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5-1-15 フィールドワークと時間
Example フィールドワークと記述のあいだ

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フィールドワークと記述のあいだ
  • フィールドワーカーにとってのリアリティは何だろう。
  • フィールドワークの体験と、情報を整理し第3者に伝えるという行為との間には、時間的なずれがある。変化する社会を捉えることができるのだろうか。

『バングラデシュ/生存と関係のフィールドワーク』表紙


 バングラデシュに滞在し、調査を経験して以来ずっと、フィールドワークと記述という異なる行為の間について考えてきた。とりわけ次の2つの問題を解くことができずに、この本を執筆するまでに長い時間を要した。

 1つは、フィールドワーカーにとってのリアリティとは何か、という問いである。フィールドワークとは、身体的な接近によって一瞬であれ他者と、空間および時間を共有する行為である。現地へ行き、「今、ここ」を体験することもあれば、人々の語りから過去を解釈しようとすることもある。どのようなかたちであれ、何かに触れた感覚が残る。それがフィールドワークであると私は思う。

 本書の舞台であるジンダ村には1988年から91年にかけて、のべ1年と半年を過ごした。いつも人の視線の中にいて、誰かと話し、いろいろな出来事にぶつかった。そこで暮らす人々の姿や行動を身近に感じざるをえない環境の中で、しかしそれでも、自分が体験している社会のかたちを掴み取ることができなという思いがいつもあった。観察者であるはずの私が人々の視線にさらされている状況にも、慣れることができなかった。

 バングラデシュから戻り、いくつかの学術論文を書いた。フィールドで得た情報は、第3者が利用できるデータとして整理した。論文では、テーマに応じた調査資料を提示し、データにもとづき分析、考察を行い、残された課題を明らかにした。だが、論文を書けば書くほど、調査データとして扱いえなかったフィールドワークの実感が、記述からこぼれ落ちてゆくというジレンマが残った。もう一度、整理された調査資料だけでなく、フィールドでのあらゆる種類の記録を読み直してみた。マリク家のきょうだいたちが書いた作品や「村日誌」、長年開くことのなかった私個人の日記帳や、日本へ書き送った手紙の写しの隅々までを読んだ。

 当時の記録と向き合い、改めて、日々を生きる住民たちの気迫や、絶望や、したたかさ、お互いに抱く嫉妬心や、人と人とが関わる時に発散するエネルギーに圧倒された。村という範囲を理解しがたいという印象や、そこでの暮らしになかなか馴染めず悪夢にうなされ続けた苦しい思いが蘇ってきた。バングラデシュに身を置いて初めて、国家あるいは行政と、住民との関係がなんと脆いものであるのかと考えるようになった。法や制度が、そこで暮らす人々を保護、管理する機能を充分にもたないことに戸惑った。そのような状況の中で、死ぬまで生きることを放棄しない人々の欲望に、私はおののき、時には政治がその欲望のうねりを利用し、人々の動きを誘導、加速させることを、恐ろしいと感じた。

 フィールドワークをとおして掴んだこうした感覚を、個人的な感情として切り捨てるのではなく、対象とのひとつの接点として捉え、そこから人々の生活の場を描くことはできないかと考えた。

 2つめは、変化する社会を捉えることができるのか、という問いである。フィールドワークの体験と、情報を整理し第3者に伝えるという行為との間には、時間的なずれがある。調査の現場は、パーソナルな、ローカルな、ナショナルな、あるいはグローバルな状況の中で、次の瞬間には何かが変化している。書き手もまた、調査者であったかつての自分自身とは同じではない。

 1996年に博士論文を提出した後、5年半ぶりにジンダ村を訪れた。今度は5週間という短い滞在だった。村は変貌していた。多くのヒンドゥー住民はインドへ移住し、集落の一部は畑に変わっていた。その変化の激しさに、私は追いつけないと思った。記録は、どんな時でも過去のものとなる。頻繁に現場へ赴き不在の間を埋め、多くの見聞、体験を重ね続けていなければ、現地調査に拠って対象を捉えることはできないのだろうか、と悩んだ。現場に対して確信がもてないという焦りの中で、とりあえず私は、かつての記録を読むという作業をとおして、その変化の意味を考えようとした。現場をそのまま捉え描くことはできないとしても、フィールドワークをとおして何かを考えることはできるはずだ

 96年時点でのジンダ村の人口構成の大きな変動は、そこから91年までの過去の記録を読み直すひとつの糸口となった。90年代におけるジンダ村のヒンドゥーの離村は、バングラデシュやインドの政治状況や、東ベンガルのヒンドゥーがたどってきた歴史的な経緯からだけでは説明できない。地域の政治構造の変化、土地や就業機会の不足、多数の開発プログラムの活動、高学歴の若者の登場、住民それぞれの経済的事情、地域内の、あるいは国境を越えて広がる親戚や知人、情報のネットワークなど、様々な要素が絡み合った状況の中で、ヒンドゥー住民たちは村を出た。同じころ、ムスリム住民たちもまた、生きる場所、手段、将来の見通しを懸命に模索していた。人々は、国家や地域の情勢に呑み込まれながらも、1人1人が選択を繰り返し、その無数の営みの重なりが絶えず社会を変容させてきたのだと思う。

 本書では、様々な人間が織り成す現実の複雑さや変動する社会を、1つの構図のなかに抽出するのではなく、また研究者が設定したカテゴリーや用語に人々をあてはめるのでもなく、多様な文脈の中で描きたいと考えた。全体を4部8章32節に分けたが、1つ1つがまとまりをもった、しかし完結しない32話が、全体の構成の枠からはみでて響きあう、そのような記述のかたちをあえてとった。そして、この本を読む人の生活のひだ、記憶のどこかに触れ、改めて何かを考えることができる、想像力を引き出す余韻を残す作品にしたいと考えた。

西川麦子『バングラデシュ/生存と関係のフィールドワーク』平凡社、2001
「あとがき」p.303-308 より


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