社会調査工房オンライン-社会調査の方法
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4-2 表象分析
4-2-5 ビジュアル分析の第三段階 - 広告から社会とわたしが見える


(1)一冊の宣伝雑誌から見える「人種」と「性」の世界
 「4-2-4 ビジュアル分析の第二段階 - 1枚のビジュアルに注目する」では、社長が裸になった一枚の広告を分析しました。今度は、スキャンダラスな問題広告ではなく、いわゆる普通のファッション広告を取り上げてみることにしましょう。この場合の「普通のファッション広告」とは、社会問題を訴える記号内容に満ちた広告ではなく、季節ごとのキャンペーンで新しく登場する、ベネトンの服を纏った色とりどりの人種からなる広告を意味しています。
 「ユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトン」――これは人種の調和と統合を謳うベネトン社のスローガンです。その新作のファッション広告には、様々な人種がベネトンの服を着て手をつなぎ、肩を組み合い仲良く集っています。そのイメージからは、白・黒・黄色の「人種」が一見対等かつ平等に描かれているように見えます。でも、広告に登場する人々を「人種」と「性」別にカウントするとどうなるのでしょうか? はたして、三種類の「人種」は、平等に登場しているのでしょうか?(「人種」という概念の問題についてはあとで述べることにします。)

 このように疑問に思ったわたしは、ベネトンの広告戦略を体現している宣伝誌『カラーズ』(1991年創刊号)に着目し、人物の登場する広告を分析することにしました。同誌には見開き二ページずつを使用して27種類の広告が掲載されていますが、そのうち、人物を扱った広告が20、靴下・カバンなどを人物以外のモノを扱った広告が7点あります。人物の登場する20点の広告は、さらに大人だけ登場する広告(17点)と子供だけの広告(3点)に分けられるのですが、まず、大人だけの広告17点を分析してみました。すると、興味深い結果が得られたのです。
 大人だけを扱った17点の広告には、全部で延べ83人の人物が登場します。「白人」36人、「黒人」19人、「黄人」28人です。つまり、「白人」が「黒人」のほぼ二倍にのぼり、「黄人」はその中間に位置する配分です。そして、これを男女の性別に分けるとまた新たな姿が浮かび上がってきます。「白人女性」17、「白人男性」19、「黒人女性」10、「黒人男性」9、「黄人女性」22、「黄人男性」6という数字であり、「黄人女性」の数の多さが目立ちます。
 これらの分析を通じて、『カラーズ創刊号』(日英版)の広告の特徴として次のようなことがわかりました。第一に、白人男女の比率が多いこと、第二に、黄人女性の比率が多いこと、第三に、黒人は男女ともほぼ同数であり少ないこと、第四に、黄人男性は登場回数も一番少なく、小さく描かれている場合が多いこと、第五に、男女のカップルで多いのは、白人男性と黄人女性の組み合わせであり、黄人男性はカップリングから外されていることが多い、ということです。このように「ユナイテッド・カラーズ」の世界とは、著しく人種と性のバランスを欠く社会であることが確認されました。
(2)分析対象の時代を広げる、分析対象を定義する
 では、この白人が多数を占める人種と性の構成の特徴は、時期によって変動はないのでしょうか? 同社の「ファッション広告」はその後どのように変化するのでしょうか?
 ここでぶつかった最大の問題は、ベネトン社の広告媒体がどんどん変化し進化していったということです。創刊当時、年二回発行の宣伝雑誌『カラーズ』は、その後、季刊、隔月刊に変化し、内容も読み物としての傾向を強めていきました。また、1990年代半ばからは「プロダクトカタログ」と呼ばれる別種の広告媒体が登場し、中国やインドに暮らす「素人」(だとされる人々)に自社の製品を着せて、彼らの個人名と商品名を明記するという他の媒体とは異なった領域を形成し始めました。その変化自体が、当時の社会や文化を分析するための優れた素材なのですが、ここではこれ以上突っ込むのはやめておきましょう。このように広告媒体や宣伝方法自体が多様化するとき、そもそも何を「ファッション広告」として定義すればよいのでしょうか?
 そこで、わたしは次のような条件をつけて「ファッション広告」を限定してみることにしました。すなわち、個人名を記されない、大人のモデルのみから成る、ロゴ入りの広告、です。この条件を満たす広告を見つけるのはそんなに難しいことではありませんでした。でも、きちんと定義づけて分析対象を決定することは必要不可欠です。印象だけから分類しても正確な結果は得ることができないからです。他の誰が分析しても同様の結果が得られることが、この段階での作業では重要です。(そして、自分で決めた条件は、はたしてそれでよいのか、たえず疑ってみること。条件が間違っていることがわかったら、もう一度最初からやり直すこと。その勇気が大切です。)
 この条件で調べてみると1990年代のベネトン社の広告の人種別人口構成の平均値は、「白人」48%、「黒人」26%、「黄人」24%、「不明」2%となりました。すなわち、登場する人物の約半数を「白人」が占め、その他を「黒人」と「黄人」が二分するという構造です。最初に分析したときと同じ結果を得たわけです。
(3)形式のなかに埋めこまれているイデオロギーを見抜く
 さらに重要なのは、この数のアンバランスが、実際に統計を取ってみるまではなかなか気づきにくいということです。J.ウィリアムスンは、そのような視覚のなかに埋め込まれた「自然さ」について、次のように語っています。
「形式のなかに埋めこまれたイデオロギーは、もっとも目につきにくいものである。だからこそ、結合にいたる過程を強調するのが重要になる。その解明こそが、既成事実としての結びつきを解きほぐすのである。」(『広告の記号論』1巻、p.64.)
 白人の数が、黄人・黒人の二倍から三倍にのぼっても、広告の受け手にとっては、ベネトンの広告が、人種的に調和のとれた「平等」で「対等」な表象に見えてしまうことに問題の核心は潜んでいます。他の社会派問題作の広告とは異なり、一見ニュートラルに見えるファッション広告であるからこそ、「形式のなかに埋めこまれたイデオロギー」は、いっそう目につきにくいのです。
 と同時に、識別の作業において不思議なのは、これらの広告においてなぜかくも容易に「白人」「黒人」「黄人」の区別と、男女の識別が可能であったのかということです。街を歩いている外国人を眺めているだけでもかまいません。「ナニジンかわからない」「オトコかオンナかわからない」人はいっぱいいるはずです。「白人」か「黒人」かわからない人などいっぱいいます。(わたし自身、あるときは「ドイツ人」だと言われ、あるときは「メキシコ人」だと言われたことがあります。)
 つまり、現在わたしたちがすでに身につけている、多分に偏見に満ちた「人種観」をもってしても、ひとを「白人」「黒人」「黄人」に簡単に分けてしまえるものではなく、科学的な見地からは、「人種」概念が何の根拠も持たないことが、証明されてしまっているのです。登場したモデルのなかには後ろ向きや人影になるなどして、人種と性を特定できないケースが含まれていましたが、ほとんどの場合が、白・黒・黄の三種に分類できたのは、驚くべきことではないでしょうか。「混血」は徹底的に排除されているのです。
 また、数を数えていくにしたがって、自らの内に「識別」の基準が出来上がってくることにも気づきました。知らず知らずのうちに、人種とジェンダーの境界線が明確になってくるのです。広告は、そうした境界を作り上げることを読み手に強要します。この境界の基準は、広告に含まれたイデオロギーと呼んでもいいし、社会慣習と呼んでもいいでしょう。
 さらに、広告に登場する人物の数を数えているとき、不思議なことに、「白人」を数え忘れるということがたびたび起こりました。全体の人数と各人種の合計の数値が合わないために数え忘れに気づくのですが、それは、少数の「黒人」「黄人」が有徴化されているのに対して、「白人」が表象においても無徴化されているために起こったと考えられます。
 調査者自身の「目」を疑うのは最も難しいことです。わたし自身が何を基準にして「白・黒・黄」に人々を分類したのか、分類しえたのか? それを言語化し理論化する作業は、今日の「人種意識」を解き明かす作業にもつながるのです。
(4)発展編――他の資料との比較、得られた結果の理論化・普遍化
 表象分析は、限りがありません。
 一枚の広告から出発したあなたは、時代をさかのぼり比較することができるようになりました。さらに、同業種の別の広告や、ベネトンのように「人種」を扱った他の広告と比較してみてもよいでしょう。時代と空間の縦軸・横軸を縦横無尽にかけぬけて、ビジュアルを渉猟するのです。これまで常識のように語られてきたことに矛盾はないか? 一枚のビジュアルやそのビジュアルを見せる空間を考察することで、文化や社会のあらたな変化の兆しが見えないか?それらの疑問に、自分の目と頭を使って答えてみるのです。
 ここで述べたビジュアル分析はほんのイントロダクションにすぎませんが、まずは、自分自身で始めてください。さまざまな応用が可能です。わたしの友人の一人は、展覧会のカタログを分析しました。そのカタログの中に「日本人」や他の民族がどれくらい登場するか、どのように描かれているのか、老若男女の比率などを、詳細に調べたのです。カタログの名前は『朝鮮美術展覧会図録』。日本の植民地時代に1922年から朝鮮で開催された美術展覧会ですが、それらの表象や歴史を分析することによって、植民地支配に美術がいかに動員されたか、また民族やジェンダーに特徴を作り上げることによって(差異化)、支配が自然化され受容されたことが鮮やかに見えてきます。また、15年戦争中日本で大量に発行されていた『写真週報』という写真誌を分析した研究もあります。あるいは、語学学校の広告を集めれば、英語をはじめとする様々な言語や外国人に対する意識の変化を見ることができるかもしれません。そこに登場する「他者」についてではなく、それを描く人々や社会、受容するわれわれについて、それらは多くを教えてくれることでしょう。
 ディズニー映画をめぐっては、毎年新作が発表されるたびに論文がたくさん発表されていますし、日本のアニメやマンガが注目されていることもみなさんは知っているでしょう。広告や映画、写真、マンガ、挿絵などの大衆文化から、都市の記念碑や庭園、墳墓、祭り、行列、儀式、身振りや身体の所作にいたるまで、これまで高級芸術研究のなかで取り上げられることの少なかったありとあらゆるビジュアルイメージが、表象分析の視点によって、あらたな相貌をあらわすのです。
 「ビジュアル分析って、どうやったらできるようになるんですか?」――わたしがよく学生さんから聞かれる質問です。ある人はその質問に対して、「本を読むことだ」と応えていました。それもうなづけます。そして、もうひとつの方法――それは、一度、自分でビジュアルを作ってみることです。4-5では、わたしのゼミ生が挑んだ映像制作の経験を紹介しましょう。

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