フィールドワーク調査においては聞き取り(インタビュー)調査法という手法がよく用いられる。調査対象者(インフォーマント)から、その人物の個人のことやその人物の所属している集団や組織についての情報を得ることになる。それは既存の文字化されていない事実を発見するために実施される場合が多く、文献や資料にはない知識や情報を入手することになる。ライフヒストリー調査においても、相手(インフォーマント)に接近して相手の話を聞き、相手の視点に立って相手の理解しようとする。しかしライフヒストリーの場合には、インフォーマント(被調査者)がそれまでに生きてきた人生について自由に口述し、それを聞き手(調査者)が時間をかけて聞き取ることになる。ここでは徹底した記述が前提になる。そこから法則性の定立が可能であれば、それに越したことはない。しかし必ずしも法則性の定立だけが目的ではない。
社会学的研究の多くが往々にして社会構造を優位におく視点が強調されがちではあるが、ライフヒストリー分析では、むしろ主体的行為者である個人の視点が重視される。ライフヒストリーは、生活史あるいは個人史と呼ばれたりするが、いまを生きる人びとがまさに研究の対象になる。そこでライフヒストリーとは、一応、個人の生活の過去から現在にいたるまでの記録ということになる。ある個人が調査者である聞き手との出会いのなかで自分の人生を語り、それをもとに調査者がその個人の人生を記述するという調査分析の方法である。ライフヒストリーは、個人の行動パターンを数量化したり分類することではなく、社会的行為者(個人)の主観的見方を明らかにし、人間行動を理解しようとする調査方法である。
聞き取り(インタビュー)は、出会いからはじまって、極めてダイナミックな相互作用的プロセスである。ということは、聞き手を前にして語り手が自らのライフヒストリーを語るのであるから、聞き手が変われば、その語りもおおいに変化する可能性がある。聞き手によって同じ話がまったく違って語られることになる可能性があるのである。したがって、聞き手と語り手とのラポールの形成が大きな意味合いを持つことになる。聞き取りの過程は、すこぶるダイナミックな相互作用の過程であり、そのあり方が有益なデータ収集の成果に直結することになるといって良い。
語りは相手によって変わり、語り手と聞き手の相互作用のあり方によって多様な語りが産まれるということになる。ということは、語り手が述べている語りは、過去の出来ごとをそのまま単純に述べているということではないということになる。それは過去をいま現在をとおして生きている主体が語り直しているということである。ライフヒストリーとは、調査者が被調査者の語る内容(生活史)をその被調査者の解釈にそって編集し、被調査者の語る人生を文字として記述し、構成し直したものである。ライフヒストリーそれ自体は、面接に際しての質問や相づちは、たいていは省略され、読み物のように記述作品として表現される。
ライフヒストリー調査の実践にあたっては、まずインフォーマントの選定が先決問題である。よいインフォーマントが見つかれば、それでライフヒストリー調査は半分は成功であるといってよい。よいインフォーマントを見つけるには、地域の重要人物(有力者)にあたって紹介を求める方法がよいだろう。面接を実施するには、被調査者がインタビューを受け、語りやすい、精神的に負担にならない場所を設定することが望まれる。原則として聞き取り時のインフォーマントは一人であることが望ましい。調査者は、できれば二人が望ましい。録音の機材の操作や記録をとったり、話の途切れたときに助け合える効果もある。
インタビューの仕かたは、自由面接法の仕かたと同じである。まず自己紹介からはじめる。録音についての許可をまず早めに願い出る。メモを取りながら、インタビューをしていく。調査者の聞きたいことばかりを質問するのは上手な面接ではない。語り手の話しやすいところからはじめ、自然の流れのなかで、相づちを打ったりしながら、聞きたいことに関心を示していく。
入手した面接記録は、その人物の人生の特徴となる言葉(キーワード)を見つけ出し、コーディング(分類・整理)していく。順序を考えて、その人物の人生を第三者に理解しやすいように配列する。エピソードなどは、小さなまとまりにしていく。小見出しをつけて整理していく。活字になった主観的な語りは、語り手にとっては、事実であっても、それが客観的な事実と一致するとは限らない。このことを編集に際しても明記しておくことが大切である。ライフヒストリーは、それをもって代表性を論じることはできない。むしろ個別的であることに意義があると考えるべきである。ただしライフヒストリーの信憑性については、注意を払う必要がある。歴史的事実との関連で、改めて歴史的位置づけが求められる。と同時に、生きられた歴史的事実として、改めて歴史的事実を位置づけ直すことも重要となる。
|