制作プロセスに続いて、映像作品制作に当たっての裏側を述べておく必要があるだろう。言い換えれば、私自身と取材対象者との葛藤でもある。それは他者との本格的な出会いからはじまった。異質な人間との出会い、その相手と自分の異質さがわかるところまで相手とぶつかり合う。「話」を通じて、インターアクティブな会話の相互交換を行う。日常会話程度の言葉から、真剣に自分が知りたいと思っていることを相手に的確に問い、相手もその質問に答えてくれるに至るまで、相当な時間を要した。私が今回の作品制作中でのインタビュー、取材対象者とカメラを通じて「語り合う」ということにあたって、留意していた点は以下の3つである。まず第1に、取材対象者との「ラポール」形成である。“知”よりも“実践”を優先し、本格的なロケ前から、杯を酌み交わし、取材対象者が私自身を「語るに足る奴」であるかどうか、判断できるような時間をあえて作り出した。すれちがいの会話はいくら時間をかけて撮影したとしても意味がない。
第2に「兵役制度」という自己と社会性を含むテーマなだけに、私と取材対象者との間の知的理解度を探ろうとしたことである。取材対象者が話す、ドイツの兵役制度の具体的なデータや、ドイツの文化習慣を理解していないのでは、「こいつに話してもしかたがない」、「自分の時間をとられてまで、自分の真意を伝える必要なんてない」と思ったとすれば、いくらインタビューという形式を採っていたとしても、その会話の内容は成立しないであろう。「こいつならわかってくれる」と思ってくれるような知識を共通できる話題を蓄え、意気込んで撮影へと突入した。
いざロケに入ると、彼らに完全密着、さらに撮影期限の制約から慌てて彼らの本音を引き出そうと、絶え間なく質問を浴びせたため、次第と彼らの言葉数が少なくなり、明らかに私たちを避けるような行動が観られるようになった。取材対象者との会話のペースを私自身が乱し、嫌悪的な空気がながれ、その様子があからさまに映像として映っているVTRが何本もある。お年寄りと彼らの関わり、彼らの素直な言葉など、撮れるはずもなく、迫り来る時間と、ギクシャクした人間関係に悩んだ。
もう一度、私と取材対象者との関係を見つめなおした時、相手の心の中の状態の思いやりにかけていることに気づいた。祖国を離れ、社会福祉施設で文化の違いによる日々の気苦労・肉体労働の日々。共に働く職員からの視線と入居者への気配りに加え、一日中カメラに追い回される状態にあったことを。相手を思いやり、可能な限り情的な想像力を働かせることである。それが第三の点である。
そこで私がとった方法が、一切彼らに話しかけない、ただついて行くだけ、という日を一日作った。会話とはインタビューも含め、インターアクティブの繰り返しによって成立し展開していくものである。しかしあえて従来のそのスタイルをとらず、彼らが何か言葉を発する、発したくなるまで永遠に待ったのである。「相手に自らの思いを伝えたい」。このように願い発する行為こそ、会話の真髄であると考えた。その言葉が発せられるまでただ待つ。いつも働いている福祉施設を飛び出して、施設で飼われている2匹の犬の散歩を私は提案した。私自身の気分転換のためでもあるし、質問は浴びせなくとも、いままでとは違った環境に身をおくことで、悶々としたロケ状況、しいては取材対象者との関係の矛先をこの出来事をきっかけとして、何らかの進展を期待していたのは紛れもない事実である。この行動を皮切りに、口火を切ったかのように、取材対象者の口から言葉があふれ出してきたのである。「軍隊は何のためにあるかな?国を守るため、それとも・・・」という番組の最後で使用していた言葉だ。
またロケ現場では現実に起きていることを記録の対象としていたため、幾度も事前の考えや企画プランと全く異なる事態に遭遇した。記録できない事態に遭遇すれば、そのことによって番組全体の行方を検証し、その代わりに記録すべきものがなんであるのか探す。またいい場面が撮影できれば、そのことが全体にどんな影響を与えるのかを検証し、さらに深く記録すべきことはないかと考える。次々と起きてくる新しい事態に柔軟に即応しながら真実と思われる全体像に迫っていくという作業を繰り返した。
悪戦苦闘したインタビューの中でも、それまでの私自身の兵役制度の考えを揺さぶられるような返答も得ることができた。それは本編でも使用している、パウル君のインタビューである。「兵役は義務教育と同じこと。学校に行かないといけないから学校に行く、兵役があるから軍隊に行く」というシーンである。ここでようやく、私がドイツでのロケで感じていた、ある種の違和感に結論が出た。ドイツでのドイツ人にとっては私たちが驚く程、兵役制度が当たり前のことだということである。そしてドイツの若者たちにとって兵役に就くか、または兵役を拒否するかを自由に選択できるからなのか兵役義務イコール人を殺す事、人に殺される事といった争い・戦争と結びつけて考えていない。もちろん作品内のミハエル君のように宗教による拒否もあるが、それを素直に受け入れて兵役義務があってよかったという若者までいる。兵役に就くか、就かないかはあまり問題なのではなく、どうしてもしなければならないある一定期間を、自らのためにどのようにその時間を使うか。その方が彼らにとると大きな問題なようだ。60年代、兵役を拒否した若者は”横着者“、”共産主義者“と呼ばれていたが、現在では「社会奉仕活動を行う兵役拒否者の存在なくして、ドイツの福祉は成り立たない」とまで言われており、彼らは貴重な存在となっている。
兵役を選ぶ人と、ボランティアを選ぶ人の違いは、結局のところ何だったのか。例えば、そこには出身階層などによる違いはあるのか。はっきりとした出身階層の差などデータは、手元になく、現地でいろいろなポジションに置かれている、12人のドイツ人青年にヒアリングを行ったが、出身階層による差は、感じることができなかった。また、学歴の面から考えたとしても、12人とも中等教育の出身学校レベルはばらばらで、ドイツで兵役を選ぶ人と、ボランティアを選ぶ人の違いに大きく影響をもたらしているとも感じられない。当然のことだが、レアルシュ−レの卒業者で、当時兵役代替役務を行っていた青年は、役務後の仕事へのインターシップ代わりとして、兵役代替役務の期間を有効利用し、またギムナジウム出身の青年は、その後の大学での専攻を決める期間であるとインタビューで答えてくれた。
彼らのインタビューを撮っていて感じたこと、聞いたことなど、それ自身を映像として収めることができなければ、視聴者には伝わらない。形ある証拠としての映像を収録し、現実をより現実らしく制作者の手によって加工し、視聴者に提示する。この行為こそ、ドキュメンタリーを作る、という意味での魅力であり、また恐ろしい部分でもある。
今回番組でドイツの兵役制度をテーマとして取り上げた上で、私が最も悩んだ点が「兵役を拒否した人々」をどう扱うかという点である。即述のように、兵役を拒否した人々は「良心的兵役拒否者」とも呼ばれていることから、日本人に観せることを前提とした作品を作った場合、良心的兵役拒否者の良心、イコール反戦を願い、世界平和をも掲げているヒーローのような存在として見られてしまうのではないかという不安があった。ましてや兵役の替わりにボランティア活動まで行っていると言うこととなればなおさらのこと、ドイツで兵役を拒否した若者達は清らか心の持ち主である、という印象を与えかねないという恐れを感じていた。もちろんドイツの青年達の中にも、平和を切に願い、兵役拒否をした若者もいる。しかし、実際のドイツでは必ずしもそうではないように思えたのである。それゆえ、ナレーションやテロップまた翻訳には「良心的兵役拒否者」という言葉は一切使用していない。その代わりに「兵役代替役務者」と言う言葉を使用することで、私なりの結論を出した。(次項photoII‐12参照)
ここでは、作品を制作した過程を紹介した。同時に、インタビュー法や「兵役制度」の“知”と現実との違いに戸惑いながら行った、ロケ模様を振り返り、私なりに分析を行いながら記述したものである。
photoII-12 兵役代替役務者 ニルス・シュヴェージッヒ君 30
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