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modern chinese economy
6-2. 放権譲利:財政請負制から分税制改革へ
担当:甲南大学 青木浩治 藤川清史


 「双軌制」により非国有部門の新規参入を容認する一方で、中国政府は計画部門に対する改革を加速化させていきます。その主要な中身は国有企業改革と地方分権化であり、農業・農村改革と同じような「放権譲利」方式がとられました。国有企業改革は後ほど体系的に説明することにして、ここでは財政の地方分権化について説明します。

6-2-1 財政請負制
 中央政府財政の占める比重を歴史的に追った図6-2によると、第一次五ヵ年計画期(1953-57年)まで中国の財政の7-8割方は中央政府に集中していました。しかし、1958年の大躍進から1984年までの期間において「地方政府が財源を集め、それを中央政府が使う」という構造が定着していたことが分かります。つまり、1984年までの中国の中央・地方政府間関係は中央政府を軸とした「巨大な再配分機構」であったわけで、地方政府は中央政府の単なる代行機関にすぎませんでした。

図6-2 中国の財政に占める中央政府比重
図6-2 中国の財政に占める中央政府比重
注)
財政収入・支出は予算内予算の計数であり、予算外予算を含めても基本的傾向は変わらない。財政収入(調整値)とは地方政府からの上納収入から地方政府への補助金支出を引いた額を中央政府本級収入に加えた計数。

資料)
国家統計局編「中国統計年鑑」各年版、中国財政年鑑編輯委員会編「中国財政年鑑」2002年。

 ところが都市部へ改革の重点が移された1985年から1994年まで、中央政府の収入ウェイトと支出ウェイトのギャップがなくなったこと、そして中央財政の比重そのものが低下しています。あるいは同じことを別の面から見ると、地方政府が集めた税収を地方政府自身が留保し、自分でそれを支出できるようになったということです。実はその背後には、「財政請負制」と呼ばれる制度改革があったのです。すなわち地方政府は収入の一定額(定額上納方式)もしくは一定率(固定収入を除いた税収のシェア配分方式と、中央・地方の税収プールとシェア配分方式の二つが存在)を中央政府に対して請負い、残りを地方政府の取り分とすること(「譲利」)、そして財政支出の中身について、中央政府が定める部分以外を自主的に決定できる仕組み(「放権」)がそれです。

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6-2-2 財政請負制の意義と問題点
 このような財政の地方自治そのものは、1980年に既に「特殊政策・弾力的措置」として広東省・福建省の経済特区において認められていました。その成功を受けて、中国政府はその試みを全国展開させたのです。財政の地方分権化は地方政府の政策自由度を高め、中国経済の活性化に役立ったことは疑いもない事実です。広東省のように比較的豊かな省では中央政府の制約から離れて独自の財政運営が可能となり、省益の観点から財源を使用できたからです。

 しかし、やみくもな財政の地方分権化に様々の弊害が伴ったことも事実です。幾つかありますが、それは概ね次のように整理できるでしょう。

(1) 不公平感の醸成
第一に、必ずしも統一された基準に基く制度となっていなかったため、負担の公平性が確保されていませんでした。例えば広東省に比べて上海市の上納負担は相対的に重く、地域による不公平感が醸成されました。

(2) マクロコントロールの喪失と「調整の失敗」
 第二に、地方政府による実質的な税率操作が蔓延します。具体的に言うと、様々の名目で費用や経費を徴収し、それを「予算外予算」に計上していきます。この費用は実質的には税金ですので、地方政府は自分達で勝手に税率を操作していたことになります。そしてもっと巧妙なことには、意図的に傘下国有企業や郷鎮企業にさまざまの税軽課措置を行うと同時に、費用名目で自分達の税収を増やすということを行います。こうした地方政府のモラル・ハザードにより中央政府の税収が伸びなくなるとともに、第二予算の規模が予算内予算という正規の予算に匹敵する規模に達するのです。このような地方政府の身勝手な行動は一見、経済を活性化させるのですが、皆が皆してこれを行うと経済は暴走してしまいます。景気変動をならすことは政府の一つの役割ですが、こうした地方政府の暴走が逆に経済を不安定化させることになるのです。

(3) 公共サービスの地域格差
 第三に、財源を地方政府に移譲することは税収の多い地方にとって有利ですが、そうでない地方は相対的に不利になります。中央政府収入の比重低下とそれに伴う政府間財政調整の後退は(コラムを参照)、医療・保健・教育といった国民の生活にとって非常に重要なサービスの供給や貧困・失業対策において地域間での格差の出現を意味します(図6-3)。つまり、「財政請負制」とは豊かな地域にとっては好都合なのですが、そうでない地域にとってはまことに厄介な制度改革なのです。

図6-3 一人当たり教育・衛生支出(2001年)
図6-3 一人当たり教育・衛生支出(2001年)
注)
物価・人件費が異なるので、計数は割り引いて読む必要がある。

資料)
国家統計局編「中国統計年鑑」2002年。

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6-2-3 政府の相対規模低下と財政事情の悪化
他方、中央・地央を問わず、中国の政府規模が相対的に低下するとともに、財政事情も年々悪化の一途を辿ってきました(図6-4)。主たる財源基盤が国有企業にあったこと、そして肝心の国有企業の経営が80年代後半から悪化しはじめたからです。例えば、1995年時点でも全政府税収の71.1%は国有企業からの収入でした。
これに対して、新しい非国有部門の所得は個人を含めて急速に拡大するのですが、給与所得者が少ないことも含めて、中国では十分な所得捕捉と徴税制度の発達が伴いませんでした(例えば2001年時点で法人所得税はGDPの2.7%、個人所得税は同1.0%でした)。

図6-4 中国の政府財政収入(対GDP比)
図6-4 中国の政府財政収入(対GDP比)
注)
債務性収入とは中央政府による国債等の発行収入であり、中国では地方政府は原則として政府債の発行を禁止されている。計数は予算内予算ベース。物価・人件費が異なるので、計数は割り引いて読む必要がある。

資料)
国家統計局編「中国統計年鑑」、中国財政年鑑編輯委員会編「中国財政年鑑」。

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6-2-4 分税制改革
 少し時間は先になりますが、こうした政府財政の地盤沈下に対して、1994年に財政改革が実行されました。その目玉は税金を中央政府の取り分である国税(関税・奢侈品税、中央政府管轄国有企業法人税等)と地方政府の取り分である地方税(個人所得税、地方政府管轄国有企業法人税等)、および中央政府と地方政府がシェアする共有税に区分し、従来、地方政府の税収であった「増値税(日本の消費税)」を共有税としてその税率を17%とすること、そして増値税収入のうち75%を中央政府、残り25%を地方政府の収入とするという制度改革でした。また、同時に中央と地方の支出面に関する役割分担が明確化されます。このように1994年改革は、税を中央政府と地方政府に分ける制度改革であったため、「分税制」と言います。

 この分税制改革により、形の上で中央の財政収入比重は、1993年の22.0%から1994年の55.7%に一挙に上昇します(図6-2)。しかし、地方税収であった増値税の75%を国税にすることには地方政府からの根強い反対がありました。そのため中央政府は形の上で国税収入とし、事後的に再調整することで制度改革を実行したのです(「税収還付制度」と言います)。この事後調整を補整するため、図6-2にはこの調整額を修正した中央政府財政収入割合が描かれています。これによると、どうやら分税制によっても事態はあまり変わっていないようです。ということは、一見中央政府収入が増えても、実態的には政府間財政調整ができていないということです。

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