社会調査工房オンライン-社会調査の方法
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5-2 事例編―ロンドン、都市の地域社会、コミュニティセンター
調査に「かたち」を与える/交信
5-2-10 新しい模索/節目と時機をつくる - 2005/06年


新興ミドルクラスの住民組織
 2005年夏の調査では、私はグローブ・ネイバーフッド・センターとは別の住民組織についての調査を始めた。ここでは仮にα会と記す。α会は、一定の区画の住民(グローブ・ネイバーフッド・センター周辺地域)を対象とした会員制の組織であり、1990年末に住民有志の呼びかけによって結成された。地域についての情報を交換、共有し、住みよい環境づくりにつとめ、コミュニティ意識を育むという目的である。一年間の会費が3ポンド、現在300名以上が加入し、半数以上は、Eメール・アドレスを登録している。新しく地域に転入したミドルクラスの住民層をとりこみ会員を増やしている。α会のコミティはボランティによって構成され、年4回のニューズレターや諸イベントを企画、実施する。落書き消し運動など街のクリーン活動に積極的であり、町並み保存に関心をもつ。地域の歴史を知る講演会やハマースミス&フラム公文書・郷土史センター訪問、町を歩きながらヴィクトリア朝住宅について学ぶなどのイベントも開いている。

住民間の階層意識と調査の保留
 α会は拠点となる場所はもたず、総会などの集まりには、グローブ・ネイバーフッド・センターを利用している。そのため、私もα会の存在を知っていたし、知人の会員住民からその活動についても聞いていた。α会関係者からの話もぜひ聞きたい、とは思っていた。しかし、センターの利用者とα会の会員たちのあいだには、何らかの隔たりがありそうである。グローブ・ネイバーフッド・センターが企画する地域住民を対象とした行事の参加者は、公営住宅に住む年配者が多い。かたやα会の会員の多くは、日本円にして億単位の価値の持家に住む人々である。α会を、不動産をもつ人々が自己権益を守るための会だと見なしている住民もなかにはいる。α会の実態がどうであるかは別にして、地域のなかで、人々のあいだに、経済的、社会的階層にたいする自意識、差異にたいする認識があることはたしかだ。そのギャップを踏み越えて、両方の調査を並行して行うことには、躊躇があった。まずはセンターについての調査に集中し、α会への接触はまた機会をみて、と保留にしていた。

節目と時機―距離感
 2005年春、グローブ・ネイバーフッド・センターについての英語版のレポートを本コンテンツに掲載(5-3)し、夏にこれを製本した冊子を関係者に配布した。それは2001年からのフィールドワークのひとつの節目であり、そろそろセンターを越えて調査の範囲を広げる時機にきたかなという思いがあった。住民としてセンターの運営に関わり、時間をかけてゆっくりと調査をしてきたからこそ、少しずつだがセンターの利用者に話しかけられるようになった。それでも、言葉の不自由な日本人を何年たっても敬遠したままの人もいる。そうした住民のあいだの私への縮まらない距離感もまた、フィールドワークの貴重な体験である。私がもしα会の調査から始めていたら、センターの関係者からの私への印象も異なっていただろう。
Advice
その時々に道をえらぶ
⇒ フィールドワーカーはけっして中立的な存在ではありません。透明人間になることもできません。相手や状況にあわせて変身することも難しい。自分の存在を理解してもらうためには、一人一人にたいして丁寧にたんたんと説明を重ねてゆくしかありません。また、人と人との関わり方を計画することはできませんが、道はたくさんあるので、その時々に、どこからゆくのか、どこを通ろうかと選択をすることはできます。近道が早道とは限りません。

α会への接触―Eメールをとおしたやりとり
 α会との接触は急速に展開した。2005年8月下旬、私は、グローブ・ネイバーフッド・センターの運営委員でありかつα会の会員であるTにα会とコンタクトをとりたい旨の話をしていた。彼女は、私が書いた報告書を読んで興味を持っていた。また、私の友人Nもα会に加入しており、α会のセクレタリーRに私を紹介するメールを送ってくれた。2人からの連絡を受けてRは、すぐに私にメールを送ってくれた。私は、その返信メールに、自己紹介とこれまで調査の経緯を書き、α会について何を知りたいのか、具体的な質問項目を添えた。本コンテンツの英語版の報告書のアドレスも忘れなかった。Rからは、α会のこれまでのニュースレターや会員申込書などメールで配信できる20以上のファイルを、何度かにわけて送ってくれた。数日の間の出来事だった。

ジェントリフィケーション
 2005年の調査のキーワードはジェントリフィケーションである。これまで何人かの住民がインタビューのなかで地域の社会変容を表してこの言葉を用いた。辞書には、「gentrification:高級化、中産階級化、劣悪化している区域に中流階級あるいは裕福な階級の人口が流入していくのを伴った区域再開発・再建プロジェクトのことで、通常それまでの貧困層の住民が住む場所を失う」((Eijiro81)と記されている。gentry(紳士階級、帰属)やgentrify(高級化する)という単語から派生し、1970年代以降の欧米の大都市で起きた現象をさして用いられるようになった。たとえば園部(2001,p.195)は、ジェントリフィケーションという概念は、曖昧で多義的なものであるが、もっともルーズな定義は「ミドルクラスが都心部へ回帰する現象のこと」(Savage and Warde,1993,p.80)だとし、ジェトリフィケーションと呼ばれる現象のプロセスを詳しく紹介している。園部雅久『現代大都市社会論―分極化する都市?』東信堂、2001

1つの単語をめぐる異なる反応
 ジェントリフィケーションということばが興味深いのは、住民によってこの単語にたいする反応が異なることだ。(1)この単語にまったく馴染みがない、(2)単語を知ってはいるがこれを用いることに違和感がある、(3)この単語の意味を説明し、それがどのような現象であるかを具体的に解説できる。「ジェントリフィケーション」を解説する人とは、地域のなかでは、いわゆるミドルクラスと分類される人々である。高等教育を受け、専門職に携わり、ある程度の収入があり、諸メディアの情報に敏感に反応し、持ち家を持っている。つまりは、ジェントリフィケーションという現象を担う当事者たちであり、α会の会員たちがまさしくこうした住民層に分類される。

会員たちからのメール
 調査が急転したのはα会のセクレタリーRとEメールでやりとりをするようになった直後である。私宛に、次々とメールが送られてきた。いずれの差出人も知らない人たちである。どのメールも、要領をえた自己紹介(名前、職業、年齢、住所、電話番号、既婚、未婚かなど)に、あなたの紹介文、報告書を興味深く読んだ。あなたの調査に協力できることがあると思う。いつでも、連絡をください、といった内容である。メールが7件、電話が1件。どうしてこうした連絡がくるのか、最初は状況がのみこめず困惑した。実は、Rが、私が彼女に宛てた自己紹介のメールを、α会のメール会員に転送していたのである。そのメールを読んだ会員たちが、ある人は直後に、ある人は翌日に、数日後に私に返信をくれた。

情報にオープンな人々
 私はそのメールにどのように対応してよいのか、さらに戸惑った。どのメールも気さくで、あまりにもオープンだった。これまでのグローブ・ネイバーフッド・センターの調査では、年齢を聞くことさえ躊躇した。年配者のなかには、そうした質問を好まない人もいた。ところが、メール差出人たちは、見知らぬ私に、自分が何者であるかを説明し、私の調査のために何ができるか要点を具体的に記す。「ジェトリフィケーションについてなら最近のパブへ行ってみると一番よく分かるよ、この辺でもっとも人気のパブで落ち合って話をしましょうか。」「私は○歳の弁護士、△年に〜ストリートに転入。幼い子供が2人、育児のために休職中。子供たちがにぎやかだけど、よかったら家を訪ねてください。ジェントリフィケーションについて、自分の体験をお話する事ができると思います」「2軒隣の、○○さん、ご近所で仲良くしているけれど、彼は古き時代からの住民、ぜひ彼の話を聞いて見るといいわ。奥さんもとっても気さくなで愉快な人よ。」

溢れる話―なぜ彼らは語るのか
 連絡をくれた人々とはメールで何度かやりとりをして、帰国までの短い期間だったが7人(女性6人、男性1人)と会った。弁護士、会計士、博物館勤務、雑誌のライターなど。ある人は、このあたりで一番コーヒーがおいしいと評判のカフェで会い、街を散策しながら建造物の説明をしてくれた。ある人はパブを2軒はしごして軽く食事をしながら、女性たちは自宅の台所で、居間で、あるいは夏の夕方の静かなパティオで、快活に話した。「私ね、離婚したのよ、それでこの家に引越したばかりなんだけど・・・」と楽しそうに自宅をすみずみ見せてくれる人もいた。インタビューは1時間から1時間半。どの人も途切れなく自身や地域での暮らしやジェントリフィケーションについて語った。訓練された会話術、その具体的な話の内容に圧倒されたが、一人一人がなぜ、これほど溢れるように自分の話をするのか、不思議だった。ジェントリフィケーションというテーマが、その当事者一人一人にとって、一言では、人事としては語りきれない、さまざまな要素を含んでいるからだろうか。

新しい模索
 情報のネットワークによってつながるα会と、住民に開かれたスペースを提供するグローブ・ネイバーフッド・センター、2つの組織の活動は、現在の見えにくい地域のあり様を知る手がかりになるだろう。ジェントリフィケーションも、ハマースミスでの事例研究をより広い文脈に位置づけ、分析するうえで有効な概念である。しかしながら、私がもっとも興味があるのは、人々がなぜ何を語るのか、そのモチベーションがどこからくるのかという問題である。階層という枠組でとらえる前に、住民一人一人の話をさらに聞きたいと思う。そこに現在の都市における住民のつながり方、地域を考えるヒントがあるような気がする。

 私にとってのロンドン調査や都市研究はこれから本格的に展開しますが、「フィールドワークの始まり」を記したコンテンツの事例編はこのへんで一幕とさせていただきます。ありがとうございました。またどこかで、続きを発信してゆくことができればと思います。

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