human and environment
環境アセスメント法制定までの道のり
- 環境法・環境政策 - 大久保 規子
日本において,環境アセスメントを法制化しようとする試みは,挫折を繰り返してきた。もともと,環境庁は,公害の未然防止の要請やアメリカにおけるNEPAの成立を受けて,1970年代前半から法制化の検討を始めた。1972年には公共事業について環境アセスメントを実施する旨の閣議了解がなされ,同年の四日市公害訴訟第一審判決においても,環境アセスメント実施の必要性が指摘された。さらに,1974年にはOECDが加盟各国に立法化を勧告するなど,法制化の気運が一気に高まったかに見えた。 しかし,鉄鋼・電力業界をはじめとする産業界および通産省,建設省等の開発事業官庁は,法制化は開発行為を遅延させ,国民経済にも多大のマイナスになるとして法制化に反対し,法案の策定作業は難航を極めた。環境庁は何度も法案の作成・調整作業を行い,1979年には中央公害対策審議会の答申も得たが閣議決定には至らず,電源立地を対象事業から除外するなどの大幅な譲歩の末,1981年になって,ようやく法案(旧法案)が国会に提出された。それにもかかわらず,与党自民党は審議に協力せず,また野党も骨抜き法案であるとして反対したため,旧法案は,ほとんど審議がなされないまま,1983年の衆議院解散に伴い,審議未了で廃案となった。 その後,立法化はいったん断念され,環境アセスメントは,1984年に閣議決定された環境影響評価実施要綱に基づいて行われてきた。今回の法制化の動きは,1993年の環境基本法において,環境アセスメントの推進が定められたことを契機とするものである。中環審の答申直前まで再び激しい論議がなされた末,電源開発も対象事業に含めることとされた環境アセスメント法が,1997年に,ようやく成立した。 従来のアセスメントの問題点 ↓ |