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引用と図説の使用
例文
日本のバイクはこれからだ! −反抗のシンボルから体感するメディアへ 1970年代〜1980年代 −カウンターカルチャーの時代 戦後日本において、「バイク」という乗り物は、カウンターカルチャーの象徴であった。バイクと言えば、まず、連想されるのは、「暴走族」と呼ばれる集団だった。彼らのエートスは、スタイルへのこだわりであった。アメリカンのバイクを参照し、それをローカライズした趣向(チョッパーハンドルなど)や、うるさい排気音などが彼らのトレードマークであった。 もうひとつ、「走り屋」と呼ばれる集団も、バイクから連想されるものであった。彼らのエートスは、飽くなきテクノロジーへのこだわりであった。彼らは、ヨーロッパのGP文化を参照し、それをローカライズした「峠」文化をつくりあげた。そこではバイクの速さが重視され、「最速」というのが彼らのバイク選びのキーワードであった。 暴走族文化、走り屋文化、ともに、当時のローカル文化に対抗するものとして、グローバル文化を参照しつつ、形成されたものであり、その意味で、それらは、まさしく「カウンターカルチャー」と呼ぶべきものであった。 このことは、当時のバイクのカテゴリーの呼び方にもあらわれていた。バイク雑誌の編集者である中村浩史は、当時のことをこうふりかえっている。 かつて僕が二輪免許を取ったころ、オートバイはざっとアメリカンとヨーロピアン、それにオフロードの3種類に分けられていた。バイク選びって、まずココからはじまったんだもの。分け方は大雑把で、らくらくポジションの殿様乗りなのがアメリカン、ちょっと前傾してるとヨーロピアン、て呼ばれたかんじ。(中村、2010、86頁) アメリカとヨーロッパというふたつの「外部」(それぞれの延長線上に、「過激なスタイル」と「過剰なスピード」があった)が、当時のバイク乗りたちの「憧れ」を支えていたのである。 社会学者の遠藤薫の図式(遠藤、2007、8-11頁)を借りるとすると、図1のようになる。グローバリゼーションというのは、上からベタっとローカルな文化を押しつぶすようなかたちで進行するのではなく、ローカルな文化(メインカルチャー)に不満をもつオルト・エリート(ここでは若者)と結託しつつ、草の根のレベルで発動するものである。バイク文化というグローバル文化の広がりが、カウンターカルチャーというかたちではじまったのは、グローバリゼーションの特殊な例外ではないということに注意したい。
話を戻そう。 ところで、バイクを知っている人ならすぐに気づくだろうが、当時はなくて今は存在するカテゴリーがある。それが、「ネイキッド」というカテゴリーである。続いて、その「ネイキッド」の誕生を見ていこう。それは、バイク文化がカウンターカルチャーからメインカルチャーへと移行する瞬間でもあった。 |
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