社会調査工房オンライン-社会調査の方法
←→
6-3 資料探索の実例
日本のバイクはこれからだ! −反抗のシンボルから体感するメディアへ
6-3-2 引用と図説の使用


引用と図説の使用
  • 引用する
     引用とは、他人の見解や研究結果などを自己のレポートの中で用いることであり、法で認められた合法的な行為である。他人の見解や研究結果を引用しながら、そこに自分なりの見解を示すことで、レポートの内容をより説得力のあるものにできる。
     ただし、注意しなければならないのは、引用は必ずその出所(出典)を明記する必要があるということ。忘れずに出典を明記するようにしよう。
  • 図説を用いる
     相関関係やものごとの構成、生物の特徴などの説明は、図説を用いて視覚化することで内容を伝えやすくなる。また、レポートの内容が専門的であった場合でも、図説を用いることで専門外の読者にも内容を伝えやすくなる。用途や目的に合わせて、グラフを使用するのも効果的である。
Try!
⇒ 様々な文献を引用する
・雑誌からの引用
⇒ 図説を用いる
例文

日本のバイクはこれからだ! −反抗のシンボルから体感するメディアへ

 1970年代〜1980年代 −カウンターカルチャーの時代

 戦後日本において、「バイク」という乗り物は、カウンターカルチャーの象徴であった。バイクと言えば、まず、連想されるのは、「暴走族」と呼ばれる集団だった。彼らのエートスは、スタイルへのこだわりであった。アメリカンのバイクを参照し、それをローカライズした趣向(チョッパーハンドルなど)や、うるさい排気音などが彼らのトレードマークであった。

 もうひとつ、「走り屋」と呼ばれる集団も、バイクから連想されるものであった。彼らのエートスは、飽くなきテクノロジーへのこだわりであった。彼らは、ヨーロッパのGP文化を参照し、それをローカライズした「峠」文化をつくりあげた。そこではバイクの速さが重視され、「最速」というのが彼らのバイク選びのキーワードであった。

 暴走族文化、走り屋文化、ともに、当時のローカル文化に対抗するものとして、グローバル文化を参照しつつ、形成されたものであり、その意味で、それらは、まさしく「カウンターカルチャー」と呼ぶべきものであった。

 このことは、当時のバイクのカテゴリーの呼び方にもあらわれていた。バイク雑誌の編集者である中村浩史は、当時のことをこうふりかえっている。

 かつて僕が二輪免許を取ったころ、オートバイはざっとアメリカンとヨーロピアン、それにオフロードの3種類に分けられていた。バイク選びって、まずココからはじまったんだもの。分け方は大雑把で、らくらくポジションの殿様乗りなのがアメリカン、ちょっと前傾してるとヨーロピアン、て呼ばれたかんじ。(中村、2010、86頁)

 アメリカとヨーロッパというふたつの「外部」(それぞれの延長線上に、「過激なスタイル」と「過剰なスピード」があった)が、当時のバイク乗りたちの「憧れ」を支えていたのである。

 社会学者の遠藤薫の図式(遠藤、2007、8-11頁)を借りるとすると、図1のようになる。グローバリゼーションというのは、上からベタっとローカルな文化を押しつぶすようなかたちで進行するのではなく、ローカルな文化(メインカルチャー)に不満をもつオルト・エリート(ここでは若者)と結託しつつ、草の根のレベルで発動するものである。バイク文化というグローバル文化の広がりが、カウンターカルチャーというかたちではじまったのは、グローバリゼーションの特殊な例外ではないということに注意したい。


図1 バイク文化のグローバライゼーションのモデル(GP文化と峠文化の場合)

 話を戻そう。

 ところで、バイクを知っている人ならすぐに気づくだろうが、当時はなくて今は存在するカテゴリーがある。それが、「ネイキッド」というカテゴリーである。続いて、その「ネイキッド」の誕生を見ていこう。それは、バイク文化がカウンターカルチャーからメインカルチャーへと移行する瞬間でもあった。


←→
copyright(c)2004 Konan University All Rights Reserved.