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modern chinese economy
10-4. 三農問題
担当:甲南大学 青木浩治 藤川清史


10-4-1 農業問題
 ここで中国の最も重要で、かつ解決が困難な問題と言われている「三農問題」に触れておきましょう(図10-4)。まず最上段にGDP構成比でみた中国の産業構造を示しました。農林水産業のGDPシェアは2001年で15.2%であるのに対し、中国の工業(鉱業・製造業・公益事業)の構成比は44.4%と、意外に高い水準にあります。計画期の重工業部門優先政策の影響があるからです。しかし、二段目の就業構造面での脱農業化はあまり進行しておりません。農林水産業就業者数は2001年時点で全就業者の50.0%を占めており、これは1950年時点における日本のそれ48.3%とほぼ同じです。要するに中国は依然、農民の国ということです。このように中国では農工間で極端な生産性格差が存在します。

 したがって生産性が低い農業だけでは生活水準改善が難しく、この状態を改善することが「農業問題」の核心です。その決め手は農業人口に対する土地の希少性を克服していくことなのですが、農家単位当たり耕地面積は逆に低下してきました。土地耕作権流動化による農家規模拡大等の政策が行われておりますが(2003年3月より「農村土地請負法」が施行されました)、はかばかしい実績を上げていないようです。

図10-4 中国の三農問題(2001年)
図10-4 中国の三農問題(2001年)
注)
産業構造はGDP構成比。

資料)
国家統計局編「中国統計年鑑」2002年。国家統計局人口和社会科技統計司編「中国人口統計年鑑」2002年。

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10-4-2 農村問題
 第二に、図の三段目に農村・都市人口構成を示しておきました。工業化は同時に都市化を伴うものですが、中国の都市化もここ20年間において1978年の17.92%から2001年の37.66%へと、着実に上昇しています。ちなみに現在の中国の都市化率37.7%は、1950年時点における日本のそれ37.5%とほぼ同じです。

 この中国の都市化について、従来、「中国の都市化は遅れている」との意見が支配的だったようです。逆に言えば、大多数の人が現代化の恩恵に浴さない「農村」に暮らしていることになり、この遅れた農村を改善・減らしてゆく課題を「農村問題」と呼んでいます。

 しかし、現在の中国の都市化が世間で言われているほどに、極端に遅れているかというと必ずしも明確ではありません。試みに、世銀データを使って一人当たりGDPと都市化率の関係を図10-5に示しておきます。ここで一人当たりGDPを経済発展水準の指標と考えて頂ければよいでしょう。この図から言えることは第一に、「経済発展に伴い都市化が進行する」ということです。しかし第二に、この国際比較から見て中国の都市化が著しく立ち遅れているとの判断は得られません。強いて言えば傾向線よりも若干下の位置にあるということです。

図10-5 経済発展と都市化(2000年)
図10-5 経済発展と都市化(2000年)
注)
都市化率(u%)はlog(u/(100-u))により表示されている。

資料)
The World Bank, World Development Indicators 2002.

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10-4-3 農民問題
 中国は戸籍制度を活用して、政策的に都市化ならびに都市のスラム形成を抑制してきました。その代償が第三の「農民問題」です。ここで「農民」とは農業に従事している人のことではなく、「農業戸籍者」という意味です。図10-4の最下段には「農業戸籍人口」と「非農業戸籍人口」の構成比が示されています。なお、前者は農村戸籍、後者は都市戸籍とも呼ばれます。

 実は中国では、現在でも「農民に対する社会的差別」があります。例えば、都市部に出稼ぎにゆく人たち、あるいは都市部で事業を行う農業戸籍の人たちに対し、都市の政府は教育・医療・保健サービスを供給する義務はありません。また、供給するとしても法外の代価が求められます。これらサービスは日本や欧米のような「居住地ベース」ではなく、「出身地ベース(つまり戸籍のある出身地ベース)」により供給されるからです。したがって「民工学校」といって、出稼ぎ労働者の子女は私設の学校に通うことになります。このように中国では1958年の戸籍登記条例公布・施行以来、「戸籍制度」によって都市と農村が分断されており、いまだにそれが続いているのです。

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10-4-4 戸籍制度改革
 1977年以後、中国は「農転非」といって徐々に農業戸籍を都市戸籍に転換する政策を実施してきました。また1984年には「集鎮(小さな町)」に限定して、農業戸籍保有者が都市戸籍に転換できるようになります。既に触れた「離土離不郷」です。さらに90年代では、都市戸籍人口増加の上限規制枠を越えた都市戸籍枠拡大が、広東省等で実施されていきます(本地人は「赤印戸籍」であるのに対し、これら枠外の外地人は「藍印戸籍」として区別されていました)。その後戸籍制度は徐々に緩和され、2001年には「城関鎮(県政庁所在地)」への移住が一定の要件の下で認められるに至っています。中小規模の都市への移住を進めるという政策に転じているのです。ただし「安定した住居と安定した職業」が前提です。さらに最近では、農業・非農業という区分を廃し、出身地による戸籍制度に変わっています。しかし、北京や上海、広州等の大都市への移住は、依然制限されたままです。

 他方、戸籍制度の弊害としてしばしば問題になるのが一人っ子政策の副作用でしょう。1979年から始まったこの政策の趣旨は人口抑制ですが、農村では人手としての男子が尊重され、女子の誕生は歓迎されません。ですから「黒核子」と言って、戸籍すらない女子が数千万単位で存在します。

 このように中国の戸籍制度は、一面で無秩序な都市への人口流入抑制に寄与したことは事実かもしれませんが、その代償はあまりに大きいと言わざるをえません。ある意味で都市部は中国の特権地域であり、その慣性が現在でも続いていると言えるかもしれません。例えば、社会保障なるものは現在でも都市部の特権です。いずれにしても農民問題はおそらく中国経済社会に今後とも根深く残る問題だと考えられます。

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