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Example 出会いの物語―4軸の組み合わせ

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出会いの物語―4軸の組み合わせ
 1984年の卒業研究から始めた、能登半島での調査、近代産婆研究を、1997年、ようやく市販の書籍として出版しました。(1)産婆・竹島みい(1906-1999)の「語り」によるライフヒストリーを基軸に、(2)彼女が活躍した能登半島・門前町の大正、昭和期の出産の変化、(3)明治期以降の日本の警察、衛生、教育などの諸制度、人口、リプロダクションをめぐる政策の近代化などについての補足説明、筆者の解釈を加え、(4)竹島みいと調査者である私との関係性の変化とそれにともなう調査研究の展開、という4つの軸を組合せました。

以下は、『文化人類学文献辞典』(弘文堂、2004年、547頁)より、西川麦子『ある近代産婆の物語―能登・竹島みいの語りより』の紹介を抜粋します。(小見出しは、本コンテンツ用に加筆しました)

『ある近代産婆の物語 能登・竹島みいの語りより』表紙

「近代産婆」とは

 本書で用いた「近代産婆」には、日本の近代という時代のなかで登場した産婆という意味をこめた。1899年、助産職に関する全国レベルの法規、「産婆規則」が制定され、西洋医学にもとづいた教育を受け、資格を取得し、行政に登録された正規の産婆が全国で養成された。郡部出身者は、都市へ出て専門教育を受けて資格を取得し、地元に戻って開業した。近代産婆は、20世紀初めに日本全国に登場し、1960年代まで家庭分娩のほとんどを扱ってきた有資格の開業助産婦(現在は助産師)のことである。資格をもたない旧産婆に代わって地域のお産を扱い、学校教育のなかで習得した技術や知識を用いて従来の出産、助産方法を大きく変え、衛生観念を普及させた。第2次世界大戦後、法定用語が産婆から助産婦へと改められた後も、人々からは「産婆さん」とよばれ地域のなかで活動してきたが、1960年代には施設分娩が一般的となり開業助産婦は激減した。

何に着目するか

 近代産婆が活躍した20世紀初めから1960年代に日本の出産は、多産多死から多産少死、そして少産少死へ、「産めよ殖やせよ」の時代から受胎調節の普及へ、家庭分娩から施設分娩へ、と急速に変化した。出産の変化を、国家、地域、個人の関係からとらえようとする時、近代産婆は興味深い存在となる。この新しい産婆は、日本の行政機構が整備され、中央と地方行政との緊密な関係が確立するその過程で全国に誕生し活動する。国家の人口政策、衛生行政と密接に関わり、国が個人の性や出産に関わる問題に介入してゆく際に、政策―地域―個人を繋ぐひとつの「媒体」となったのである。

 国家政策の直接の影響を受けながらも、近代産婆の活動の場は、それぞれの地域社会である。近代産婆は、都市での生活経験をもち、西洋医学の知識、技術を備え、経済的に自立した新しいタイプの女性の職業人ではあったが、産家に自ら足を運び、地域に密着した活動を続けてきた。住民にとって彼女たちは身近な存在であった。近代産婆の活動が、住民や地域社会にもたらした影響は一様ではないが、それぞれの地域の出産の変化に直接、そして深く関わってきた。日本の出産が、短い期間に全国において一斉に変化し得た、その鍵を握るのが近代産婆の存在であった。

4軸の組み合わせ

 本書の構成は4つの軸が組み合わされている。

 第1は1906年、石川県門前町生まれの産婆竹島みいのライフヒストリーである。竹島みいの産婆としての豊富な経験とそれを裏付ける記録、彼女の聞き手や読み手を引き付ける「語り」、その具体的内容が、この本の原点である。インタビューの録音を文字に再生、編集した竹島みいの「語り」が、全体をとおしての基軸となっている。

 第2は、竹島みいが50年にわたって活動してきた能登半島の門前町における1920年代から70年代の出産の変化についてである。門前町本市集落を中心とした住民への聞き取り、アンケート調査、竹島みいが開業当時記録していた「産婦名簿」、引退後みいが書いた異常分娩の記録、みいが助産、受胎調節普及などに使用した道具、など多様な資料にもとづき、近代産婆の存在と地域の出産の変化との関わりを知る貴重な記録となっている。

 第3は、第1、第2の記述、資料についての、他の産婆へのインタビューを含む補足説明、解説、筆者による分析、解釈である。近代産婆が特定の期間に存在しその役割を大きく変えざるをえなかった背景を、国策と地方行政、衛生行政と警察、被差別部落と助産職、郡部と都市の人口移動、初等教育の普及、メディアの発達など、様々な文献、統計資料を用いながら多角的に考察している。近代産婆の存在を通して、日本における近代化の過程の一側面を具体的にとらえる試みである。

 第4は、調査者、聞き手としての私(筆者)と、語り手としての竹島みいとの、関係の変化と調査の展開についての記述である。調査をとおした人と人との関わり方が、資料を生み出し、時にそれを変形させる。竹島みいは、筆者との出会いをきっかけに、ある冬、「助産編」「結婚編」という自分史を書きあげ、筆者に見せる。このときから、インフォーマントとしての竹島みいの存在についてだけでなく、竹島みいにとって私(筆者)とはどのような存在なのか、調査者が自己を意識して考え始める。人と人との長年の相互交渉のなかで調査が次々と展開してゆくそのプロセス自体が、本書をひとつの物語としている。

 本書は1988年、緑の館から同名タイトルで私家版が出版された。桂書房から改めて出版された1997年版には、旧版を読み直し、オリジナルな調査資料を再検討し、新たな文献、史料調査を行い、詳しい注釈を加筆している。1999年、第26回澁澤賞の受賞作品となった。


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