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modern chinese economy
2-2. 国民経済の復興
担当:甲南大学 青木浩治 藤川清史


 政府が着手したのは、次の3つでした。

2-2-1 国営経済の確立
 国営企業の基礎は日本などの外国企業の資産と国民党の官僚資本の没収でした。1949年ですでに、電力の6割、石炭の7割、鉄鋼の9割が国営企業でした。こうした主要産業を国営化することで、共産党政権を安定させるとともに、経済も安定化させようとしました。

 ただ、一方で1950年6月に共産党は「土地改革法」を発布し、2〜3年かけて土地改革を実施しました。これは農民を小作から解放するもので、自作農の育成策ですので、「土地の国有」という共産主義の理想とは異なるものでした。この土地改革の方向は、将来修正されることになりました。
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2-2-2 物価の安定
 革命直後のデータは断片的なものしかないのですが、次のような数字があります(加藤・陳「アジア長期統計:中国」勁草書房)
13都市部の卸売物価は1948年12月を100とすると、1949年12月に7484
15都市部の卸売物価は1949年12月を100とすると、1950年1月に127、同年2月には203
1949年から1950年にかけては、1ヵ月に物価が2倍になるという激しいインフレです。これを共産党政府は、商品の放出と通貨政策でインフレを抑えようとしました。実際、図2-5で見るように、1951年以降大躍進の混乱が起こるまでの約10年間、小売物価は鎮静化しています。

図2-5 小売物価の推移
図2-5 小売物価の推移

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2-2-3 集権的経済管理制度の確立
 国家財政制度を人民政府に集中し、社会主義経済への速やかな移行をめざしました。これは、毛沢東の指導者としての強い個性の表れといえますが、その背景には、東西冷戦という国際環境の変化、そしてソ連からの援助資金がありました。

 また、この時期に起こったいかにも中国らしい大衆運動を紹介したいと思います。1951年末から官僚を対象に「反汚職、反浪費、反官僚主義」という三つの反対運動が起こり、資本家たちに対しても、「反贈賄、反脱税、反横領、反手抜き、反インサイダー取引」という五つの反対運動が起こります。これを「三反五反運動」といいます。特に資本家たちは共産党への忠誠を誓わされることになり、中小の企業も「公私同営企業」として社会主義の枠組みに組み込まれていくことになりました。

 この間の大きな事件といえば、1950年から1953年までの朝鮮戦争でしょう。中国は、アメリカ軍が中国国境付近に迫った1950年10月、彭徳懐将軍を司令官とする中国人民義勇軍を派遣します。これにより、戦線は再び38度線に戻ることになりました。建国間もない中国にとっては、国民党軍との戦闘も完全には終結していませんでしたので、朝鮮戦争への参戦は経済的に大きな負担であったことは言うまでもありません。しかし一方で、中国は東西冷戦の構図に完全に組み込まれ、中国での「反米主義・反帝国主義」が高まります。この結果中国の国民的・政治的結束は高まったといえるでしょう。(抗日戦争当時は中国共産党とアメリカは敵同士ではなく、ともに連合国の一員であったことに注意しましょう)

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