社会調査工房オンライン-社会調査の方法
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4-1 ビジュアル情報を考える
4-1-2 ビジュアル情報を分析するために


 現実の文化や社会を理解するためだけではなく、その歴史的な変化を理解するためにも、ビジュアル情報の解析は非常に重要です。それらは、何を伝えているのでしょうか。まず、人類最古のビジュアル情報である絵画から、考えてみましょう。
 絵画は、一般的に何が描かれているのかが見える表現です。まずは、作者たちの住む現実の環境に存在するもの、彼らが目にしているものが描かれていると考えることが出来ます。事実、野生の牛、鹿、馬、熊、ライオン、マンモスなど、初期の洞窟壁画に描かれている多くの動物は、氷河期にあったヨーロッパ南部には生息していたと考えられています。そしてショーベ壁画などから、当時のヨーロッパにいたライオンの雄に鬣のないことなどが、わかります。
 しかし、絵画の伝達する情報は、目に見える事実だけではありません。実際、多くの洞窟壁画は、洞窟の一番奥、光がほとんど入ってこない場所に描かれていました。描くにせよ、それを見るにせよ、火を灯しても、一酸化炭素中毒の危険性のために長時間はいられない環境です。多くの人たちに見てもらう目的ではなかったのです。
 また、これは絵画のみならずビジュアル情報一般を考える上でも、大切なことなのですが、絵画には描かれていない部分があるという点です。彼らが食糧として重要な狩猟の対象を描いたとしても、食糧としてもっとも重要な植物が、ほとんど描かれていません。彼らが描いたのは、現実世界の一部なのです。
 さらに、フランスのピレネー山麓にあるレ・トロワ・フレール洞窟の壁画の中には、耳と角と胴体は大鹿、尻尾は狼、前足と後ろ足は人間、顔は梟といった動物や人間が合体したシャーマンを描いたと思われる絵もあります。また日本人のよく知っている高松塚古墳やキトラ古墳の壁面には、四面を想像上の玄武や白虎、青龍、朱雀などの四神が描かれていたと思われることから、理解できるように、現実には存在しない、想像上の存在が描かれることも、希ではないのです。
 絵画は現実の鏡であると、素直にいうわけにはいかないのです。多くの場合、絵画には、かかれた目的、意図があります。その目的が違えば、同じ現実を見ていても、選ばれる対象は異なります。描き方も内容も違って当然です。
 したがって、絵画を解釈する場合には、そこに何が描かれているか、どのように描かれているかを注意深く検討しなければなりません。それと同時に、その絵はいつ、どこで、誰によって描かれたのか。その時代、その社会の特徴は何か。それを見る機会のあった人びとは、どんな人であったのか。等についても情報が必要です。文書を含むほかの資料も利用して、絵画を巡る関連情報を集めます。そうした努力の積み重ねによって、見ただけではわからなかった、作者の意図が読めるようになるのです。

 ドイツのラッペングリュック博士は、16500年前に描かれたと言われるラスコー洞窟の壁画の中に、当時の星座が表現されているという仮説を発表しました。野牛、鳥の頭をした(死んだ)シャーマン、ポールの上の鳥が見える有名な図です。この3者の眼が、当時の地球から見えた「夏の大三角形」を表す星座を形成しており、鳥がとまったポールは、当時の北極星を正確に示していたというのです。これだけを見ると、本当かなと思われるでしょう。しかし、博士は地球の地軸の傾きが変化することを計算に入れて、当時の星の位置がわかるプログラムを作りました。また、棒の上の鳥が天を指し示すというモチーフが、アメリカ先住民を含む世界の先住民文化に共通する長い文化の一部であり、今日の風見鶏もその伝統の延長線上にあるというのです。
 ラッペングリュック博士は、スペインやほかの洞窟壁画でも、同様の解釈の出来るものを見つけており、専門家からも評価を得ています。しかし、私が彼の仮説を紹介したのは、その当否を問うためではありません。絵画の意味を解読するために大切なことは、出来る限り、絵画を描いた人たちの立場を想像し、彼らの住んでいた世界や環境、彼らが持っていたと思われる知識等に関する情報を集めた上で、何が描かれているのか。配置はどうなのか。細かく観察することです。そして、気づいた物には名前をつけてやります。棒上にとまった鳥の絵があることから、3つを組み合わせた絵は、天体を表しているのではないかと考えることができます。そうした作業の上に、眼の配置が星座を表しているという仮説や発見が生まれるのです。
 絵画はその後、文明の発展とともに、王侯、貴族のための、あるいは宗教施設のための専門の絵師(画家)の手による作品が登場し、地域、時代により、さまざまな様式を発達させてきました。簡素化され、様式化された絵の一部は、文字の誕生にあたって、絵文字から文字へと変換されるものまでありました。
 文字はそのえがかれた姿が、音声言語で言えば何にあたるか。あるいは、それが現実世界や精神世界の何を示しているのかが、見ただけでは想像できないものも増えてきました。音声言語については、ここでは深入りしませんが、フランスの言語学者、フェルディナンド・ソシュールらの研究によって、音声(記号表現)とそれが指し示す意味(記号内容)との間の恣意的関係、それらの間のつながりは、まさに人為的な規則であるがゆえに多様であり、変容しうるものであることが知られています。それが何を表現しているかの翻訳表にあたるコードを、人々が共有することがなければ、理解できないという言語を、洞窟壁画を描いた人々も使いこなしていたのです。最近の研究では、我々の直接の祖先にあたるホモ・サピエンス・サピエンスと約20万年前から数万年前まで共存してきたと思われるネアンデルタール人が滅んだのは、不十分な言語しかもたなかったネアンデルタール人に対して、我々の祖先が音声言語を使いこなすことによって人々の間のコミュニケーション能力を飛躍的に高め、組織的な社会と文化を築きあげたためであったと考えられます。
 文字記号の登場は、そうした能力をさらに高めることに貢献しました。さてここで、もう一度ビジュアル情報の話に戻りましょう。ホモ・サピエンス・サピエンスが人類として最初に発明したビジュアル表現であった壁画についても、すでに音声言語を持っていた彼らにとっては、彼らの内面的要求を表現する手段としても利用可能であったわけです。だからこそ、そこに描かれたモノは、彼らが生活していた現実環境に存在していたものばかりではなく、彼らの世界観、生命観、内面を反映するのは当然であったのです。だからこそ、オーストラリア原住民の描く、いわゆるレントゲン図では、外からは見えないはずの動物や人間の骨が描かれたりするのです。
 絵の中に、何が描かれ、何が描かれていないか。またどのように描かれているのか、等を注意深く観察、分析し、彼らの世界観や宇宙観、生命観、死生観を考察する必要があるのです。
 これに対して、19世紀に発明された写真では、撮影者がカメラを向けた対象については、すべて写ってしまいます。もちろん、カメラマンは、どこにカメラを向けるかの選択をすることはできます。しかし、原則的にカメラマンの意図せざるモノが写ってしまうこともあるというのが、写真の画期的な特性でありました。ただし、それも、今日のように、デジタル編集で自由自在に写真を修整したり、合成したり出来るようになると、やはりカメラマンの思想信条や意図についても、考察する必要があることは、おわかりになると思います。
 テレビやビデオ、映画などについては、完成までのプロセスの中で編集作業のもつ重要性からみても、どんな感覚や考え方をもった人たちが、どのようにして制作したのか、ますます考慮に入れなければなりません。それに加えて、それらが制作された背景、環境という点についても、ビジュアルに表現された作品の客観的で精緻な分析とともに、考察の対象とすべきであることは言うまでもありません。

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