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modern chinese economy
10-2. 工業化の地理学と中国の地域分業構造
担当:甲南大学 青木浩治 藤川清史


10-2-1 地域格差の展開
 最初に地域格差の要因について簡単に触れておきましょう。図10-2によると、明らかに非農業就業者割合が高い地域ほど一人当たり所得が高くなっています。つまり、地域格差の最大の要因は「工業化もしくは産業化の進展度の差」ということであり、中国の格差とはさしずめ国際間の所得格差が中国国内に凝縮されたものと理解できます。

図10-2 中国の地域格差と工業化(2001年)
図10-2 中国の地域格差と工業化(2001年)
資料)国家統計局「中国統計年鑑」2002年。

 その歴史的展開を簡単に整理すると、次のようになります。まず、計画の時代における中国の富裕地域は北京・天津・上海の三直轄都市と遼寧・黒龍江省でした。しかし、改革・開放の時代では山東、江蘇、浙江、福建、広東の五省が台頭し、これらニュー・リッチが前者のオールド・リッチにキャッチアップするのです。これが中国地域経済変容の第一の軸でした。しかし、三直轄都市とニュー・リッチ五省の経済的発展に比べ、その他の地域の発展は相対的に遅れます。これが第二の軸です。あるいは極論すると、現代中国経済は三直轄都市と五つのニュー・リッチ省からなる「沿海国」と、その他地域の「内陸国」とから構成されていると言ってもよいでしょう。

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10-2-2 「均富論」と「先富論」
 計画期中国のリーダーであった毛沢東の理念は「均富論」と呼ばれています。一言で言うと「貧しきを憂うべからず、等しからざるを憂う」です。そのため毛沢東は地域格差や都市・農村格差にひどく敏感であり、計画期において軍事上の必要性からも工業の地域分散が意識的に行われてきました(6章の図6-2を参照して下さい)。

 しかし、こうした「大而全、小而全(ワンセット主義のこと)」路線は必ずしも経済合理性に合致しません。工業は農業と異なり、規模の経済性が強く働くからです。ある意味で毛沢東の路線は、効率性を犠牲にして分配の公平性を追求したと言えるでしょう。

 これに対して、改革・開放期のリーダーであるケ小平の理念は「先富論」と呼ばれます。毛沢東の「均富論」とは対極にあり、「条件のよい者・地域は先に豊かになってよい」という内容です。要するに効率性重視の立場です。このケ小平の考え方に従って、条件のよい東部沿海部にまず優先的に諸種の優遇政策が適用されてきました。その最も分かり易い事例が開放区政策の展開です(7章の図7-2を参照して下さい)。このように中国の地域格差や都市・農村格差拡大の背景には東部沿海部に偏った優遇政策、つまり地域政策の「双軌制」がありました。なお、中国ではこうした条件のよい沿海地域から重点的に地域開発を行い、その成果を次第に内陸部地域へ波及させていく政策を「はしご政策」と呼んでいます。

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10-2-3 農業を通じる工業化
 より根本的には、東部沿海部の「条件の良さ」があります。実際、工業化の最もオーソドックスな途は「農業を通じる工業化」です。貧しい時代における主要産業は農業であり、それが市場・労働力・資本蓄積資金の主要供給源だからです。ですから工業化のファースト・ステップは農業生産性を改善することであり、またこれが工業化の王道なのです。

 この点、中国では大きな地域差がありました。中国は国土は広いのですが、意外に耕地に恵まれていません。特にカルスト台地の西南地域、黄土高原の西北地域は不利です。これに対し、一般に河川の河口地帯は土地が肥沃であり、基本的に農業に恵まれています。その条件に恵まれている代表的地域が上海、江蘇省南部、そして浙江省北部からなる揚子江流域地域、黄河の河口を形成する山東省、そして広東省の珠江デルタ地帯です。特に揚子江沿いの蘇南地域は伝統的に農村部が豊かな地域です。ですからこの地域においていち早く農村工業化が進行したとしても、特段驚くべきことではありません。事実、江蘇省では70年代から既に農業就業者が絶対数でも減少に転じていました。

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10-2-4 貿易を通じる工業化
 しかし、農業に恵まれなくとも工業化は可能です。工業製品需要を国内の他地域、あるいは海外に依存すればよいからです。そしてこれが工業化の第二類型、つまり「貿易を活用した工業化」です。温州は明らかに行商という商業ネットワークを活用した国内貿易活用型(その後国際貿易も活発化)、福建・広東省は外国貿易活用型です。

 しかし、貿易を軸とするからには、もうひとつ決定的な地理的要素が伴わなければなりません。現代の貿易は、基本的に日米欧の豊かな国につながる「海と港のネットワーク」を中心として展開されています。特に重要なのが、アジアの主要港を通っている「北米航路」と「欧州航路」であり、その中心はシンガポール、香港、韓国の釜山、台湾の高雄、そして近年衰退著しいのですが、日本の神戸・横浜港です。広東・福建省はその海の大動脈の一大ハブ港である香港に近接しているということが、中国の「貿易を活用した工業化」にとって決定的だったのです(90年代後半から、これに上海港が加わりました)。

 このように考えると、中国の成長地域が東部沿海部に集中する理由の一旦が理解できます。要するに農業条件、海という二つの地理学的要素の面で、「条件のよい地域」を先に発展させたわけです。

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10-2-5 直接投資の地域偏在
 しかも、この地域格差はさらに外資の地域偏在によって補強されていきます。中国における外資の貿易に対する貢献はきわめて大きいのですが、これは広東省や福建省に集中しています。ところが1992年以後、外資のターゲットは国内市場に大きくシフトしました。80年代までに工業化に成功した地域にこそ、外資系企業が比較優位を持つ新しい製品・サービス需要が生まれます。インフラ格差もあるのですが、所得水準が大きく異なるからです。だから需要が集中するところに(特に都市およびその郊外)に外資が集中するのです。その結果、外資が入る地域は急速に成長していきます(7章の図7-3を参照して下さい)。

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10-2-6 地域分業構造の変容
 第二に、90年代では工業の分散立地を可能にする「市場分断」が徐々に薄れていきました。市場経済化とはとりもなおさず、空間次元での規模の経済性実現の過程でもあり、家電や電子産業等で見られるように沿海省への生産集積、内陸国の脱工業化を必然化します。これが地域格差です。また、既に説明した東北・内陸部に集中する国有企業の下崗とは、裏返して考えればこの脱工業化の兆候に他なりません。

 では、内陸部ではなにが起こっているのでしょうか?新疆ウイグル地区のような資源に恵まれた地域を別格とすれば、最も大きな変化は「食料供給地図」の変化でした(表10-1)。実際、1985年時点における中国最大の食糧供給基地は山東省と江蘇省でしたが、2001年では河南省と四川省(重慶市を含む)にその座を譲っています。また、黒龍江省が一躍コメの産地として踊り出ました。このように改革・開放後の中国における地域分業構造の最大の変化は、相対的に豊かな沿海国は工業製品に、そうでない内陸国は伝統的な食糧生産にそれぞれ特化したことだったのです。

表10-1 中国の地域別食糧生産シェア 単位:%
  1985年 2001年
3都市・5省 29.4 23.3
  山東 8.5 8.2
  江蘇 8.5 6.5
東北3省 9.8 13.3
河南省 7.3 9.1
西部11省 22.7 27.1
  四川 7.8 8.7
注)
3都市・5省は北京・天津・上海の三直轄都市と山東・江蘇・浙江・福建・広東省、東北3省は遼寧・吉林・黒龍江省、西部11省とは内蒙古・広西・四川(重慶市を含む)・貴州・雲南・チベット・陝西・甘粛・青海・寧夏・新疆。


資料)
国家統計局農村社会経済調査総隊編「新中国五十年農業統計資料」2000年、国家統計局編「中国統計年鑑」2002年。

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10-2-7 早すぎた「飽和」?
 ところが集積の力学により生活水準が改善する沿海国において、内陸部の主力産品である農業品に対する需要が低迷し始めます。豊かになると人は「飽食」に陥るからです。ということは、農家の主要産品である食糧品価格が相対的に低下せざるを得ないということです。

 その局面は1997年からやってきました。当初は1996-99年の記録的な大豊作による農産物価格下落でしたが、2000年の大干ばつによってもこの傾向は静まりません。農業が構造的に「不足」から「過剰」の時代に入ったのです。その結果、改革・開放後持続的に改善してきた農家交易条件は1996年をピークにその後大暴落、データが得られる2000年までに22%も悪化しました(5章の図5-1を参照して下さい)。農民の主力所得源が伸び悩むのですから農民収入が頭打ちになるのは当然です。そしてこうした地域にこそ農村工業はあまり発達しておりません。だから都市部と農村部において近年、著しい格差が進行しているのです。その結果として農村部の潜在需要を残したまま、家電産業等で「過剰生産」が出現します。

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