modern american economy
3-1. アメリカン・システムのきしみ
担当:甲南大学 稲田義久
前章で見たように、アメリカン・システム(パックス・アメリカーナ)のもとでアメリカ経済は持続的な成長を実現しました。その中心を支えたものは、重化学工業や耐久消費財産業などの基幹産業に確立された大企業を中心とする企業体制であったのです。それは大量生産システムとそれに見合う形で確立された労使関係で特徴付けられていました。成熟した寡占体制とでも言えるでしょう。アメリカン・システムは、ミクロ的にはこのような特徴を持つ企業体制に支えられていましたが、マクロ的にはケインズ主義的な財政金融メカニズムで補完されてきました。さらにIMF=GATT体制といった世界的な政治経済秩序の枠組みのなかでこのシステムは位置づけられていたのです。ところが、このシステムのワーキングが機能不全を起こしだします。システムを支える柱がきしみだしたのです。
3-1-1 賃上げと労働組合:インフレ体質の醸成と競争力の低下
戦後アメリカ経済の特徴として持続的成長とともにインフレ体質を挙げることができます。それは、アメリカ経済の主力を占めた基幹産業を中心に「労使妥協」的な労使関係が確立したことが原因です。典型的には、労働組合を中心とする大幅で硬直的な賃金引上げが慣行化したためです。当時のアメリカの主要企業の組合は、期間3年の労働協約を企業と結ぶのが慣例となっていました。また年々労働協約改定のトップバッターは、代表的な産業が順繰りに代わっていくことになっていたのです。このようなシステムでは、ある交渉年がたとえ不況の年にあたったとしても賃金が低下することはないのです。すなわち、生産性に関係なく賃金が決定される傾向にありました。
アメリカ経済のもう1つの特徴は成熟した寡占体制です。寡占度を高めた基幹産業における価格設定は、コストに適正利潤を加える「マークアップ・プライシング」と呼ばれるものです。寡占体制の下では強い市場支配力を持ちますから、賃金やフリンジベネフィットなどの上昇を価格転嫁することは容易でした。これらがあいまってインフレ体質を醸成したのです。
アメリカ経済は大量生産体制によって規模の経済性を活かした高い競争力を維持してきました。しかしインフレの高まりは対外競争力を低下させます。対外競争力の低下はやがては貿易収支の赤字化につながります。
3-1-2 IMF=GATT体制の動揺:ドル危機の進展
戦後アメリカの基本構造は、IMF=GATT体制とでもいうべき世界的な政治経済秩序の枠組みに支えられていました。
戦後アメリカ政府は積極的に対外援助を行ってきました。援助は軍事的な形態と経済的な形態で行われ、結果的には、ドルがアメリカから流出することになりました。これを「ドル散布政策(dollar spending policy)」といいます。
また民間部門ではアメリカ多国籍企業のヨーロッパなどへの進出によって対外直接投資という形態をとってドルが海外に流出しました。このように海外に流れたドルは、アメリカ産業の圧倒的な競争力の優位性による貿易収支の黒字でファイナンスできていれば、問題がなかったのです。
図3-1 戦後アメリカの国際収支構造:100万ドル
さて1960-70年代までの国際収支構造を眺めて見ましょう。まず輸出入のバランスである貿易収支は戦後から70年までは黒字を続けますが、71年以降は赤字が基調となります。貿易黒字は戦後徐々に縮小傾向をたどったものの、60年代末までは何とか黒字を維持してきたのです。それが、70年代に入ると、輸出の不振、輸入の増加という傾向が一段と明瞭になり、71年になって20世紀に入り初めて貿易収支が赤字を記録しました。その後急速に赤字幅が拡大し、78年には貿易赤字が339億ドルとなりました。これを反映して経常収支も赤字の年が出てきました。
次にサービスの純受け取りであるサービス収支を見てみましょう。サービス収支は、逆に、70年まで一貫して赤字を続けますが以降は黒字が拡大します。この結果、財・サービス収支のバランスは、70年までは貿易黒字がサービス赤字を上回るため黒字を続けますが、71年には戦後初めて赤字を記録します。貿易赤字が累積し、ファイナンスが出来なくなると通貨の信任が低下します(
コラム:固定相場制とドル危機を参照)。