漠然とした関心を記録する/現場の再発見
ある日、グローブ・ネイバーフッド・センターの掲示板をしげしげと眺めていた私に、スタッフAが、もし興味があるなら、センターの運営委員会を見学に来ないか、と声をかけてくれた。2002年1月、毎月第2水曜日の夜に開かれるセンターの運営委員会に出席し、その後運営委員の1人となった。15名ほどの委員たちの早口の英語の議論をその場ではほとんど理解できなかったが、場の雰囲気や参加者の表情の変化を観て感じることはできた。また、議事録を読んで考えることも多々あった。イベントの手伝いで数時間センターにいるだけで毎回、小さな驚きがあった。その発見が面白くて、日々のロンドン滞在日記とは別にセンターに関する日誌をつけ始め、雑多なとりとめのない情報を記した。現場で何かを感じるだけでなく、書くという行為をとおして初めて気がつくことやそこで形成される記憶もある。
5-1-9 いろいろな「みる」
住民から調査者へ、の居心地の悪さ
ボランティア、運営委員としてグローブ・ネイバーフッド・センターを利用するたびに、疑問が増える。不思議な曲線をもつセンターのこの建物は誰が設計したのだろう、どうやって建設資金を集めたのか。そもそも、NPOの組織運営の財政源は何か。ジャンブル・セール(バザー)で売られる大量の古着はどういうルートでここに集まるのだろう。どこまでがボランティの活動範囲だろう。ソーシャルワーカーの活動と何が違うのか。センターは、ある時は大勢の人々が出合うにぎやかな社交の場となり、ある時は、人と接しながら自分の内面と向き合いたい人々が集まることもある。住民にとって、グローブ・ネイバーフッド・センターとはどのような場所なのだろうか。次々とわいてくる疑問や感想をあれこれと尋ね続けるのは、センターの普通の利用者としては不自然である。かといって今までは住民とてセンターを利用してきたのに、あらたまって研究対象として調査を始めることにも違和感がある。何かに関わってしまった後から、それを改めて調査という形にするのは意外と難しい。
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