果が伴わず、さまざまなひずみが出てきました。当時のアメリカが抱える代表的な問題としては、国内経済の長期的停滞化、産業競争力の低下、社会資本の劣化、中間階層の衰退等が目立ってきました。これは、生産性の低下、財政赤字や貿易赤字の拡大に対して明確な対策がとられなかったことが原因といえます。
 冷戦体制の崩壊という大きな要因が加わる中、将来のアメリカ経済のありようについて、民主党サイドでは様々な提言が行われるようになりました。例えば、ニューヨーク州知事のマリオ・クオモは、1987年に諮問機関「競争力に関するコミッション」を設け、提言を行いました。このコミッションは、まずアメリカの直面する困難として、(1)不十分な公的および民間投資、(2)製造業の衰退・生産性の停滞、(3)貿易収支赤字、(4)財政赤字、(5)弱体化する金融機関、(6)不十分な健康保険制度、(7)拡大する貧窮、(8)低成長、(9)高い失業率、(10)衰退する中間層-高まる所得分配の不平等を指摘しています。
 このコミッションは、直面する困難に対する抜本的な改革(An Agenda for Change)として、(1)生産性を高めるための投資刺激策や社会資本の充実、(2)適切な産業政策、(3)人的資本への投資の拡大、(4)健康保険制度の再構築、(5)経済安全保障会議の設置などを提案しています。このような情勢の中で、クリントン大統領候補の経済政策案が登場したのです。クリントン政権の政策課題はまさに経済再活性化にあったのです。

▲ページのトップ

5-1-2 第1期クリントン政権の経済政策(クリントノミクス)
 選挙キャンペーン中のクリントン大統領候補の経済政策(Putting People First)の骨子は、(1)公共投資、増税・歳出削減の両立型、(2)新規公共投資約2000億ドル、(3)富裕層中心に増税約1500億ドル、(4)中間所得層中心に減税約225億ドル、(5)歳出削減約1450億ドル、(6)1996年度で財政赤字を約1400億ドルに削減、というものです。  93年1月クリントン大統領は就任と同時に選挙キャンペーン中に発表した経済政策を修正して、2月に包括経済政策(A Vision of Change for America)を発表します。  基本的な考え方は、(1)短期的な雇用創出と長期的な経済成長の基盤を築くための景気刺激、(2)アメリカの産業と労働者の生産性を増進させるための長期的な公共投資、(3)公正、公平でバランスのとれた財政赤字削減の3本柱からなります。

表5-2 クリントン大統領の包括経済政策
94-97年
基準財政赤字額 12,410
歳出変化額 -2,230
 国防支出 -760
 非国防支出 -500
 義務的支出 -760
 社会保障費 -210
 利子負担 -240
 小計 -2,470
歳入増加額 -2,460
総財政赤字削減額 -4,930
景気刺激策と投資支出 1,690
 景気刺激策 90
 投資支出 1,000
 投資刺激減税 600
財政赤字削減額 -3,250
予測財政赤字額 9,160
対名目GDP比(%: 97年) 3.3
単位:億ドル
"A Vision of Change for America", February 17, 1993

 具体的には、任期期間中の4年間に、(1)約2460億ドルの歳入増(内訳は、所得税増税で約1380億ドル、法人税増税で380億ドル、エネルギー課税で540億ドル、残りはその他増税)、(2)歳出削減が2230億ドル(国防支出で760億ドル、非国防支出で500億ドル、義務的支出や社会保障費で970億ドル、利子の節約で240億ドル)、(3)景気刺激策と投資支出で1690億ドルの歳出増(景気刺激策が90億ドル、投資支出が1000億ドル、投資減税が600億ドル)、その結果、(4)ネットの財政赤字の累積削減額は基準財政赤字から3250億ドルと見積もられています。財政赤字の対名目GDP比は5%台から3.3%へと低下すると予測しています(表5-2 クリントン大統領の包括経済政策 を参照)。
 93、94年の2年間に短期的な刺激策を集中的に行い、景気を回復させその余勢を借りて歳入増をスムーズに実現しようとしたものです。同時に大胆な歳出削減を行い財政状況の大幅な改善を狙ったものです。
 この政策は長期的には景気抑制的な性格を持ちますが、経済がうまく回れば大幅な財政赤字削減ができ、長期金利の低下をもたらし、長期金利の低下は金利に敏感な住宅投資や設備投資によい影響を与えます(図5-1 財政赤字と国債金利 を参照)。また政府の支出(特に国防支出)を大胆に削減することは普通困難なのですが、時代背景として冷戦体制が崩壊したことが大きな推進要因となりました。これまで軍事支出にまわされていた資金は、社会資本にまわすことが可能となり、経済全体の生産性の向上に役立ちました。戦車の購入にお金を使えばこれは社会的には消費として需要拡大の効果しか持ちませんが、社会資本の拡大にお金が使われる場合は、需要のみならず供給能力拡大の効果を持ちます。このように(社会資本)投資からは将来の所得の流列が期待できます。これを平和の配当(Peace Dividend)と呼びます。このような好循環の結果、98年度にアメリカ連邦政府の財政赤字は黒字に転換します。これはクリントン政権の成果の1つとして記憶されるべきものです(クリントノミクスのシミュレーションについては、稲田義久「クリントノミクスの経済効果」、『日本経済21世紀への展望』、有斐閣、1993年)を参照のこと)。

図5-1 財政赤字と国債金利
図5-1 財政赤字と国債金利

 第1期クリントン政権では、財政赤字削減のほかに貿易政策の面でも成果が上がりました。それは北米自由貿易協定(North America Free Trade Agreement-NAFTA)です。アメリカ本国のみならず、カナダやメキシコといった広域の自由な経済圏が機能するようになりました。
 94年に入り経済は力強い回復軌道にのり始めてきたため、次にクリントン政権は医療制度改革を最重要の課題として取り組みました。アメリカの医療制度は、老人に対するメディケアと低所得者に対するメディケイドを除いて、主要な部分は企業が雇用者に賃金以外に与える民間保険の購入です。この結果、アメリカでは医療水準は世界最先端を行くが、高コストのため医療保険ではカバーできない多くの国民が存在するという、極めて不平等な状況がありました。クリントン大統領は、企業による任意の保険をすべての企業に義務付ける国民皆保険を達成するという野心的な改革案を提案しました。
 しかし、この改革案は結果的に政府の関与を拡大し、大きな政府につながり財政赤字を拡大するものとの批判が強まり、廃案になりました。このような中で行われた94年11月の中間選挙で民主党は大敗します。

▲ページのトップ

5-1-3 第2期クリントン政権の経済政策
 94年中間選挙で民主党は大敗し、上下両院とも議会での多数は共和党に移りました。これは40年ぶりのことです。クリントン政権は、経済の実績は申し分ないのに、分裂政府に逆戻りして政策運営は大きく制約されることになります。以降、大統領は主導権を放棄した形となり、政策決定は滞りがちになります。
 96年11月の大統領選でクリントン大統領はからくも共和党ドール候補を破って、97年から2期目の政権を維持することになりました。しかし、この勝利は決定的なものでなく、アメリカ国民の信任を完全に得たとはいえないものでした。クリントン支持票は全体の49%にとどまり、過半数には達しなかったからです。また引き続き、大統領は民主党、議会は共和党という分裂政府が続くことになります。経済で実績を残したのに、なぜこのようなことになるのでしょうか。これは大統領が極端にリベラルに走るのをけん制し、また議会が極端な保守主義に傾かないように大統領にチェックさせるという、国民のすぐれたバランス感覚の表れかもしれません。
 スキャンダル等で個人的に問題を抱える大統領も、経済がよければすべてよしでなんとか2期目の政権を維持できました。好調なアメリカ経済の背景には情報通信技術の爆発的な普及(IT革命のブレークスルー)を見逃すことは出来ないでしょう。次に、IT革命に焦点をしぼりましょう。

▲ページのトップ

5-1-4 教育に力をいれたクリントン政権
 クリントンは教育や科学技術の役割を政策面で特に重要視した大統領です。例えば、クリントン大統領はすでに94年にInformation Super Highwayサミットで2つの目標を上げました。(1)2000年までに各公立学校においてコンピュータ1台あたりの生徒数を5人までに引き下げる、(2)2000年までにすべての学校がインターネットを使えるようにする、といった野心的な目標設定です。実際、97年には各公立学校においてコンピュータ1台あたりの生徒数は6.3人まで低下し、98年には85%の学校がインターネットへのアクセスが可能になりました。当初の目標はほぼ達成されたといえるでしょう。IT革命のブレークスルーの現実です。ちなみに全人口ベースで見ると、アメリカ人がインターネットを利用する割合は98年12月の32.7%から2000年8月には44.4%と1/3ほど増加しています。この傾向が持続しているとすると、現時点では人口の50%を超える人がインターネットを利用していることになります。

▲ページのトップ
← 5 はじめに
5-2 →