5-1-15 フィールドワークと時間
Example 「何でもみてやろう」の落とし穴―見えなかったテーマ
見えなかったテーマ/「物乞」 …どうして、施しの曜日に気がつかず物乞の存在に注目することもなかったのだろう。 第1の理由は、村落調査にとらわれていたからだ。集落やショマージを人が住む場所としてとらえ描く、これが私の調査目的だった。・・・・しかし、村の見取り図となるような組織や集団は見出せず、住民の社会的位置づけや序列が体系化、制度化されているようでもない。とりあえずは、無理に特定のテーマに絞らずに、調査の枠組をつくらず、何でも見てやろう、と考えてジンダ村に滞在してきた。ところが実は、「村落調査」という大テーマにしがみつき、土台となる村を解明せねばならないとばかりジンダ村に閉じこもり、目に映るものを選別して見ていたのである。ひとつの村を越えた、より広い地域における施しのシステムや、村々を巡回する物乞の存在は、ジンダ村に関する村落調査からはこぼれおちていた。 第2の理由は、無意識にではあるが、物乞をあえて調査対象から外していた。バングラデシュは、世界でも最貧国としてしばしば注目される。経済的格差と貧困が存在する現状をどのように改善するかは、重要な課題であるには違いない。だがそれは、この社会の一側面であり全てではない。烙印を押したように「貧困」というフィルターからはバングラデシュを見るまい、と考えていた。しかし先入観を持ち込まないという思いがかえって、特定の領域の問題を調査から排除する結果となった。つまり、貧困と関連性の深い「物乞」は、もともと私にとっての調査対象から外されていたのである。 もちろん、まったく気にならなかったわけではない。ダッカでは、どこにも物乞の姿があった。外国人と見るやボクシーシーと手を出してしつこくついてくる子どもたち、リキシャやベビータクシーが信号や渋滞で止まれば、幼い子どもを抱えた女性や身体に障害をもつ分かる人たちがやって来て施しを求めた。下宿の戸口の前では早朝から、物乞が大声をあげて扉をドンドン叩いて施しを要求する。眠りの中でその音を聞くと、心の中に土足で入られ脅迫されているかのようだった。「うるさい!」と大声で追い返すこともあった。彼らは生活のためにモノゴイをしている。他の人たちも生きるために働いている。物乞だけが特別ではない、と思っていた。 ダッカに滞在していた時にこうした物乞の印象が強かったために、それとは有り様が全く異なる農村の物乞が、同じものとは認識できなかった。これが第3の理由である。少なくとも私が滞在していた郡部においては、モノゴイを生業としている人々は社会からの逸脱者ではない。施与の慣習が地域社会の中に組み込まれて、施しを受けることが1つの生業となりうる仕組みがそこにはあった。物乞の姿は、地域住民の日常生活の中に場所を得て存在していた。私は、物乞の存在と、彼らを生み出し受容する地域社会に強く惹かれていった。 *その後の物乞研究については、西川麦子「平等原理の現在―バングラデシュ農村における喜捨の慣行と物乞い」(池上良正他編『絆』岩波講座宗教、第6巻、岩波書店、2004 pp.161-183、「19世紀後半の英領インドの浮浪者問題と『ヨーロッパ人』浮浪者法―統治者の威信を脅かす落ちぶれた白人たち―」甲南大学紀要文学編141社会学特集、2006年 pp.29-57参照 |