目から入る情報は無数にありますが、そこから何をつかむのか、よみとるのかは、みる人の立場、意識によってかわります。フィールドワークにおいては、視覚に不意に飛び込んできた情報をとらえることもあれば、何かに着目して情報を集める場合もあります。観点、記録の形式を事前にきめて、一定の場所、時刻を定めて定点観測することもあります。「自分」がみていることに気づくことが、いろいろな「みる」の第一歩です。
たとえば2つの側面から、みることを意識してみてはどうでしょうか。ひとつは対象の何に着目するのか。もうひとつは、対象をどのような時空間に位置づけ、切り取るのか。それをみるあなたがどこにいますか、空から、遠くから眺めますか、立ってみますか、座ってみますか、寝そべってみますか、抱きついてみますか。また、どの時点からそれをみますか。「今を今として記録してゆくのと、何年か後を意識して現在について考えるのとでは、見えてくるものが異なります」
文化人類学の方法論で使用される用語です。調査者が広い意味での現場と関わりながら調査の対象を、視覚や他の感覚を組み合わせて多面的に観察し、そこで得た情報を言語や映像などに記録します。対象をみている調査者自身の視点を意識し、自分が置かれている状況を省察することも大切です。みている自分をみる。難しいことです。
何を用いて記録しますか。偶然の発見をケイタイのカメラで撮影、普段はデジタル・カメラを持ち歩いている、今日は一眼レフのカメラを使おう、デジタル・ビデオ・カメラと三脚で動画撮影、ノートにスケッチして解説をメモする、地図の該当箇所にシールをはってゆく、事前に用意した一定の形式の調査票、表への書き込み、などなど。どのような状況で、何に着目し、後にそれをどのようなかたちで利用するのか、記録方法も多様です。また、記録に付記する項目(取材年月日、曜日、時刻、天気、場所、状況、対象についての説明、キャプションなど)も忘れずに。
フィールドワーク、あるいは日々の暮らしは、想定できないさまざまな出来事、場面の連続です。事前に視点、着目点があるのではなく、事後に改めて、何を記録に残すのかを考え選定することが実際には多いのです。たとえば、ある場所での1日を記す。限られた時間、スペースのなかで、みたことを全て記録することはできません。何を書き留めるのか、記録しながら視点を鍛える、記憶を引き出す。後々にその記録と改めて向き合い、異なる角度、観点、解釈を見出す。現場と記録の繰り返しが、フィールドワークの「みる」という行為ではないかと、私は思います。
|