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6-3 資料探索の実例
日本のバイクはこれからだ! −反抗のシンボルから体感するメディアへ
6-3-3 写真の利用


写真の利用
 読者に、より具体的なイメージを伝えるための手法として、写真を利用するのも有効である。
 写真を用いて読者のイメージを膨らませることができるし、文章だけの単調なレポートになることを防ぐこともできる。ただし、写真を利用する際には著作権や肖像権に注意する必要がある。ホームページや書籍で使われている写真は、条約および著作権法で保護されている著作物なので、利用する場合は注意しよう。
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⇒ 写真を用いる
⇒ 様々な文献を引用する
・一般書からの引用
・ホームページからの引用
例文

日本のバイクはこれからだ! −反抗のシンボルから体感するメディアへ

 1990年代 −カウンターカルチャーからメインカルチャーへ

 1980年代から、徐々に、バイク文化の大衆化がはじまった。そのひとつのあらわれとして、ツーリング文化の成熟がある。北海道をツーリングする「ミツバチ族」と呼ばれるバイク乗りたちが注目されはじめるのが、1980年代の中ごろくらいからで、1986年には、大阪・東京と北海道の間でライダーとバイクの輸送をおこなう「MOTOトレイン」、「モトとレール」が開通した。

 バイクが「万人が楽しめる趣味」へと変わっていくなかで、カウンターカルチャーである限りは長所でもあったバイクの「乗りにくさ」が、短所として認識されはじめるようになる。まず、走り屋文化。「最速」であることに関しては、日本の道路事情を勘案すると、明らかにオーバーテクノロジーであった。続いて、暴走族文化。アメリカンの象徴である「チョッパー」に関しても、一見、楽そうに見えるが、特に雨量の多い日本の気候のもとでの移動のことを考えると、風圧や雨の影響を軽減する、無理のない前傾姿勢の方が有利であった。

 そのなかで、「最速」でも「チョッパー」でもない、日本の道路事情や気候に合わせたバイクへのニーズが高まる。そしてそれは、1989年に発売されたカワサキのゼファー(写真1・2)の大ヒットとともにはじまるネイキッドブームを引き起こした(「ネイキッド」とは「むきだしの」という意味で、当時流行っていたフルカウルのレーサーレプリカに対置するものとしてつくられた言葉であった)。それは同時に、カウンターカルチャーとしてのバイク文化の衰退を意味していた。


写真1 ゼファーχ(前面)


写真2 ゼファーχ(側面)

 ネイキッドは、「普通」のバイクと言われるが、「普通」とは、言うまでもなく日本における「普通」のことで、日本の公道で使いきるにはぴったりの400ccマルチエンジンの程々の性能と、軽い前傾姿勢の、乗りやすいポジションが大きな支持を得た。また、日本の常用速度では、カウルレス(カウルがない)であることが、程よい気持ちよさにもつながった。

 この後、メインカルチャーとして、バイク文化は、ネイキッドを中心に、日本独自の進化を遂げるようになる。バイクカタログのカテゴリーとして「ネイキッド」という言葉が使われはじめるのもこのあたりからであった。

 「ネイキッド」というカテゴリーが誕生したことは、日本のバイク文化にとって、非常に重要なターニングポイントであった。それは、「アメリカ」とか「ヨーロッパ」、または「過激なスタイル」や「過剰なスピード」といった「外部」を意識しないバイク選びのはじまりであり、カウンターカルチャー的ではない、新しいバイク文化の幕開けであった。

 それは、バイク文化のローカライゼーションと言うこともできる。暴走族文化や峠文化といった「形骸化したカウンターカルチャー」を、日本独自の事情をふまえたメインカルチャーが代替していく。そのようにして、バイク文化が最終的にローカライズされていったわけである(図2)。


図2 バイク文化のローカライゼーションのモデル

 しかし、ここで注意しなくてはならないのは、当時のネイキッドバイクは、族車的な要素、レーサー的な要素も、同時に持ち合わせていたということである。事実、族車としても使われたし、「速さ」へのこだわりも完全には捨てていなかった(400ccネイキッドにおいても、「速さ」をめぐるメーカー間のテクノロジー競争は続けられた。たとえば、1993年に発売されたヤマハのネイキッド、XJR400は、「空冷最速」を目指して開発された)。また、400ccからはじまったネイキッドの大排気量化(ビッグネイキッド)の流れも、テクノロジー競争に拍車をかけた。カワサキは1990年にゼファーの750ccを、1992年には1100ccを発売し、ホンダは、1991年にBIG-1プロジェクトを始動させ、翌1992年にCB1100スーパーフォアを発売した。

 つまり、1990年代のバイク文化は、カウンターカルチャーからメインカルチャーへの過渡期ゆえの混成的な性格をもっていたと言えるだろう。それが完全にメインカルチャー化するのは、その後、2000年代を待たなくてはならない。

 2000年代 −メインカルチャーとしての完成

 意外なところから、日本のバイク文化は、メインカルチャーとしての完成をみることになる。それは、2000年代からにわかに加熱しはじめたハーレーブームであった。国産のバイクが売り上げを落とすなかで、ハーレーの売り上げは伸び続け、また、2001年には、ブームを受け、ハーレーとともに暮らすライフスタイルを提案する雑誌、『クラブ・ハーレー』が創刊された。

 ここで注目したいのは、このブームのなかで、ハーレーの「主役」は、従来からバイク乗りの憧れの対象であったアメリカ文化の象徴としてのドでかいハーレーではなく(多くの人がイメージするハーレーとはこちらだろう)、日本の道路事情にピッタリの小型のハーレー、「スポーツスター」と呼ばれるバイクであったことである(多くの人は、一見、ハーレーとは分からないかもしれない)。スポーツスターは「アメリカ」のイメージが希薄で、速くない、過激なスタイルでもない、普通に「オシャレ」なバイクであった。それは、たとえば舘ひろしが『西部警察』(1980年代に一世を風靡した刑事ドラマ)のなかで乗りまわしていたような、「アメリカ」の象徴のような、カウンターカルチャーとしてのハーレーとは一線を画すものであった。誤解を恐れずに言えば、スポーツスターとは、ハーレーの「ネイキッド版」とも言えるだろう。

 それでは、なぜ、スポーツスターがこれほどまでに売れたのか。そこでポイントとなるのは、「体感できる気持ちよさ」だった。もちろん、ネイキッドバイクにもそういった要素は多分にあったのだが、「速さの追求」といったカウンターカルチャー的な要素とは無縁であったハーレーは、ネイキッドバイク以上に、その点に特化することができた。

 2000年代から活躍する、スポーツスター1200に乗るエッセイスト、国井律子は、新しいハーレー文化を象徴するような存在なのだが、彼女は、『放浪レディ』のなかで、スポーツスターの魅力について、次のように述べている。

 私がこよなく愛す旅のパートナーのひとつに、オートバイがある。

 ソイツはハーレー・ダビッドソン。一九九九年にアメリカで生まれたスポーツスターだ。

 ハーレーといったら、ブルーの回転灯を光らせながら隊列を組んでドコドコと走るイメージが強いかもしれない。けれど、私が乗ってるスポーツスターは日本語訳すると「運動野郎」。その名の通り、ハーレーの中ではダントツ・スポーティで、峠やサーキットもよく似合う。

 見た目はスマートでシンプルだけど意外にマッチョな心臓を持つ相棒は、排気量が1200cc。そりゃ300km/h以上も出るような国産メーカーの最高速バイクと比べたら話にならないけど、それでもメーターには220km/hが目盛られ、速くないけど遅くなく、トルクフルな加速感は私をじゅうぶんに楽しませてくれる。

 さて。山道で運動野郎とスポーツを楽しんだ後は、海沿いの田舎町へと一息に下ろう。さざめく水面が見る見る近づき、同じ目線に並んだところで、ギアをセカンドに入れてゆったりと走れば、アメリカ大陸がはぐくんだオートバイの血が相棒に流れていることを実感する。優しい鼓動。穏やかな息吹が体全体に伝わり、今まで見えなかった漁港の風景や、潮の香りに私は溶け込んでいくのだ。

 引き締まったスリムなヒップゆえ、ちと荷物は積みづらいけど、スポーツスターは旅の愉しさをグッと引き立ててくれる、最高で最強のパートナーであることは間違いない。(国井、2002、4-6頁)

 スポーツスターは「隊列を組んでドコドコと走る」ビッグクルーザーでもなく、「300km/h以上も出るような」スーパースポーツでもない。国井がスポーツスターの魅力として挙げるのは、そのマルチプレイヤー的な使いやすさと、「鼓動感」である。2000年代、ハーレーの「鼓動感」は、日本中のバイク乗りを虜にしてしまった。

 日本のバイクのなかで、ハーレーに、(物まねではなく)太刀打ちできる「体感できるバイク」は、ヤマハの単気筒バイク、SR400か、カワサキの単気筒バイク、エストレヤくらいのものであった。バイクがメインカルチャーとなり、人々が、反抗ではなく「気持ちよさ」を求めるようになるなかで、2000年代、日本のバイクはハーレーの独り勝ちを茫然と見つめるしかなかった。

 2010年 −開かれた突破口

 日本のバイクは、(一部のクラシックバイクやビッグスクーターを除いて)このまま従来の路線での高性能化を突き進み、二輪の国内市場をハーレーに譲り渡すのか。それでも、メーカーはかまわなかったのかもしれない。バイクの開発は、「速さ」がメインカルチャーとして大きな意味をもつヨーロッパ市場、アメリカ市場に特化し、国内ではビッグスクーターで収益を稼ぐ(ビッグスクーターは海外市場でも大きな収益源となるだろう)。そういった方向性が見えかかってきた2000年代の後半、私は、日本のメーカーにはあまり期待せず、他の多くのバイク乗りと同じく、「がんばって大型免許取得⇒ハーレーゲット!」という思いでいた。

 しかし、2010年の3月、ホンダから、突如、CB1100というバイクが発売される。CB1100は、リッターバイクでありながら、「速さ」へのこだわりを一切捨てた、画期的なバイクであった。そこでは、バイクのカウンターカルチャー的な要素は徹底的に排除され、「体感する」ことが開発の目標とされた。それは、ホンダのホームページ紹介されているCB1100の開発者の六つのこだわり、「味わいは数値にできない。」、「2mmの空冷フィン。それは見とれるほど美しい。」、「5速で流すと、いいんですこれが。」、「突きつめたのは、性能より本質。」、「意識したのは普遍性。」、「最後までこだわった。凛とした、たたずまい。」からも明らかである(本田技研工業株式会社ホームページ)。その結果、このバイクは大ヒットを記録した。CB1100は、バイク文化のメインカルチャー化に対する日本メーカーのひとつの答えと考えることができる。

 日本のバイクメーカーの「お家芸」であるマルチエンジン独特の鼓動感と空冷4発の「気持ちよさ」、そして、ネイキッドならではの乗り手とバイクの一体感でハーレーに対抗しようとしたCB1100は、大排気量化にともなうテクノロジー競争が落ち着いた後の、日本のバイクメーカーの進むべき方向として、バイク乗りたちから絶大な支持を得た。(大型の二輪免許が必要だが、)CB1100に乗れば、今の時代の「内部にある外部」が理解できるだろう。

 また、その少し前、2009年の12月にカワサキから発売されたDトラッカー125(写真3-5)も、「体感する」ことに焦点を絞った新しいバイクだった。私自身、大のカワサキファンなのだが、最近、カワサキのラインナップは、「男カワサキ」のイメージで語られる大排気量中心のメガスポーツバイクから小排気量中心のファンバイクへと主軸を移しつつある。そのコンセプトは、「バイクを操る楽しさ」である。小さくて快活で乗っていて最高に楽しいこのミニバイクに、バイクの未来の可能性を感じるバイク乗りは少なくないはずだ。


写真3 Dトラッカー125(側面)


写真4 Dトラッカー125(前面)


写真5 Dトラッカー125(前面・背面)


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