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問いと目的の提示
レポートを書くにあたって重要となるのは「自分は何が問題だと感じているのか、そのレポートによってどのような答えを導きたいのか」ということ、つまり問題提起と目的だ。この問題提起を明確にすることが、良いレポートを書くことの第一歩となる。まずは、このポイントを自分の中で明確にしよう。
はじめに、レポートのタイトルを決めておこう。メインタイトルはなるべく簡潔にし、サブタイトルを付けて内容を明確にするのがタイトルを決めるときのポイントである。
それでは実際に例文を見て、問題提起と目的・タイトルがどのように書かれているかを確認してみよう。
例文
日本のバイクはこれからだ! −反抗のシンボルから体感するメディアへ はじめに 一昔前、バイクの雑誌を見ると、よく、「サーキット最速!」とか「時速290km超え!」とかいう見出しを目にした。私は、そのたびに、「そんな速度なんてどこで出すんだろう」、「普通の人はサーキットなんて走らないのに」、と思っていた。また、カスタムの雑誌を見ると、ありえないくらい派手にカスタムされたバイクの数々が並んでいた。多分、暴走族のバイクなのだろう。「こんなバイクではツーリングに行けないな」、「駐輪場に置いたら大家さんに文句を言われるかもしれない」。こうした雑誌を見るたびに、これは私には関係のない世界だな、と思っていた。 その頃のバイク雑誌に比べると、最近のバイク雑誌は、随分とおとなしくなった気がする。まわりのファッション誌と違和感なく並ぶオシャレなハーレーの専門誌。カスタム雑誌も、最近はやりのビッグスクーターのカスタムは、暴走族のものに比べれば、洗練されたスタイルで、駐輪場に置いてあっても文句は言われまい。ツーリングを中心に扱う雑誌も増えてきた。 こうした状況を見て、「バイクが面白くなった」と言うか、「バイクが面白くなくなった」と言うか。それは人それぞれだろうが、ここでは、バイク文化の歴史を紐解くことで、なぜ、そのような変化がおこったのかについて、考えていきたい。 詳しくは後で述べるが、バイク文化は、1970年代から1980年代にかけてのカウンターカルチャーとしての時期(草創期)、1990年代のカウンターカルチャーからメインカルチャーへの移行期(移行期)、2000年代以降のメインカルチャーとしての時期(成熟期)に分けることができる。 カウンターカルチャーとしてバイクを捉えるバイク乗りにとっては、時速300km近くまで出るようなバイクに乗ることや、近所迷惑になるようなカスタムバイクに乗ることは、意味のあることだった。一方、メインカルチャーとしてバイクを捉えるバイク乗りにとっては、そんなことは意味のないことで、いかに快適に、バイクそのものを楽しめるかが大事なこととなる。 戦後日本におけるバイク文化の変遷は、カウンターカルチャーとしてのバイクが形骸化し、メインカルチャーとして大衆化して、定着していく過程として捉えることができる。カウンターカルチャーとメインカルチャーの最大の違いは、文化のダイナミズムを担保する「外部」を、分かりやすく「外部」(ここではないどこか)から調達してくるか、「内部」(ここ)から調達してくるかというという点にある。 分かりやすい「外部」(奇抜なスタイルやこれまでにないテクノロジー)とは異なり、「内部にある外部」を既存のバイクに組み込むことは難しい。そのニーズをつかみ損なうと、まったく売れないバイクができあがってしまうし、逆に、意外な「内部にある外部」をつかんだバイクがヒットにつながるということも起こりうる。 大事なのは、一見止まったように見えるバイク文化も、常に躍動し続けているということであり、バイクに関わるすべての企業に求められるのは、そのダイナミズムを十分に見据えながら、「バイクの未来」を構想する想像力を養っていくことなのだろう。2009年に発売されたカワサキのバイク、Dトラッカー125や2010年に発売されたホンダのバイク、CB1100を見てみると、まだまだ、日本のバイクメーカーの想像力は枯渇していないと確信できる。新しいバイクの世界を牽引するだろうキーワードは、「体感するメディア」だ。 まあ、能書きはこのあたりにして、早速、バイク文化の戦後史を紐解いていくこととしよう。そこには、戦後日本のバイク乗りたちの「ドキドキ」が、たくさんつまっているはずだ。 |
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